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	<title>とんまぬWIKI - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-05-25T03:32:23Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>かえるの街・ケロケロ</title>
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		<updated>2023-05-17T16:31:46Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:kerokero_00.jpg|thumb|right|300px|ケロケロ島遠景]]&lt;br /&gt;
〈かえるの街・ケロケロ〉あるいは単に〈ケロケロ〉は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】に登場する都市国家である。首都は国内唯一の都市、ケロケロ市。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_国旗.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ国旗]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉はケロケロ島とその周辺の島嶼部を領土とする都市国家である。政体は民選の市長と市議会を中心とする共和制を採用している。人口は10万人ほど、国土面積600㎢ほどの小さな都市国家ながら強い経済力を有し、世界有数の経済大国として国際的に知られている。唯一にして最大の都市・ケロケロ市は世界有数の貿易港であるケロケロ港を擁する経済都市であり、ケロケロの経済大国としての国際的地位を支えている。歴史的な経緯から市民のほぼ全員がケロケロ教を信仰している宗教都市としても知られており、ケロケロ島内にはケロケロ山やケロケロ神殿などのケロケロ教聖地が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国名==&lt;br /&gt;
正式名称は〈ケロケロ〉である。共和国のような政体を示す言葉は、国号には採用されていない。また、非常に紛らわしいが「ケロケロ市」は〈ケロケロ〉内に存在する都市を指す名称であり、ケロケロ市の全域が都市国家〈ケロケロ〉のほぼ全域と重なるが、これらの2つの言葉は文脈によって別の概念を指す言葉として用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かえる暦7世紀の一時期のみ、王政が敷かれていたことから〈ケロケロ王国〉を正式な国号としていた時期があるが、ケロケロ革命によって王政が倒されると国号は元の〈ケロケロ〉へと戻されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===ケロルスと彼の弟子の時代===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_01.jpg|thumb|right|200px|ケロルスの宣言]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉創設者のケロルスは、元々は〈かえる帝国〉政府の宗教部門を統括する大司教の職に就く聖職者であった。彼は改革派の司教として、ケロケロ教の役割をそれまでの権威主義的な体制から福祉を重視する民衆寄りの体制へと変化させようとしており、国民からの絶大な支持を集めていた。しかし、そうした人気を快く思わなかった皇帝ゲコ2世によって、かえる暦372年、ケロルスは政府の職をすべて解任されて都を追放されてしまった（ケロルスの追放）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追放されたケロルスは自身の支持者とともに都を離れ、皇帝と距離を置く貴族らから水面下で支援を受けつつおよそ3年間難民として各地を放浪した。375年4月、ケロルスとその一行はかつてケロケロ教の聖地として栄えながらも政治的な理由から放棄されていたケロケロ島に辿り着き、この地に理想の都を建設することを決めた。この際、ケロルスが難民たちに語った新たな都市の目指すべき理念は、ケロルスの宣言としてのちの都市国家ケロケロの基本理念となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_02.jpg|thumb|left|200px|最初の収穫祭]]&lt;br /&gt;
ケロルスは草創期のケロケロをケロケロ教の教えに基づいて統治し、ケロケロ市の建設や港湾の整備（のちのケロケロ港）などを進めていった。383年にはケロケロ教の聖地・ケロケロ山のふもとにケロケロ神殿を建設するよう指示を出したが、ケロルスは神殿の完成を見ることなく384年にこの世を去った。ケロルスの後を継いでケロケロの指導者となったのが、ケロルスの7人の直弟子たちであった。彼/彼女らは市民の「代表者」を名乗り、7人の合議によって街を運営することを宣言した（7人の代表者）。7人の代表者の時代には市街地の建設が一段落し、教育機関の設置や商店の開設などといった市民生活の水準向上が進んだ。398年にはケロケロ神殿が完成し、最初の収穫祭も開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表者はケロルスの直弟子であったことが就任の根拠であったため、代表者が亡くなりその数が減っても代表者の補充は行われなかった。そのため415年には代表者はケロウォルグただ1人となり、代表者全員が亡くなった後の体制をどうするかが問題となった。そこでケロウォルグは425年にケロウォルグ憲章を発布し、ケロルスの宣言を引用して次の世代の統治形態についての提案を行った。すなわち、市民が議員を選んだ議会が合議によって統治を行うという議会政治が、新たな政体としてふさわしいという内容である。426年にケロウォルグが亡くなると、憲章に従ってケロケロ史上初の市議会議員選挙が実施され、ケロケロ市議会が発足した。市議会は、議員の首班として市長を互選で選出し、市長と市議会が共同して街の統治にあたる第一期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一期市長制度時代===&lt;br /&gt;
初代市長となったケロティウスは、それまで宗教的な教えと慣習によって統治されていたケロケロを法律によって統治する法治主義の下の都市に変貌させるべく、430年にケロケロ法典を制定した。このケロケロ史上初の成文法典によって、ケロケロは名実ともに宗教に基づく共同体から法律に基づく共和制国家へと脱皮した。その後も、ケロティウスの後を継いだ市長たちによって、農地改革（436年～439年）、ケロケロ中央病院開設（450年）、ケロケロ市場の開市（458年）などの重要な政策が実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_07.jpg|thumb|right|200px|トカゲ海賊団の襲来]]&lt;br /&gt;
特にケロケロ市場の開市はケロケロ港を単なる貿易の中継地点から国際貿易の拠点へと発展させる契機となり、5世紀初頭からはじまっていたケロケロ港の繁栄と合わさって、ケロケロが国際的な経済立国に成長する重要な要素となった。560年代初頭までにケロケロ港の貿易取引量は世界第三位となるまでに成長し、この頃にはかつて難民が建設し始めた都市というケロケロの姿は過去のものとなるほどの成長を果たしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、572年にケロケロ島へ〈トカゲ海賊団〉が襲来すると状況は一変する。海賊団は武力を背景にしてケロケロに金銭を要求したため、自前の防衛力を持たなかったケロケロは為す術なく海賊団の要求に屈することとなった（ケロケロベイの屈辱）。これを機にケロケロでは国防力の整備が進められ、482年に商船の保護を目的とした警備部隊としてケロケロ商船団が発足した。事実上の海軍となった商船団が489年に海賊団をケロケロ島近海から撃退することに成功すると、490年にはケロケロと海賊団は正式な戦争状態に突入した（ケロトカ戦役）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争は将軍・ケロディアと参謀・ケロンの活躍もあって510年にケロケロの勝利で終結し、この結果トカゲ海賊団は壊滅した。戦後、商船団のケロケロ国内における発言力は急激に高まり、その結果商船団の全権を掌握したケロンが絶大な権力を手に入れた。ケロンは政治的な野心を隠さず、514年に軍政組織として元帥府を設置すると、517年には市議会が持つ権能を元帥府に吸収してケロケロの全権を握った。続いて518年、ケロンは自らをケロウィルムと称して国王に即位することを発表し、ケロケロ王国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王政期===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_12.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ大学]]&lt;br /&gt;
ケロウィルムは典型的な専制君主制を敷いて独裁的な政治を行ったが、王政開始当初は意外にも市民からの支持率は高かった。これはケロウィルムが市民生活の向上に力を入れ、特に娯楽関係の環境整備を熱心に行ったためであった。演劇や芸術などを奨励・振興し、国民が気軽に娯楽へアクセスできるような政策を矢継ぎ早に実行した。国歌「あぁケロケロ国民」の完成（524年）などがその典型例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、こうした王政への歓迎ムードは530年代に大きな転換点を迎えた。534年に王制を批判する論文を発表したケロケロ大学教授・ケロ＝ケローゼを王政府が拘束するケロ＝ケローゼ事件が起こると、世論は一気に反王政へと傾きはじめる。王政府が論文を理由にして教授を拘束したというのは結果としては誤解であったのだが、一度興った反王政の世論は止まることなく、翌535年にはケロケロ大学学生ストライキが発生してしまう。政府がこれを武力鎮圧したために事態はいったん沈静化したが、国民世論の潜在的な反王政感情はここで決定的に高まってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
550年、ケロケロの創設者・ケロルスを称える演劇『賢人ケロルス』が上演されると、すべての市民が平等であることを理想としたケロルスの宣言の理念を復活させようという機運が高まり、これは552年にケロケロ革命となって現実の王制打倒運動へと発展した。商船団からも離反者が続出したことで、ケロウィルムは為す術なく反王政派に捕らえられ、革命のリーダー・ケロミンによって王政の廃止と「市民が治める街・ケロケロ」の復活が宣言された。ここに34年間続いた王政の時代が終わり、第二期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_15.jpg|thumb|right|200px|かえる同盟条約の締結]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二期市長制度時代===&lt;br /&gt;
王政廃止後、暫定政府を率いたケロヴィスは大統領制を模した新たな市長制度を創設し、王政以前の市長制度と比べて権限が圧倒的に強くなった市政府を発足させた。その後ケロヴィスは正式な市長に就任すると、565年に実質的な憲法であるケロケロ大憲章を制定して、ケロケロの国家としての骨格を整えた。大憲章以前のケロケロは、実態は別として建前上は都市を自称しており国家を名乗ったことはなかったが、この大憲章によってケロケロは正式に共和制国家として建国されたことを宣言し、名実ともに都市国家・ケロケロが成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケロケロは575年にはかえる系民族の小国家14か国との間でかえる同盟条約を結び、同盟の盟主としてかえる系民族が多く住む大陸東部地域において、かえる帝国と並ぶ地域大国となった。翌576年には、当時世界的にもまだ珍しい子どもの権利を保護するための法律として子ども基本条例を制定し、次の世代の繁栄を見据えた国家体制の改革を進める意思を明確に表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%AD&amp;diff=255</id>
		<title>かえるの街・ケロケロ</title>
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		<updated>2023-05-17T16:31:05Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 登場する作品 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:kerokero_00.jpg|thumb|right|300px|ケロケロ島遠景]]&lt;br /&gt;
〈かえるの街・ケロケロ〉あるいは単に〈ケロケロ〉は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】に登場する都市国家である。首都は国内唯一の都市、ケロケロ市。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_国旗.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ国旗]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉はケロケロ島とその周辺の島嶼部を領土とする都市国家である。政体は民選の市長と市議会を中心とする共和制を採用している。人口は10万人ほど、国土面積600㎢ほどの小さな都市国家ながら強い経済力を有し、世界有数の経済大国として国際的に知られている。唯一にして最大の都市・ケロケロ市は世界有数の貿易港であるケロケロ港を擁する経済都市であり、ケロケロの経済大国としての国際的地位を支えている。歴史的な経緯から市民のほぼ全員がケロケロ教を信仰している宗教都市としても知られており、ケロケロ島内にはケロケロ山やケロケロ神殿などのケロケロ教聖地が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国名==&lt;br /&gt;
正式名称は〈ケロケロ〉である。共和国のような政体を示す言葉は、国号には採用されていない。また、非常に紛らわしいが「ケロケロ市」は〈ケロケロ〉内に存在する都市を指す名称であり、ケロケロ市の全域が都市国家〈ケロケロ〉のほぼ全域と重なるが、これらの2つの言葉は文脈によって別の概念を指す言葉として用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かえる暦7世紀の一時期のみ、王政が敷かれていたことから〈ケロケロ王国〉を正式な国号としていた時期があるが、ケロケロ革命によって王政が倒されると国号は元の〈ケロケロ〉へと戻されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===ケロルスと彼の弟子の時代===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_01.jpg|thumb|right|200px|ケロルスの宣言]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉創設者のケロルスは、元々は〈かえる帝国〉政府の宗教部門を統括する大司教の職に就く聖職者であった。彼は改革派の司教として、ケロケロ教の役割をそれまでの権威主義的な体制から福祉を重視する民衆寄りの体制へと変化させようとしており、国民からの絶大な支持を集めていた。しかし、そうした人気を快く思わなかった皇帝ゲコ2世によって、かえる暦372年、ケロルスは政府の職をすべて解任されて都を追放されてしまった（ケロルスの追放）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追放されたケロルスは自身の支持者とともに都を離れ、皇帝と距離を置く貴族らから水面下で支援を受けつつおよそ3年間難民として各地を放浪した。375年4月、ケロルスとその一行はかつてケロケロ教の聖地として栄えながらも政治的な理由から放棄されていたケロケロ島に辿り着き、この地に理想の都を建設することを決めた。この際、ケロルスが難民たちに語った新たな都市の目指すべき理念は、ケロルスの宣言としてのちの都市国家ケロケロの基本理念となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_02.jpg|thumb|left|200px|最初の収穫祭]]&lt;br /&gt;
ケロルスは草創期のケロケロをケロケロ教の教えに基づいて統治し、ケロケロ市の建設や港湾の整備（のちのケロケロ港）などを進めていった。383年にはケロケロ教の聖地・ケロケロ山のふもとにケロケロ神殿を建設するよう指示を出したが、ケロルスは神殿の完成を見ることなく384年にこの世を去った。ケロルスの後を継いでケロケロの指導者となったのが、ケロルスの7人の直弟子たちであった。彼/彼女らは市民の「代表者」を名乗り、7人の合議によって街を運営することを宣言した（7人の代表者）。7人の代表者の時代には市街地の建設が一段落し、教育機関の設置や商店の開設などといった市民生活の水準向上が進んだ。398年にはケロケロ神殿が完成し、最初の収穫祭も開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表者はケロルスの直弟子であったことが就任の根拠であったため、代表者が亡くなりその数が減っても代表者の補充は行われなかった。そのため415年には代表者はケロウォルグただ1人となり、代表者全員が亡くなった後の体制をどうするかが問題となった。そこでケロウォルグは425年にケロウォルグ憲章を発布し、ケロルスの宣言を引用して次の世代の統治形態についての提案を行った。すなわち、市民が議員を選んだ議会が合議によって統治を行うという議会政治が、新たな政体としてふさわしいという内容である。426年にケロウォルグが亡くなると、憲章に従ってケロケロ史上初の市議会議員選挙が実施され、ケロケロ市議会が発足した。市議会は、議員の首班として市長を互選で選出し、市長と市議会が共同して街の統治にあたる第一期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一期市長制度時代===&lt;br /&gt;
初代市長となったケロティウスは、それまで宗教的な教えと慣習によって統治されていたケロケロを法律によって統治する法治主義の下の都市に変貌させるべく、430年にケロケロ法典を制定した。このケロケロ史上初の成文法典によって、ケロケロは名実ともに宗教に基づく共同体から法律に基づく共和制国家へと脱皮した。その後も、ケロティウスの後を継いだ市長たちによって、農地改革（436年～439年）、ケロケロ中央病院開設（450年）、ケロケロ市場の開市（458年）などの重要な政策が実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_07.jpg|thumb|right|200px|トカゲ海賊団の襲来]]&lt;br /&gt;
特にケロケロ市場の開市はケロケロ港を単なる貿易の中継地点から国際貿易の拠点へと発展させる契機となり、5世紀初頭からはじまっていたケロケロ港の繁栄と合わさって、ケロケロが国際的な経済立国に成長する重要な要素となった。560年代初頭までにケロケロ港の貿易取引量は世界第三位となるまでに成長し、この頃にはかつて難民が建設し始めた都市というケロケロの姿は過去のものとなるほどの成長を果たしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、572年にケロケロ島へ〈トカゲ海賊団〉が襲来すると状況は一変する。海賊団は武力を背景にしてケロケロに金銭を要求したため、自前の防衛力を持たなかったケロケロは為す術なく海賊団の要求に屈することとなった（ケロケロベイの屈辱）。これを機にケロケロでは国防力の整備が進められ、482年に商船の保護を目的とした警備部隊としてケロケロ商船団が発足した。事実上の海軍となった商船団が489年に海賊団をケロケロ島近海から撃退することに成功すると、490年にはケロケロと海賊団は正式な戦争状態に突入した（ケロトカ戦役）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争は将軍・ケロディアと参謀・ケロンの活躍もあって510年にケロケロの勝利で終結し、この結果トカゲ海賊団は壊滅した。戦後、商船団のケロケロ国内における発言力は急激に高まり、その結果商船団の全権を掌握したケロンが絶大な権力を手に入れた。ケロンは政治的な野心を隠さず、514年に軍政組織として元帥府を設置すると、517年には市議会が持つ権能を元帥府に吸収してケロケロの全権を握った。続いて518年、ケロンは自らをケロウィルムと称して国王に即位することを発表し、ケロケロ王国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王政期===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_12.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ大学]]&lt;br /&gt;
ケロウィルムは典型的な専制君主制を敷いて独裁的な政治を行ったが、王政開始当初は意外にも市民からの支持率は高かった。これはケロウィルムが市民生活の向上に力を入れ、特に娯楽関係の環境整備を熱心に行ったためであった。演劇や芸術などを奨励・振興し、国民が気軽に娯楽へアクセスできるような政策を矢継ぎ早に実行した。国歌「あぁケロケロ国民」の完成（524年）などがその典型例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、こうした王政への歓迎ムードは530年代に大きな転換点を迎えた。534年に王制を批判する論文を発表したケロケロ大学教授・ケロ＝ケローゼを王政府が拘束するケロ＝ケローゼ事件が起こると、世論は一気に反王政へと傾きはじめる。王政府が論文を理由にして教授を拘束したというのは結果としては誤解であったのだが、一度興った反王政の世論は止まることなく、翌535年にはケロケロ大学学生ストライキが発生してしまう。政府がこれを武力鎮圧したために事態はいったん沈静化したが、国民世論の潜在的な反王政感情はここで決定的に高まってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
550年、ケロケロの創設者・ケロルスを称える演劇『賢人ケロルス』が上演されると、すべての市民が平等であることを理想としたケロルスの宣言の理念を復活させようという機運が高まり、これは552年にケロケロ革命となって現実の王制打倒運動へと発展した。商船団からも離反者が続出したことで、ケロウィルムは為す術なく反王政派に捕らえられ、革命のリーダー・ケロミンによって王政の廃止と「市民が治める街・ケロケロ」の復活が宣言された。ここに34年間続いた王政の時代が終わり、第二期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_15.jpg|thumb|right|200px|かえる同盟条約の締結]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二期市長制度時代===&lt;br /&gt;
王政廃止後、暫定政府を率いたケロヴィスは大統領制を模した新たな市長制度を創設し、王政以前の市長制度と比べて権限が圧倒的に強くなった市政府を発足させた。その後ケロヴィスは正式な市長に就任すると、565年に実質的な憲法であるケロケロ大憲章を制定して、ケロケロの国家としての骨格を整えた。大憲章以前のケロケロは、実態は別として建前上は都市を自称しており国家を名乗ったことはなかったが、この大憲章によってケロケロは正式に共和制国家として建国されたことを宣言し、名実ともに都市国家・ケロケロが成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケロケロは575年にはかえる系民族の小国家14か国との間でかえる同盟条約を結び、同盟の盟主としてかえる系民族が多く住む大陸東部地域において、かえる帝国と並ぶ地域大国となった。翌576年には、当時世界的にもまだ珍しい子どもの権利を保護するための法律として子ども基本条例を制定し、次の世代の繁栄を見据えた国家体制の改革を進める意思を明確に表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_とんまぬ.jpg|thumb|left|200px|かえるの着ぐるみを着たとんちきとろん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%AD&amp;diff=254</id>
		<title>かえるの街・ケロケロ</title>
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		<updated>2023-05-17T16:30:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 登場する作品 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:kerokero_00.jpg|thumb|right|300px|ケロケロ島遠景]]&lt;br /&gt;
〈かえるの街・ケロケロ〉あるいは単に〈ケロケロ〉は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】に登場する都市国家である。首都は国内唯一の都市、ケロケロ市。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_国旗.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ国旗]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉はケロケロ島とその周辺の島嶼部を領土とする都市国家である。政体は民選の市長と市議会を中心とする共和制を採用している。人口は10万人ほど、国土面積600㎢ほどの小さな都市国家ながら強い経済力を有し、世界有数の経済大国として国際的に知られている。唯一にして最大の都市・ケロケロ市は世界有数の貿易港であるケロケロ港を擁する経済都市であり、ケロケロの経済大国としての国際的地位を支えている。歴史的な経緯から市民のほぼ全員がケロケロ教を信仰している宗教都市としても知られており、ケロケロ島内にはケロケロ山やケロケロ神殿などのケロケロ教聖地が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国名==&lt;br /&gt;
正式名称は〈ケロケロ〉である。共和国のような政体を示す言葉は、国号には採用されていない。また、非常に紛らわしいが「ケロケロ市」は〈ケロケロ〉内に存在する都市を指す名称であり、ケロケロ市の全域が都市国家〈ケロケロ〉のほぼ全域と重なるが、これらの2つの言葉は文脈によって別の概念を指す言葉として用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かえる暦7世紀の一時期のみ、王政が敷かれていたことから〈ケロケロ王国〉を正式な国号としていた時期があるが、ケロケロ革命によって王政が倒されると国号は元の〈ケロケロ〉へと戻されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===ケロルスと彼の弟子の時代===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_01.jpg|thumb|right|200px|ケロルスの宣言]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉創設者のケロルスは、元々は〈かえる帝国〉政府の宗教部門を統括する大司教の職に就く聖職者であった。彼は改革派の司教として、ケロケロ教の役割をそれまでの権威主義的な体制から福祉を重視する民衆寄りの体制へと変化させようとしており、国民からの絶大な支持を集めていた。しかし、そうした人気を快く思わなかった皇帝ゲコ2世によって、かえる暦372年、ケロルスは政府の職をすべて解任されて都を追放されてしまった（ケロルスの追放）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追放されたケロルスは自身の支持者とともに都を離れ、皇帝と距離を置く貴族らから水面下で支援を受けつつおよそ3年間難民として各地を放浪した。375年4月、ケロルスとその一行はかつてケロケロ教の聖地として栄えながらも政治的な理由から放棄されていたケロケロ島に辿り着き、この地に理想の都を建設することを決めた。この際、ケロルスが難民たちに語った新たな都市の目指すべき理念は、ケロルスの宣言としてのちの都市国家ケロケロの基本理念となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_02.jpg|thumb|left|200px|最初の収穫祭]]&lt;br /&gt;
ケロルスは草創期のケロケロをケロケロ教の教えに基づいて統治し、ケロケロ市の建設や港湾の整備（のちのケロケロ港）などを進めていった。383年にはケロケロ教の聖地・ケロケロ山のふもとにケロケロ神殿を建設するよう指示を出したが、ケロルスは神殿の完成を見ることなく384年にこの世を去った。ケロルスの後を継いでケロケロの指導者となったのが、ケロルスの7人の直弟子たちであった。彼/彼女らは市民の「代表者」を名乗り、7人の合議によって街を運営することを宣言した（7人の代表者）。7人の代表者の時代には市街地の建設が一段落し、教育機関の設置や商店の開設などといった市民生活の水準向上が進んだ。398年にはケロケロ神殿が完成し、最初の収穫祭も開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表者はケロルスの直弟子であったことが就任の根拠であったため、代表者が亡くなりその数が減っても代表者の補充は行われなかった。そのため415年には代表者はケロウォルグただ1人となり、代表者全員が亡くなった後の体制をどうするかが問題となった。そこでケロウォルグは425年にケロウォルグ憲章を発布し、ケロルスの宣言を引用して次の世代の統治形態についての提案を行った。すなわち、市民が議員を選んだ議会が合議によって統治を行うという議会政治が、新たな政体としてふさわしいという内容である。426年にケロウォルグが亡くなると、憲章に従ってケロケロ史上初の市議会議員選挙が実施され、ケロケロ市議会が発足した。市議会は、議員の首班として市長を互選で選出し、市長と市議会が共同して街の統治にあたる第一期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一期市長制度時代===&lt;br /&gt;
初代市長となったケロティウスは、それまで宗教的な教えと慣習によって統治されていたケロケロを法律によって統治する法治主義の下の都市に変貌させるべく、430年にケロケロ法典を制定した。このケロケロ史上初の成文法典によって、ケロケロは名実ともに宗教に基づく共同体から法律に基づく共和制国家へと脱皮した。その後も、ケロティウスの後を継いだ市長たちによって、農地改革（436年～439年）、ケロケロ中央病院開設（450年）、ケロケロ市場の開市（458年）などの重要な政策が実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_07.jpg|thumb|right|200px|トカゲ海賊団の襲来]]&lt;br /&gt;
特にケロケロ市場の開市はケロケロ港を単なる貿易の中継地点から国際貿易の拠点へと発展させる契機となり、5世紀初頭からはじまっていたケロケロ港の繁栄と合わさって、ケロケロが国際的な経済立国に成長する重要な要素となった。560年代初頭までにケロケロ港の貿易取引量は世界第三位となるまでに成長し、この頃にはかつて難民が建設し始めた都市というケロケロの姿は過去のものとなるほどの成長を果たしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、572年にケロケロ島へ〈トカゲ海賊団〉が襲来すると状況は一変する。海賊団は武力を背景にしてケロケロに金銭を要求したため、自前の防衛力を持たなかったケロケロは為す術なく海賊団の要求に屈することとなった（ケロケロベイの屈辱）。これを機にケロケロでは国防力の整備が進められ、482年に商船の保護を目的とした警備部隊としてケロケロ商船団が発足した。事実上の海軍となった商船団が489年に海賊団をケロケロ島近海から撃退することに成功すると、490年にはケロケロと海賊団は正式な戦争状態に突入した（ケロトカ戦役）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争は将軍・ケロディアと参謀・ケロンの活躍もあって510年にケロケロの勝利で終結し、この結果トカゲ海賊団は壊滅した。戦後、商船団のケロケロ国内における発言力は急激に高まり、その結果商船団の全権を掌握したケロンが絶大な権力を手に入れた。ケロンは政治的な野心を隠さず、514年に軍政組織として元帥府を設置すると、517年には市議会が持つ権能を元帥府に吸収してケロケロの全権を握った。続いて518年、ケロンは自らをケロウィルムと称して国王に即位することを発表し、ケロケロ王国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王政期===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_12.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ大学]]&lt;br /&gt;
ケロウィルムは典型的な専制君主制を敷いて独裁的な政治を行ったが、王政開始当初は意外にも市民からの支持率は高かった。これはケロウィルムが市民生活の向上に力を入れ、特に娯楽関係の環境整備を熱心に行ったためであった。演劇や芸術などを奨励・振興し、国民が気軽に娯楽へアクセスできるような政策を矢継ぎ早に実行した。国歌「あぁケロケロ国民」の完成（524年）などがその典型例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、こうした王政への歓迎ムードは530年代に大きな転換点を迎えた。534年に王制を批判する論文を発表したケロケロ大学教授・ケロ＝ケローゼを王政府が拘束するケロ＝ケローゼ事件が起こると、世論は一気に反王政へと傾きはじめる。王政府が論文を理由にして教授を拘束したというのは結果としては誤解であったのだが、一度興った反王政の世論は止まることなく、翌535年にはケロケロ大学学生ストライキが発生してしまう。政府がこれを武力鎮圧したために事態はいったん沈静化したが、国民世論の潜在的な反王政感情はここで決定的に高まってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
550年、ケロケロの創設者・ケロルスを称える演劇『賢人ケロルス』が上演されると、すべての市民が平等であることを理想としたケロルスの宣言の理念を復活させようという機運が高まり、これは552年にケロケロ革命となって現実の王制打倒運動へと発展した。商船団からも離反者が続出したことで、ケロウィルムは為す術なく反王政派に捕らえられ、革命のリーダー・ケロミンによって王政の廃止と「市民が治める街・ケロケロ」の復活が宣言された。ここに34年間続いた王政の時代が終わり、第二期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_15.jpg|thumb|right|200px|かえる同盟条約の締結]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二期市長制度時代===&lt;br /&gt;
王政廃止後、暫定政府を率いたケロヴィスは大統領制を模した新たな市長制度を創設し、王政以前の市長制度と比べて権限が圧倒的に強くなった市政府を発足させた。その後ケロヴィスは正式な市長に就任すると、565年に実質的な憲法であるケロケロ大憲章を制定して、ケロケロの国家としての骨格を整えた。大憲章以前のケロケロは、実態は別として建前上は都市を自称しており国家を名乗ったことはなかったが、この大憲章によってケロケロは正式に共和制国家として建国されたことを宣言し、名実ともに都市国家・ケロケロが成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケロケロは575年にはかえる系民族の小国家14か国との間でかえる同盟条約を結び、同盟の盟主としてかえる系民族が多く住む大陸東部地域において、かえる帝国と並ぶ地域大国となった。翌576年には、当時世界的にもまだ珍しい子どもの権利を保護するための法律として子ども基本条例を制定し、次の世代の繁栄を見据えた国家体制の改革を進める意思を明確に表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_とんまぬ.jpg|thumb|right|200px|かえるの着ぐるみを着たとんちきとろん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%AC.jpg&amp;diff=253</id>
		<title>ファイル:Kerokero とんまぬ.jpg</title>
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		<updated>2023-05-17T16:30:02Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%AD&amp;diff=251</id>
		<title>かえるの街・ケロケロ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%AD&amp;diff=251"/>
		<updated>2023-05-17T16:24:56Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:kerokero_00.jpg|thumb|right|300px|ケロケロ島遠景]]&lt;br /&gt;
〈かえるの街・ケロケロ〉あるいは単に〈ケロケロ〉は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】に登場する都市国家である。首都は国内唯一の都市、ケロケロ市。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_国旗.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ国旗]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉はケロケロ島とその周辺の島嶼部を領土とする都市国家である。政体は民選の市長と市議会を中心とする共和制を採用している。人口は10万人ほど、国土面積600㎢ほどの小さな都市国家ながら強い経済力を有し、世界有数の経済大国として国際的に知られている。唯一にして最大の都市・ケロケロ市は世界有数の貿易港であるケロケロ港を擁する経済都市であり、ケロケロの経済大国としての国際的地位を支えている。歴史的な経緯から市民のほぼ全員がケロケロ教を信仰している宗教都市としても知られており、ケロケロ島内にはケロケロ山やケロケロ神殿などのケロケロ教聖地が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国名==&lt;br /&gt;
正式名称は〈ケロケロ〉である。共和国のような政体を示す言葉は、国号には採用されていない。また、非常に紛らわしいが「ケロケロ市」は〈ケロケロ〉内に存在する都市を指す名称であり、ケロケロ市の全域が都市国家〈ケロケロ〉のほぼ全域と重なるが、これらの2つの言葉は文脈によって別の概念を指す言葉として用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かえる暦7世紀の一時期のみ、王政が敷かれていたことから〈ケロケロ王国〉を正式な国号としていた時期があるが、ケロケロ革命によって王政が倒されると国号は元の〈ケロケロ〉へと戻されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===ケロルスと彼の弟子の時代===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_01.jpg|thumb|right|200px|ケロルスの宣言]]&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉創設者のケロルスは、元々は〈かえる帝国〉政府の宗教部門を統括する大司教の職に就く聖職者であった。彼は改革派の司教として、ケロケロ教の役割をそれまでの権威主義的な体制から福祉を重視する民衆寄りの体制へと変化させようとしており、国民からの絶大な支持を集めていた。しかし、そうした人気を快く思わなかった皇帝ゲコ2世によって、かえる暦372年、ケロルスは政府の職をすべて解任されて都を追放されてしまった（ケロルスの追放）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追放されたケロルスは自身の支持者とともに都を離れ、皇帝と距離を置く貴族らから水面下で支援を受けつつおよそ3年間難民として各地を放浪した。375年4月、ケロルスとその一行はかつてケロケロ教の聖地として栄えながらも政治的な理由から放棄されていたケロケロ島に辿り着き、この地に理想の都を建設することを決めた。この際、ケロルスが難民たちに語った新たな都市の目指すべき理念は、ケロルスの宣言としてのちの都市国家ケロケロの基本理念となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_02.jpg|thumb|left|200px|最初の収穫祭]]&lt;br /&gt;
ケロルスは草創期のケロケロをケロケロ教の教えに基づいて統治し、ケロケロ市の建設や港湾の整備（のちのケロケロ港）などを進めていった。383年にはケロケロ教の聖地・ケロケロ山のふもとにケロケロ神殿を建設するよう指示を出したが、ケロルスは神殿の完成を見ることなく384年にこの世を去った。ケロルスの後を継いでケロケロの指導者となったのが、ケロルスの7人の直弟子たちであった。彼/彼女らは市民の「代表者」を名乗り、7人の合議によって街を運営することを宣言した（7人の代表者）。7人の代表者の時代には市街地の建設が一段落し、教育機関の設置や商店の開設などといった市民生活の水準向上が進んだ。398年にはケロケロ神殿が完成し、最初の収穫祭も開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表者はケロルスの直弟子であったことが就任の根拠であったため、代表者が亡くなりその数が減っても代表者の補充は行われなかった。そのため415年には代表者はケロウォルグただ1人となり、代表者全員が亡くなった後の体制をどうするかが問題となった。そこでケロウォルグは425年にケロウォルグ憲章を発布し、ケロルスの宣言を引用して次の世代の統治形態についての提案を行った。すなわち、市民が議員を選んだ議会が合議によって統治を行うという議会政治が、新たな政体としてふさわしいという内容である。426年にケロウォルグが亡くなると、憲章に従ってケロケロ史上初の市議会議員選挙が実施され、ケロケロ市議会が発足した。市議会は、議員の首班として市長を互選で選出し、市長と市議会が共同して街の統治にあたる第一期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一期市長制度時代===&lt;br /&gt;
初代市長となったケロティウスは、それまで宗教的な教えと慣習によって統治されていたケロケロを法律によって統治する法治主義の下の都市に変貌させるべく、430年にケロケロ法典を制定した。このケロケロ史上初の成文法典によって、ケロケロは名実ともに宗教に基づく共同体から法律に基づく共和制国家へと脱皮した。その後も、ケロティウスの後を継いだ市長たちによって、農地改革（436年～439年）、ケロケロ中央病院開設（450年）、ケロケロ市場の開市（458年）などの重要な政策が実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_07.jpg|thumb|right|200px|トカゲ海賊団の襲来]]&lt;br /&gt;
特にケロケロ市場の開市はケロケロ港を単なる貿易の中継地点から国際貿易の拠点へと発展させる契機となり、5世紀初頭からはじまっていたケロケロ港の繁栄と合わさって、ケロケロが国際的な経済立国に成長する重要な要素となった。560年代初頭までにケロケロ港の貿易取引量は世界第三位となるまでに成長し、この頃にはかつて難民が建設し始めた都市というケロケロの姿は過去のものとなるほどの成長を果たしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、572年にケロケロ島へ〈トカゲ海賊団〉が襲来すると状況は一変する。海賊団は武力を背景にしてケロケロに金銭を要求したため、自前の防衛力を持たなかったケロケロは為す術なく海賊団の要求に屈することとなった（ケロケロベイの屈辱）。これを機にケロケロでは国防力の整備が進められ、482年に商船の保護を目的とした警備部隊としてケロケロ商船団が発足した。事実上の海軍となった商船団が489年に海賊団をケロケロ島近海から撃退することに成功すると、490年にはケロケロと海賊団は正式な戦争状態に突入した（ケロトカ戦役）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争は将軍・ケロディアと参謀・ケロンの活躍もあって510年にケロケロの勝利で終結し、この結果トカゲ海賊団は壊滅した。戦後、商船団のケロケロ国内における発言力は急激に高まり、その結果商船団の全権を掌握したケロンが絶大な権力を手に入れた。ケロンは政治的な野心を隠さず、514年に軍政組織として元帥府を設置すると、517年には市議会が持つ権能を元帥府に吸収してケロケロの全権を握った。続いて518年、ケロンは自らをケロウィルムと称して国王に即位することを発表し、ケロケロ王国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王政期===&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_12.jpg|thumb|right|200px|ケロケロ大学]]&lt;br /&gt;
ケロウィルムは典型的な専制君主制を敷いて独裁的な政治を行ったが、王政開始当初は意外にも市民からの支持率は高かった。これはケロウィルムが市民生活の向上に力を入れ、特に娯楽関係の環境整備を熱心に行ったためであった。演劇や芸術などを奨励・振興し、国民が気軽に娯楽へアクセスできるような政策を矢継ぎ早に実行した。国歌「あぁケロケロ国民」の完成（524年）などがその典型例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、こうした王政への歓迎ムードは530年代に大きな転換点を迎えた。534年に王制を批判する論文を発表したケロケロ大学教授・ケロ＝ケローゼを王政府が拘束するケロ＝ケローゼ事件が起こると、世論は一気に反王政へと傾きはじめる。王政府が論文を理由にして教授を拘束したというのは結果としては誤解であったのだが、一度興った反王政の世論は止まることなく、翌535年にはケロケロ大学学生ストライキが発生してしまう。政府がこれを武力鎮圧したために事態はいったん沈静化したが、国民世論の潜在的な反王政感情はここで決定的に高まってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
550年、ケロケロの創設者・ケロルスを称える演劇『賢人ケロルス』が上演されると、すべての市民が平等であることを理想としたケロルスの宣言の理念を復活させようという機運が高まり、これは552年にケロケロ革命となって現実の王制打倒運動へと発展した。商船団からも離反者が続出したことで、ケロウィルムは為す術なく反王政派に捕らえられ、革命のリーダー・ケロミンによって王政の廃止と「市民が治める街・ケロケロ」の復活が宣言された。ここに34年間続いた王政の時代が終わり、第二期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
[[ファイル:kerokero_15.jpg|thumb|right|200px|かえる同盟条約の締結]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二期市長制度時代===&lt;br /&gt;
王政廃止後、暫定政府を率いたケロヴィスは大統領制を模した新たな市長制度を創設し、王政以前の市長制度と比べて権限が圧倒的に強くなった市政府を発足させた。その後ケロヴィスは正式な市長に就任すると、565年に実質的な憲法であるケロケロ大憲章を制定して、ケロケロの国家としての骨格を整えた。大憲章以前のケロケロは、実態は別として建前上は都市を自称しており国家を名乗ったことはなかったが、この大憲章によってケロケロは正式に共和制国家として建国されたことを宣言し、名実ともに都市国家・ケロケロが成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケロケロは575年にはかえる系民族の小国家14か国との間でかえる同盟条約を結び、同盟の盟主としてかえる系民族が多く住む大陸東部地域において、かえる帝国と並ぶ地域大国となった。翌576年には、当時世界的にもまだ珍しい子どもの権利を保護するための法律として子ども基本条例を制定し、次の世代の繁栄を見据えた国家体制の改革を進める意思を明確に表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_12.jpg&amp;diff=250</id>
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&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<updated>2023-05-17T16:13:48Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: 太田剛気 が ファイル:Kerokero 00.jpg の新しいバージョンをアップロードしました&lt;/p&gt;
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		<updated>2023-05-17T16:07:24Z</updated>

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		<title>かえるの街・ケロケロ</title>
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		<updated>2023-05-17T15:45:24Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: ページの作成:「ケロケロ国旗 〈かえるの街・ケロケロ〉あるいは単に〈ケロケロ〉は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】に登場する都市国家である。首都は国内唯一の都市、ケロケロ市。  ==概要== 〈ケロケロ〉はケロケロ島とその周辺の島嶼部を領土とする都市国家である。政体は民選の市…」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:kerokero_国旗.jpg|thumb|right|300px|ケロケロ国旗]]&lt;br /&gt;
〈かえるの街・ケロケロ〉あるいは単に〈ケロケロ〉は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】に登場する都市国家である。首都は国内唯一の都市、ケロケロ市。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉はケロケロ島とその周辺の島嶼部を領土とする都市国家である。政体は民選の市長と市議会を中心とする共和制を採用している。人口は10万人ほど、国土面積600㎢ほどの小さな都市国家ながら強い経済力を有し、世界有数の経済大国として国際的に知られている。唯一にして最大の都市・ケロケロ市は世界有数の貿易港であるケロケロ港を擁する経済都市であり、ケロケロの経済大国としての国際的地位を支えている。歴史的な経緯から市民のほぼ全員がケロケロ教を信仰している宗教都市としても知られており、ケロケロ島内にはケロケロ山やケロケロ神殿などのケロケロ教聖地が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国名==&lt;br /&gt;
正式名称は〈ケロケロ〉である。共和国のような政体を示す言葉は、国号には採用されていない。また、非常に紛らわしいが「ケロケロ市」は〈ケロケロ〉内に存在する都市を指す名称であり、ケロケロ市の全域が都市国家〈ケロケロ〉のほぼ全域と重なるが、これらの2つの言葉は文脈によって別の概念を指す言葉として用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かえる暦7世紀の一時期のみ、王政が敷かれていたことから〈ケロケロ王国〉を正式な国号としていた時期があるが、ケロケロ革命によって王政が倒されると国号は元の〈ケロケロ〉へと戻されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===ケロルスと彼の弟子の時代===&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉創設者のケロルスは、元々は〈かえる帝国〉政府の宗教部門を統括する大司教の職に就く聖職者であった。彼は改革派の司教として、ケロケロ教の役割をそれまでの権威主義的な体制から福祉を重視する民衆寄りの体制へと変化させようとしており、国民からの絶大な支持を集めていた。しかし、そうした人気を快く思わなかった皇帝ゲコ2世によって、かえる暦372年、ケロルスは政府の職をすべて解任されて都を追放されてしまった（ケロルスの追放）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追放されたケロルスは自身の支持者とともに都を離れ、皇帝と距離を置く貴族らから水面下で支援を受けつつおよそ3年間難民として各地を放浪した。375年4月、ケロルスとその一行はかつてケロケロ教の聖地として栄えながらも政治的な理由から放棄されていたケロケロ島に辿り着き、この地に理想の都を建設することを決めた。この際、ケロルスが難民たちに語った新たな都市の目指すべき理念は、ケロルスの宣言としてのちの都市国家ケロケロの基本理念となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケロルスは草創期のケロケロをケロケロ教の教えに基づいて統治し、ケロケロ市の建設や港湾の整備（のちのケロケロ港）などを進めていった。383年にはケロケロ教の聖地・ケロケロ山のふもとにケロケロ神殿を建設するよう指示を出したが、ケロルスは神殿の完成を見ることなく384年にこの世を去った。ケロルスの後を継いでケロケロの指導者となったのが、ケロルスの7人の直弟子たちであった。彼/彼女らは市民の「代表者」を名乗り、7人の合議によって街を運営することを宣言した（7人の代表者）。7人の代表者の時代には市街地の建設が一段落し、教育機関の設置や商店の開設などといった市民生活の水準向上が進んだ。398年にはケロケロ神殿が完成し、最初の収穫祭も開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表者はケロルスの直弟子であったことが就任の根拠であったため、代表者が亡くなりその数が減っても代表者の補充は行われなかった。そのため415年には代表者はケロウォルグただ1人となり、代表者全員が亡くなった後の体制をどうするかが問題となった。そこでケロウォルグは425年にケロウォルグ憲章を発布し、ケロルスの宣言を引用して次の世代の統治形態についての提案を行った。すなわち、市民が議員を選んだ議会が合議によって統治を行うという議会政治が、新たな政体としてふさわしいという内容である。426年にケロウォルグが亡くなると、憲章に従ってケロケロ史上初の市議会議員選挙が実施され、ケロケロ市議会が発足した。市議会は、議員の首班として市長を互選で選出し、市長と市議会が共同して街の統治にあたる第一期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一期市長制度時代===&lt;br /&gt;
初代市長となったケロティウスは、それまで宗教的な教えと慣習によって統治されていたケロケロを法律によって統治する法治主義の下の都市に変貌させるべく、430年にケロケロ法典を制定した。このケロケロ史上初の成文法典によって、ケロケロは名実ともに宗教に基づく共同体から法律に基づく共和制国家へと脱皮した。その後も、ケロティウスの後を継いだ市長たちによって、農地改革（436年～439年）、ケロケロ中央病院開設（450年）、ケロケロ市場の開市（458年）などの重要な政策が実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特にケロケロ市場の開市はケロケロ港を単なる貿易の中継地点から国際貿易の拠点へと発展させる契機となり、5世紀初頭からはじまっていたケロケロ港の繁栄と合わさって、ケロケロが国際的な経済立国に成長する重要な要素となった。560年代初頭までにケロケロ港の貿易取引量は世界第三位となるまでに成長し、この頃にはかつて難民が建設し始めた都市というケロケロの姿は過去のものとなるほどの成長を果たしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、572年にケロケロ島へ〈トカゲ海賊団〉が襲来すると状況は一変する。海賊団は武力を背景にしてケロケロに金銭を要求したため、自前の防衛力を持たなかったケロケロは為す術なく海賊団の要求に屈することとなった（ケロケロベイの屈辱）。これを機にケロケロでは国防力の整備が進められ、482年に商船の保護を目的とした警備部隊としてケロケロ商船団が発足した。事実上の海軍となった商船団が489年に海賊団をケロケロ島近海から撃退することに成功すると、490年にはケロケロと海賊団は正式な戦争状態に突入した（ケロトカ戦役）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争は将軍・ケロディアと参謀・ケロンの活躍もあって510年にケロケロの勝利で終結し、この結果トカゲ海賊団は壊滅した。戦後、商船団のケロケロ国内における発言力は急激に高まり、その結果商船団の全権を掌握したケロンが絶大な権力を手に入れた。ケロンは政治的な野心を隠さず、514年に軍政組織として元帥府を設置すると、517年には市議会が持つ権能を元帥府に吸収してケロケロの全権を握った。続いて518年、ケロンは自らをケロウィルムと称して国王に即位することを発表し、ケロケロ王国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王政期===&lt;br /&gt;
ケロウィルムは典型的な専制君主制を敷いて独裁的な政治を行ったが、王政開始当初は意外にも市民からの支持率は高かった。これはケロウィルムが市民生活の向上に力を入れ、特に娯楽関係の環境整備を熱心に行ったためであった。演劇や芸術などを奨励・振興し、国民が気軽に娯楽へアクセスできるような政策を矢継ぎ早に実行した。国歌「あぁケロケロ国民」の完成（524年）などがその典型例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、こうした王政への歓迎ムードは530年代に大きな転換点を迎えた。534年に王制を批判する論文を発表したケロケロ大学教授・ケロ＝ケローゼを王政府が拘束するケロ＝ケローゼ事件が起こると、世論は一気に反王政へと傾きはじめる。王政府が論文を理由にして教授を拘束したというのは結果としては誤解であったのだが、一度興った反王政の世論は止まることなく、翌535年にはケロケロ大学学生ストライキが発生してしまう。政府がこれを武力鎮圧したために事態はいったん沈静化したが、国民世論の潜在的な反王政感情はここで決定的に高まってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
550年、ケロケロの創設者・ケロルスを称える演劇『賢人ケロルス』が上演されると、すべての市民が平等であることを理想としたケロルスの宣言の理念を復活させようという機運が高まり、これは552年にケロケロ革命となって現実の王制打倒運動へと発展した。商船団からも離反者が続出したことで、ケロウィルムは為す術なく反王政派に捕らえられ、革命のリーダー・ケロミンによって王政の廃止と「市民が治める街・ケロケロ」の復活が宣言された。ここに34年間続いた王政の時代が終わり、第二期市長制度時代がはじまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二期市長制度時代===&lt;br /&gt;
王政廃止後、暫定政府を率いたケロヴィスは大統領制を模した新たな市長制度を創設し、王政以前の市長制度と比べて権限が圧倒的に強くなった市政府を発足させた。その後ケロヴィスは正式な市長に就任すると、565年に実質的な憲法であるケロケロ大憲章を制定して、ケロケロの国家としての骨格を整えた。大憲章以前のケロケロは、実態は別として建前上は都市を自称しており国家を名乗ったことはなかったが、この大憲章によってケロケロは正式に共和制国家として建国されたことを宣言し、名実ともに都市国家・ケロケロが成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケロケロは575年にはかえる系民族の小国家14か国との間でかえる同盟条約を結び、同盟の盟主としてかえる系民族が多く住む大陸東部地域において、かえる帝国と並ぶ地域大国となった。翌576年には、当時世界的にもまだ珍しい子どもの権利を保護するための法律として子ども基本条例を制定し、次の世代の繁栄を見据えた国家体制の改革を進める意思を明確に表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_%E5%9B%BD%E6%97%97.jpg&amp;diff=241</id>
		<title>ファイル:Kerokero 国旗.jpg</title>
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		<updated>2023-05-17T15:37:17Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
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		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%ACWIKI%E3%81%B8%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D!!&amp;diff=240</id>
		<title>とんまぬWIKIへようこそ!!</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%ACWIKI%E3%81%B8%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D!!&amp;diff=240"/>
		<updated>2023-05-17T06:36:40Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
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    &amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;u&amp;gt;&amp;lt;font size=&amp;quot;5&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;center&amp;gt;&amp;lt;strong&amp;gt;とんまぬWIKIは、【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】についての情報サイトです。&amp;lt;/strong&amp;gt;&amp;lt;/center&amp;gt;&amp;lt;/font&amp;gt;&amp;lt;/u&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;font size=&amp;quot;3&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;center&amp;gt;初めての方は、まず[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]をご覧ください。&amp;lt;/center&amp;gt;&amp;lt;/font&amp;gt;&amp;lt;/p&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Top image.jpg|border|left|550px|とんちき坊や(左)とまぬけのろん(右)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==・【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】作品一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |数&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |タイトル&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |表現形式&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |制作年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |[[【とんちき坊やとぬっしーの湖】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |アニメーション&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |2021年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |0&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;| [[【とんちき坊やといるか島の国】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |絵画&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; | 2021年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |1&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;| [[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |絵本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; | 2021年～2022年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |2&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;| [[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |連作絵画・本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; | 2022年～2023年&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==・ 基本用語==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&amp;lt;/br&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[とんちき坊や]]&amp;lt;/br&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[まぬけのろん]]&amp;lt;/br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=all&amp;gt;&lt;br /&gt;
--------&lt;br /&gt;
===ニュース===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022.02.08　とんまぬWIKI、開設。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%ACWIKI%E3%81%B8%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D!!&amp;diff=239</id>
		<title>とんまぬWIKIへようこそ!!</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%ACWIKI%E3%81%B8%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D!!&amp;diff=239"/>
		<updated>2023-05-17T06:36:09Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&amp;lt;font size=&amp;quot;3&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;center&amp;gt;初めての方は、まず[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]をご覧ください。&amp;lt;/center&amp;gt;&amp;lt;/font&amp;gt;&amp;lt;/p&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Top image.jpg|border|left|600px|とんちき坊や(左)とまぬけのろん(右)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==・【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】作品一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |数&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |タイトル&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |表現形式&lt;br /&gt;
! style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |制作年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |[[【とんちき坊やとぬっしーの湖】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |アニメーション&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |0&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;| [[【とんちき坊やといるか島の国】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |絵画&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; | 2021年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |1&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;| [[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |絵本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; | 2021年～2022年&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |2&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;| [[【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; |連作絵画・本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot; | 2022年～2023年&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==・ 基本用語==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&amp;lt;/br&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[とんちき坊や]]&amp;lt;/br&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[まぬけのろん]]&amp;lt;/br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=all&amp;gt;&lt;br /&gt;
--------&lt;br /&gt;
===ニュース===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022.02.08　とんまぬWIKI、開設。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%80%91&amp;diff=238</id>
		<title>【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%80%91&amp;diff=238"/>
		<updated>2023-05-17T06:35:20Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: ページの作成:「タイトル 【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】の作品の一つ。制作年は2022年～2023年。シリーズ第2作目にあたる。  ==概要== 本作は、16点の絵画作品と各作品に描かれた歴史的出来事を解説する文章で構成されている。この絵画と…」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:kerokero_book cover.jpg|thumb|right|200px|タイトル]]&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ】は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]の作品の一つ。制作年は2022年～2023年。シリーズ第2作目にあたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
本作は、16点の絵画作品と各作品に描かれた歴史的出来事を解説する文章で構成されている。この絵画と文章は、本形式の作品『とんちき坊やとかえるの街・ケロケロ　絵画で楽しむケロケロ200年の歴史』（以下、『ケロケロ200年の歴史』）にまとめられている。前作【とんちき坊やとなすび王の国】とは違い、絵本形式ではなく絵画そのもので歴史の流れを表現する叙事詩的な作品形式を採っている。そのため、主役であるとんちき坊やとまぬけのろんも作中の出来事にどのように関わったのかは具体的な物語としては明示されておらず、代わりにかえるの街・ケロケロの歴史的な出来事を「見届ける」役割を担っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵画による叙事詩的な作品というアイデアの源となったのは、アルフォンス・ミュシャの作品『スラブ叙事詩』である。作者の太田は、スラブ叙事詩による歴史をモチーフとした作品表現を、かわいい絵柄でデフォルメして表現することを模索して本作を制作したと語っている。本作では、困難な時代からはじまって繁栄の未来へとつながる民族の歴史が、連作絵画の形式で表現されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==かえるの街・ケロケロ==&lt;br /&gt;
[[file:kerokero_06.jpg|thumb|230px|ケロケロ第二市場の様子]]&lt;br /&gt;
詳細は[[かえるの街・ケロケロ]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈ケロケロ〉は、本作の舞台となった都市国家である。元々は〈かえる帝国〉から追放されたケロケロ系かえる族の政治難民たちがケロケロ島に定住して成立した共同体であったが、やがて貿易都市として国際社会に台頭し、成立からおよそ200年ほどで列強国家の一角となるまでに成長した。成立当初は、創設者であるケロケロ教の聖職者・ケロルスとその弟子を中心にした宗教国家であったが、彼/彼女らがこの世を去って以降は一部の時期を除いて市長を中心とする共和制の政体を採用している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
領土はケロケロ島とその周辺の島嶼部のみであり、ケロケロ島には国内唯一の都市であるケロケロ市が存在する。ケロケロ市は世界有数の貿易港であるケロケロ港を抱えており、このケロケロ港の繁栄がケロケロの経済大国としての地位を支えている。当初は中継貿易を中心とする経済構造であったが、後年にはケロケロ市場が開かれて世界中の物品を取引する巨大市場に発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文化面ではケロケロ教の影響を強く受けており、ケロケロ島内にはケロケロ山やケロケロ神殿などの宗教上の聖地が存在する。毎年恒例の収穫祭は宗教的な祭祀であると同時にケロケロ市民にとっての最大の娯楽の1つであり、例年国中をあげて盛大に開催されている。市民のほぼ全員がケロケロ教を信仰しており、日常生活の細かな所に至るまでケロケロ教の教えが浸透している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==作中の主な出来事==&lt;br /&gt;
詳細は[[かえるの街・ケロケロ|歴史]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ケロルスの宣言===&lt;br /&gt;
ケロルスの宣言とは、ケロケロの創設者・大司教ケロルスが発したケロケロ建国の理念、およびそれを発したことそのものを指す歴史用語である。かえる暦375年、ケロルスを中心とする難民たちがケロケロ島に到着した際に発された。この宣言はケロケロについて、①ケロケロ教を信仰する人たちのための街であること、②階級のない平等な社会であること、③市民が共同してつくりあげる街であることの３つを定めている。ケロケロという都市国家の基礎をなす理念であり、この宣言が発された日を以てケロケロ建国の日であるとされている。&lt;br /&gt;
===ケロケロ法典の発布===&lt;br /&gt;
ケロルスとその弟子たちが亡くなった後、選挙で選ばれた市議会議員とその首班である市長がケロケロを治める第一期市長制度時代がはじまった。その初代市長に就任したケロティウスは、それまでのケロケロの慣習や統治についてのルールを明文化させたケロケロ法典を制定した。それまでのケロケロ教の教えを法律として街を運営していた時代から、法治主義に基づく統治へと切り替わったという意味で、ケロケロ法典制定はケロケロの歴史において重要な意味を持つ出来事となった。&lt;br /&gt;
===ケロトカ戦争===&lt;br /&gt;
トカゲ海賊団がケロケロ島へと襲来したことで勃発した、ケロケロ史上初の対外戦争。この戦いをきっかけにしてケロケロは海軍力を整え、自力で国土を防衛する能力を獲得した。戦いはケロケロの勝利で終わり、ケロケロの国際的な地位も向上した。&lt;br /&gt;
===王政期===&lt;br /&gt;
ケロトカ戦争終結後、ケロケロでは商船団（海軍）を掌握したケロンが王政の開始を宣言し、ケロウィルムを称してケロケロ王国の建国を宣言した。当初こそ国王による統治は好評であったが、やがて強権的な王政への反発が強まり、ケロケロ革命によって元の共和制へと戻った。&lt;br /&gt;
===かえる同盟の成立===&lt;br /&gt;
ケロケロが他国と本格的な同盟関係を結び、領域国家へと発展するきっかけとなった出来事。経済力と軍事力が成長した結果ケロケロは大陸東部の地域大国となって、名実ともに列強としての地位を確立した。ケロルスの宣言からちょうど200周年にあたる年の出来事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery widths=300px heights=300px mode=traditional&amp;gt;&lt;br /&gt;
file:kerokero_01.jpg|ケロルスの宣言&lt;br /&gt;
file:kerokero_09.jpg|ケロケロ湾の戦い&lt;br /&gt;
file:kerokero_15.jpg|かえる同盟の成立&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==発表==&lt;br /&gt;
tagboat Art fair 2023&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_15.jpg&amp;diff=237</id>
		<title>ファイル:Kerokero 15.jpg</title>
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		<updated>2023-05-17T06:31:48Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_09.jpg&amp;diff=236</id>
		<title>ファイル:Kerokero 09.jpg</title>
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		<updated>2023-05-17T06:31:32Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
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		<updated>2023-05-17T06:30:38Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_06.jpg&amp;diff=234</id>
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		<updated>2023-05-17T06:27:21Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kerokero_book_cover.jpg&amp;diff=233</id>
		<title>ファイル:Kerokero book cover.jpg</title>
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		<updated>2023-05-17T06:24:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=232</id>
		<title>なすび王の国</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=232"/>
		<updated>2022-04-10T06:00:26Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 年表 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:enkei.jpg|thumb|300px|首都の遠景]]&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]に登場する国家である。首都はなすごん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈[[連邦帝国]]〉を構成する立憲君主制国家の１つ。〈[[列島]]〉の南部に位置するなすび半島といくつかの島嶼部を領有している。主要産業の農業は〈連邦帝国〉の食糧自給率の高さに大きく貢献しており、「帝国の食糧庫」の異名をとる。住民の大半は野菜系の民族で占められているが、その内なすび族が特権的な階級となっており、民族による社会階級のヒエラルキーが厳格に維持されている。〈連邦帝国〉構成国の中では先進国に分類されており、皇帝を頂点とする〈連邦帝国〉加盟国（これを盟邦という）の席次でも第5位に位置する主要構成国である。&lt;br /&gt;
[[ファイル:explanation.jpg|thumb|200px|なすび王の国における民族(【とんちき坊やとなすび王の国】より)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国号===&lt;br /&gt;
「なすび王国」ではなく「なすび王の国」である。〈連邦帝国〉の成立以前は「なすごん王国」を名乗っていたが、連邦の構成国となって以降は皇帝への配慮から、皇帝に冊封された国王個人が治める領土であるという意味を強調する目的で「王の国」という国号に改められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===民族===&lt;br /&gt;
人口の約95％が野菜系の民族で占められている。この内支配階級のなすび族は全人口の30％ほどで、残りをトマト族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの民族が構成している。なすび族は、さらに品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、この4品種はそれぞれ王族・貴族・資本家階級・労働者階級という社会階級と対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国制===&lt;br /&gt;
　詳細は[[〈なすび王の国〉の政治]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすび族出身の国王が、〈連邦帝国〉皇帝からの冊封を根拠として治める立憲君主制を採用している。当初は絶対君主制を採ったが、歴史的経緯から国王の専制権力の維持が難しくなり、まもなく立憲君主制に移行した。憲政成立以降は、国王には儀礼的な役割のみが与えられており、実際の国家統治は立法府である〈なすび議会〉およびその議会が選出した行政府〈なすび内閣〉と司法府〈なすび裁判所〉が、三権を分担しながら行っている。三権の内、議会を構成する議員は国民による普通選挙で選出されており、一定程度の民主主義制度が普及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、〈なすび王の国〉は事実上の身分制社会を採用する国家でもある。憲法では、第一憲法においては「憲法の下で」、第二憲法以降においては「〈連邦帝国〉皇帝の名の下で」すべての市民が平等であると定められている。しかし、実態としては民族による社会階級の分化が根強く維持されており、特に国王を輩出するなすび族は特権階級としてその他の民族と明らかに区別されている。普通選挙に代表されるように、制度面では全民族平等の仕組みが整えられてはいるものの、この平等の理念は市民生活にまで浸透するにはいまだ至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===概観===&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉の歴史は、大きく以下の区分に分けることができる&lt;br /&gt;
*　建国以前&lt;br /&gt;
*〈なすごん王国〉時代&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉絶対王政期&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉憲政期&lt;br /&gt;
元は数多くの野菜系民族による民族国家のうちの一つであったが、〈岩山の王国〉のなすび半島進出を阻止するための同盟において主導的な役割を果たしたことでなすび半島の主要国として台頭した（建国以前）。〈岩山の王国〉撃退後は軍事力を背景にして周辺国を次々と支配下に置き、〈なすび半島戦争〉でだいこん族の国を破ったことで半島の全域を掌握した（〈なすごん王国〉時代）。&lt;br /&gt;
その後、〈連邦帝国〉成立の過程で〈列島〉全域にまで政治的影響力を及ぼす国家へと成長したが、国内では支配階級であるなすび族の内紛から緑なすびの王族による専制政治体制が崩れて議会政治を中心とした体制へと移行する（〈なすび王の国〉絶対王政期）。憲政時代が始まると、国家統治は赤なす党と青なす党による二大政党制が定着したが、絶対王政という抑え込みの力が失われたことで民族間・社会階級間の争いが表面化しており、対外的な影響力の増大とは対照的に国内の社会問題をどう克服していくかが課題となっている（〈なすび王の国〉憲政期）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===なすび半島統一まで===&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国直後のなすび半島。]]&lt;br /&gt;
古くは、現在のなすび半島の地域には多くの野菜系民族による民族国家が乱立しており、なすび族の国もそうした諸国家の1つに過ぎなかった。これらの国家は農耕文化を基盤にしていたことから、土地を巡る国家間の争いは有史以来絶えなかったが、それでも分立した国家を統一するほどの強大な権力者は現れず、半島では群雄割拠の状態が長らく続いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この状況が変わったのは、なすび半島の北側に成立した強大な軍事国家〈岩山の王国〉が成立したことがきっかけであった。〈岩山の王国〉は周辺国家を併呑しながら急拡大しており、ついには半島にふたをするように国土を広げるに至った。〈岩山の王国〉という明確な脅威が出現したことで、なすび半島の諸国家ではにわかに「反岩山同盟形成論」が勃興する。この結果、〈岩山の王国〉と国境を接する半島北部の諸国家が平和裏に〈野菜国家の同盟〉を結成し〈岩山の王国〉の南下に備えた。〈野菜国家の同盟〉と〈岩山の王国〉は数度の戦争を戦ったが、この争いは最終的に第二次へた山脈の戦いによって〈野菜国家の同盟〉側の勝利によって終結し、半島の諸国家は〈岩山の王国〉の半島侵入を防ぐことに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この対〈岩山〉戦争において英雄的な役割を果たしたのが、なすび族の首領・なすごんであった。なすごんは戦後、カリスマ的な人気を獲得して〈野菜国家の同盟〉の盟主となり、まもなく同盟はなすび族を中心とする〈なすび同盟〉に衣替えした。これを機に、なすごんは自らをなすごん1世と称してなすび族国家の君主に即位し、ここに〈なすごん王国〉を建国した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たな王国は軍事力を背景にして野菜系民族の周辺諸国を同盟に吸収していったが、この動きに強く抵抗したのがだいこん族らの民族国家〈だいこんの国〉である。〈だいこんの国〉は反〈なすごん王国〉を掲げる国家を糾合して〈だいこん同盟〉を結成し、対〈岩山〉戦争終結からわずか数年後にはなすび半島のほぼ全域で〈なすび同盟〉対〈だいこん同盟〉の構図が完成した。両同盟は〈なすび半島戦争〉で覇権をめぐる決戦に臨み、この戦いを制した〈なすび同盟〉陣営がついになすび半島全域の統一に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===〈連邦帝国〉成立から第一王政の終焉まで===&lt;br /&gt;
なすび半島の統一によって〈列島〉南部の地域大国となった〈なすごん王国〉は、安定した農産物生産を経済的な基盤として〈列島〉各国への食糧輸出を推進し、著しい経済成長を遂げる。「〈列島〉の食糧庫」という二つ名はこの時期に生まれたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済的な成長は〈列島〉内における王国の存在感増大を促した。なすごん1世の孫・なすごん3世の治世では、〈かっぱ大公国〉崩壊の事後処理のために主要国の代表を集めて開かれた〈第一次列侯会議〉に召集され、〈列島五大国〉の一角として国際的に認められることとなった。〈第二次列侯会議〉では〈いるか島の国〉代表が提案した〈連邦制同君連合構想〉に関税撤廃賛成の立場から賛同し、同構想が結実した結果成立する〈連邦帝国〉建国に重要な役割を果たした。〈連邦帝国〉が〈第三次列侯会議〉の結果成立すると、〈なすごん王国〉はその原加盟国として大国としての地位を確固たるものとした。その後、なすごん3世は国号を〈なすび王の国〉へと改めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、なすごん4世の時代になると国内ではなすび族の内部で品種同士の争いが激しくなる。国王を輩出する緑なすび、貴族階級の紫なすび、地主（資本家）階級の赤なすび、百姓（労働者）階級の青なすびが、国内政治の主導権を巡る争いを繰り広げた。これは、なすごん3世というカリスマ君主がこの世を去ったことで、なすび族の各品種間でパワーバランスが変化したためである。この争いは、最終的に憲法制定による法の支配の確立によって終息し、〈なすび王の国〉は君主による専制政治から法治主義政治へと転換した（王政期の終焉）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===憲政成立以降===&lt;br /&gt;
[[ファイル:demo.jpg|thumb|200px|青なす党のなが～いメーデー]]&lt;br /&gt;
憲政期がはじまると、〈なすび王の国〉では人口の多い赤なすびと青なすびが実権を握るようになり、緑なすび（王族）・紫なすび（貴族）たちは徐々に名誉的・儀礼的な役割のみを担うようになっていった。これは、法治主義の浸透によって実力主義の時代が到来し、それまで政治・社会の様々な場面で実務を担っていた赤なすび・青なすびの活躍の場が増えるようになっていったためである。実務の現場を知らない緑なすび・紫なすびは存在感を失っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごん4世が没して幼少のなすごん5世が即位すると、赤なすび出身の宰相・なすじゅうろうが政治の全権を名実ともに掌握した。議会主導で〈第二憲法〉が制定されると、立憲君主制・議会政治・三権分立などの本格的な立憲政治が登場し（第二憲政）、〈なすび王の国〉は当時としては先進的な政治文化を備える立憲国家へと脱皮した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議会政治が整えられると、なすび族内では赤なすびらによる赤なす党と青なすびらによる青なす党が二大政党制を形成した（赤青二大政党制）。両党ともに各品種の社会階級を代表する階級政党であり、国内政治は資本家階級（赤なすび）対労働者階級（青なすび）という対立構造を軸にして行われるようになった。両党の勢力は拮抗していたため、総選挙の結果を通して交互に政権を担当しながら漸進的な社会改革を進めていった。この二大政党制では、両党は自勢力の利益を代表して鋭く対立しあったものの、政党政治の維持という点では一致していたために現行の政治体制を崩壊させるほどの政争（クーデターなど）には発展しなかった。その意味で赤青二大政党制は均衡のとれた安定的な政治体制であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この均衡が崩れたのは、なすごん6世の時代に起こった〈青なす党のなが～いメーデー〉によってである。これは当時の赤なす党を与党とするなすごろう政権が労働者階級の負担が増す税制改革を実施したことに対する青なすび労働者たちの反対デモがきっかけとなって起こった反政府運動である。政府がこの運動を武力行使によって鎮圧しようとしたことで事態は悪化し、国内は内乱状態に陥ったが、急転直下でこの状況に終止符を打ったのが〈王太子のクーデター〉であった。〈王太子のクーデター〉は、当時の王位継承順位第一位の緑なすびの王太子が首謀したもので、現国王なすごん6世と現政権の幹部らを一斉に拘束して現行の統治体制の解体を目指して起こされた。クーデターの結果、第二憲政とそれを支えた赤青二大政党制は停止され、新国王として即位した王太子改めなすごん7世が親政を執る形で新政権が組織された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新政権は制憲議会を通して〈第三憲法〉を制定し、国王親政・三権分立・民族平等の理念を柱とする〈第三憲政〉が開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!年&lt;br /&gt;
!月&lt;br /&gt;
!出来事&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前30&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|&amp;lt;岩山の王国&amp;gt;、へた山脈以北を占領。&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;6&amp;quot;|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前24&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|&amp;lt;野菜国家の同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前20&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|第一次へた山脈戦争 (同年2月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前14&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|第二次へた山脈戦争 (前8年6月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前4&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|第三次へた山脈戦争 (同年11月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん同盟&amp;gt;結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすび半島戦争 (12年8月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|2世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|なすごん王国、なすび半島を統一&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん3世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;|3世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|17&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ大公国&amp;gt;滅亡。&amp;lt;第一次列侯会議&amp;gt;が開かれる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二次列侯会議&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|25&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三次列侯会議&amp;gt;。&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;が結ばれ、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;が成立する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|なすごん4世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;7&amp;quot;|4世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|30&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|青なす同盟(のちの青なす党)結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|31&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこんシティの暴動&amp;gt;、憲法制定運動はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|&amp;lt;大たまごの間の政変&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|36&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|赤なす党結成。内閣制度創設&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|行政権法制定、以降、段階的な王権の制限がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|38&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第一憲法&amp;gt;発布、憲政期はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|40&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|なすごん5世即位、&amp;lt;安定の半世紀&amp;gt;はじまる&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|5世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|赤なす党のなすじゅうろうが総理大臣就任、初の平民宰相&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|41&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|42&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|議会政治はじまる。第一回総選挙にて、青なす党が比較第一党獲得&amp;lt;br/&amp;gt;青なす党のなすごんどうが総理大臣就任。赤青二大政党制成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|90&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|なすごん6世即位&lt;br /&gt;
|6世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|95&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;、&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;、なすごん7世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|7世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==各種一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代国王===&lt;br /&gt;
====なすごん王国時代====&lt;br /&gt;
[[File:nasubi_KingⅥ.jpg|thumb|250px|なすごん6世]]&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん1世&lt;br /&gt;
|1年5月&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|譲位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|なすび王の国建国のため&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====なすび王の国時代====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん4世&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん5世&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん6世&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|廃位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすごん7世&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;|nowrap|&lt;br /&gt;
|'''名前欄の色分け：'''&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:紫なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:赤なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:青なすび&lt;br /&gt;
|色なし&lt;br /&gt;
|:その他のやさい&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!名前&lt;br /&gt;
!就任年月&lt;br /&gt;
!退任年月&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
!総選挙(回/年)&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすでぃん&lt;br /&gt;
|36年2月&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|要職を貴族が独占する超然内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|うぃるなす&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|紫なすび同士による権力闘争の激化&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なっすん&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|新国王・なすごん5世との対立の末、解任&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすじゅうろう&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|1/42&lt;br /&gt;
|初の平民宰相。議会創設に尽力するも、初の総選挙の結果を受け退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|初の総選挙の結果発足、かつ初の青なす党政権。病気のため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|2/46、3/50、4/54&lt;br /&gt;
|初の安定長期政権。リベラル派として諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;ref&amp;gt;54年10月まで&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|議会内多数派工作により総選挙を経ず政権奪取を果たすも、だいこん党の連立離脱により数か月で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&lt;br /&gt;
|5/58&lt;br /&gt;
|再登板。&amp;lt;中間党の乱&amp;gt;などにより政情が不安定化。総選挙に敗北し、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&lt;br /&gt;
|6/60、7/63、8/65&lt;br /&gt;
|赤系野菜三党連合政権。高度成長はじまる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|9/70&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ王国革命&amp;gt;への対応の不手際が影響し、総選挙で敗北したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|10/72、11/75&lt;br /&gt;
|軍備増強路線が国論を二分。内政重視を説いた青なす党に総選挙で敗れ退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすろう&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&amp;lt;br/&amp;gt;葉もの同盟&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|福祉を中心とする社会保障政策を重視。主に労働者階級からの支持に支えられるも、病気により退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|13&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なす・K&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|12/80&lt;br /&gt;
|財界からの支持を得た赤なす党が総選挙で勝利したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|アリナス&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん党事件&amp;gt;をきっかけとして、政界再編。赤なす党優位の体制が固定化する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|13/85&lt;br /&gt;
|赤なす党と青なす党の対立が先鋭化。総選挙の結果、&amp;lt;85年政局&amp;gt;がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|少数与党政権。「見切り発車政権」という不名誉な渾名の通り、&amp;lt;br/&amp;gt;連立交渉を取りまとめられずわずか2ヶ月半で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|でるなす&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|14/85&lt;br /&gt;
|選挙管理内閣として成立。&amp;lt;br/&amp;gt;同年2度目の総選挙を施行するもハングパーラメントを解消できず、&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;の結果退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|17&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|15/87&lt;br /&gt;
|&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;によって成立した中立内閣。&amp;lt;br/&amp;gt;2年間の期限付きで政権を運営。87年総選挙でハングパーラメントが解消されたため、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|18&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&amp;lt;br/&amp;gt;おいも党&lt;br /&gt;
|16/92&lt;br /&gt;
|赤なす党が非なすび系政党を糾合して巨大連立政権を形成。&amp;lt;br/&amp;gt;事実上の一党単独優位制が成立。数の力で諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすごろう&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;に端を発する&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;により退陣。&amp;lt;br/&amp;gt;青赤二大政党制最後の内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|20&lt;br /&gt;
|とまと大臣&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|やさい党&amp;lt;ref&amp;gt;とまと党・もろこし党・おいも党・にんじん党が中心となって、95年5月に結成した非なすび系民族による連合政党。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|なすごん7世によって組閣された内閣。初の非なすび系民族の総理大臣となった&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界各地を旅するとんちきとろんが訪れた国として登場する。作中では〈青なす党のなが～いクーデター〉から〈王太子のクーデター〉までの出来事が描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=231</id>
		<title>なすび王の国</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=231"/>
		<updated>2022-04-10T05:59:32Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 年表 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:enkei.jpg|thumb|300px|首都の遠景]]&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]に登場する国家である。首都はなすごん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈[[連邦帝国]]〉を構成する立憲君主制国家の１つ。〈[[列島]]〉の南部に位置するなすび半島といくつかの島嶼部を領有している。主要産業の農業は〈連邦帝国〉の食糧自給率の高さに大きく貢献しており、「帝国の食糧庫」の異名をとる。住民の大半は野菜系の民族で占められているが、その内なすび族が特権的な階級となっており、民族による社会階級のヒエラルキーが厳格に維持されている。〈連邦帝国〉構成国の中では先進国に分類されており、皇帝を頂点とする〈連邦帝国〉加盟国（これを盟邦という）の席次でも第5位に位置する主要構成国である。&lt;br /&gt;
[[ファイル:explanation.jpg|thumb|200px|なすび王の国における民族(【とんちき坊やとなすび王の国】より)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国号===&lt;br /&gt;
「なすび王国」ではなく「なすび王の国」である。〈連邦帝国〉の成立以前は「なすごん王国」を名乗っていたが、連邦の構成国となって以降は皇帝への配慮から、皇帝に冊封された国王個人が治める領土であるという意味を強調する目的で「王の国」という国号に改められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===民族===&lt;br /&gt;
人口の約95％が野菜系の民族で占められている。この内支配階級のなすび族は全人口の30％ほどで、残りをトマト族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの民族が構成している。なすび族は、さらに品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、この4品種はそれぞれ王族・貴族・資本家階級・労働者階級という社会階級と対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国制===&lt;br /&gt;
　詳細は[[〈なすび王の国〉の政治]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすび族出身の国王が、〈連邦帝国〉皇帝からの冊封を根拠として治める立憲君主制を採用している。当初は絶対君主制を採ったが、歴史的経緯から国王の専制権力の維持が難しくなり、まもなく立憲君主制に移行した。憲政成立以降は、国王には儀礼的な役割のみが与えられており、実際の国家統治は立法府である〈なすび議会〉およびその議会が選出した行政府〈なすび内閣〉と司法府〈なすび裁判所〉が、三権を分担しながら行っている。三権の内、議会を構成する議員は国民による普通選挙で選出されており、一定程度の民主主義制度が普及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、〈なすび王の国〉は事実上の身分制社会を採用する国家でもある。憲法では、第一憲法においては「憲法の下で」、第二憲法以降においては「〈連邦帝国〉皇帝の名の下で」すべての市民が平等であると定められている。しかし、実態としては民族による社会階級の分化が根強く維持されており、特に国王を輩出するなすび族は特権階級としてその他の民族と明らかに区別されている。普通選挙に代表されるように、制度面では全民族平等の仕組みが整えられてはいるものの、この平等の理念は市民生活にまで浸透するにはいまだ至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===概観===&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉の歴史は、大きく以下の区分に分けることができる&lt;br /&gt;
*　建国以前&lt;br /&gt;
*〈なすごん王国〉時代&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉絶対王政期&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉憲政期&lt;br /&gt;
元は数多くの野菜系民族による民族国家のうちの一つであったが、〈岩山の王国〉のなすび半島進出を阻止するための同盟において主導的な役割を果たしたことでなすび半島の主要国として台頭した（建国以前）。〈岩山の王国〉撃退後は軍事力を背景にして周辺国を次々と支配下に置き、〈なすび半島戦争〉でだいこん族の国を破ったことで半島の全域を掌握した（〈なすごん王国〉時代）。&lt;br /&gt;
その後、〈連邦帝国〉成立の過程で〈列島〉全域にまで政治的影響力を及ぼす国家へと成長したが、国内では支配階級であるなすび族の内紛から緑なすびの王族による専制政治体制が崩れて議会政治を中心とした体制へと移行する（〈なすび王の国〉絶対王政期）。憲政時代が始まると、国家統治は赤なす党と青なす党による二大政党制が定着したが、絶対王政という抑え込みの力が失われたことで民族間・社会階級間の争いが表面化しており、対外的な影響力の増大とは対照的に国内の社会問題をどう克服していくかが課題となっている（〈なすび王の国〉憲政期）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===なすび半島統一まで===&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国直後のなすび半島。]]&lt;br /&gt;
古くは、現在のなすび半島の地域には多くの野菜系民族による民族国家が乱立しており、なすび族の国もそうした諸国家の1つに過ぎなかった。これらの国家は農耕文化を基盤にしていたことから、土地を巡る国家間の争いは有史以来絶えなかったが、それでも分立した国家を統一するほどの強大な権力者は現れず、半島では群雄割拠の状態が長らく続いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この状況が変わったのは、なすび半島の北側に成立した強大な軍事国家〈岩山の王国〉が成立したことがきっかけであった。〈岩山の王国〉は周辺国家を併呑しながら急拡大しており、ついには半島にふたをするように国土を広げるに至った。〈岩山の王国〉という明確な脅威が出現したことで、なすび半島の諸国家ではにわかに「反岩山同盟形成論」が勃興する。この結果、〈岩山の王国〉と国境を接する半島北部の諸国家が平和裏に〈野菜国家の同盟〉を結成し〈岩山の王国〉の南下に備えた。〈野菜国家の同盟〉と〈岩山の王国〉は数度の戦争を戦ったが、この争いは最終的に第二次へた山脈の戦いによって〈野菜国家の同盟〉側の勝利によって終結し、半島の諸国家は〈岩山の王国〉の半島侵入を防ぐことに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この対〈岩山〉戦争において英雄的な役割を果たしたのが、なすび族の首領・なすごんであった。なすごんは戦後、カリスマ的な人気を獲得して〈野菜国家の同盟〉の盟主となり、まもなく同盟はなすび族を中心とする〈なすび同盟〉に衣替えした。これを機に、なすごんは自らをなすごん1世と称してなすび族国家の君主に即位し、ここに〈なすごん王国〉を建国した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たな王国は軍事力を背景にして野菜系民族の周辺諸国を同盟に吸収していったが、この動きに強く抵抗したのがだいこん族らの民族国家〈だいこんの国〉である。〈だいこんの国〉は反〈なすごん王国〉を掲げる国家を糾合して〈だいこん同盟〉を結成し、対〈岩山〉戦争終結からわずか数年後にはなすび半島のほぼ全域で〈なすび同盟〉対〈だいこん同盟〉の構図が完成した。両同盟は〈なすび半島戦争〉で覇権をめぐる決戦に臨み、この戦いを制した〈なすび同盟〉陣営がついになすび半島全域の統一に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===〈連邦帝国〉成立から第一王政の終焉まで===&lt;br /&gt;
なすび半島の統一によって〈列島〉南部の地域大国となった〈なすごん王国〉は、安定した農産物生産を経済的な基盤として〈列島〉各国への食糧輸出を推進し、著しい経済成長を遂げる。「〈列島〉の食糧庫」という二つ名はこの時期に生まれたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済的な成長は〈列島〉内における王国の存在感増大を促した。なすごん1世の孫・なすごん3世の治世では、〈かっぱ大公国〉崩壊の事後処理のために主要国の代表を集めて開かれた〈第一次列侯会議〉に召集され、〈列島五大国〉の一角として国際的に認められることとなった。〈第二次列侯会議〉では〈いるか島の国〉代表が提案した〈連邦制同君連合構想〉に関税撤廃賛成の立場から賛同し、同構想が結実した結果成立する〈連邦帝国〉建国に重要な役割を果たした。〈連邦帝国〉が〈第三次列侯会議〉の結果成立すると、〈なすごん王国〉はその原加盟国として大国としての地位を確固たるものとした。その後、なすごん3世は国号を〈なすび王の国〉へと改めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、なすごん4世の時代になると国内ではなすび族の内部で品種同士の争いが激しくなる。国王を輩出する緑なすび、貴族階級の紫なすび、地主（資本家）階級の赤なすび、百姓（労働者）階級の青なすびが、国内政治の主導権を巡る争いを繰り広げた。これは、なすごん3世というカリスマ君主がこの世を去ったことで、なすび族の各品種間でパワーバランスが変化したためである。この争いは、最終的に憲法制定による法の支配の確立によって終息し、〈なすび王の国〉は君主による専制政治から法治主義政治へと転換した（王政期の終焉）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===憲政成立以降===&lt;br /&gt;
[[ファイル:demo.jpg|thumb|200px|青なす党のなが～いメーデー]]&lt;br /&gt;
憲政期がはじまると、〈なすび王の国〉では人口の多い赤なすびと青なすびが実権を握るようになり、緑なすび（王族）・紫なすび（貴族）たちは徐々に名誉的・儀礼的な役割のみを担うようになっていった。これは、法治主義の浸透によって実力主義の時代が到来し、それまで政治・社会の様々な場面で実務を担っていた赤なすび・青なすびの活躍の場が増えるようになっていったためである。実務の現場を知らない緑なすび・紫なすびは存在感を失っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごん4世が没して幼少のなすごん5世が即位すると、赤なすび出身の宰相・なすじゅうろうが政治の全権を名実ともに掌握した。議会主導で〈第二憲法〉が制定されると、立憲君主制・議会政治・三権分立などの本格的な立憲政治が登場し（第二憲政）、〈なすび王の国〉は当時としては先進的な政治文化を備える立憲国家へと脱皮した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議会政治が整えられると、なすび族内では赤なすびらによる赤なす党と青なすびらによる青なす党が二大政党制を形成した（赤青二大政党制）。両党ともに各品種の社会階級を代表する階級政党であり、国内政治は資本家階級（赤なすび）対労働者階級（青なすび）という対立構造を軸にして行われるようになった。両党の勢力は拮抗していたため、総選挙の結果を通して交互に政権を担当しながら漸進的な社会改革を進めていった。この二大政党制では、両党は自勢力の利益を代表して鋭く対立しあったものの、政党政治の維持という点では一致していたために現行の政治体制を崩壊させるほどの政争（クーデターなど）には発展しなかった。その意味で赤青二大政党制は均衡のとれた安定的な政治体制であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この均衡が崩れたのは、なすごん6世の時代に起こった〈青なす党のなが～いメーデー〉によってである。これは当時の赤なす党を与党とするなすごろう政権が労働者階級の負担が増す税制改革を実施したことに対する青なすび労働者たちの反対デモがきっかけとなって起こった反政府運動である。政府がこの運動を武力行使によって鎮圧しようとしたことで事態は悪化し、国内は内乱状態に陥ったが、急転直下でこの状況に終止符を打ったのが〈王太子のクーデター〉であった。〈王太子のクーデター〉は、当時の王位継承順位第一位の緑なすびの王太子が首謀したもので、現国王なすごん6世と現政権の幹部らを一斉に拘束して現行の統治体制の解体を目指して起こされた。クーデターの結果、第二憲政とそれを支えた赤青二大政党制は停止され、新国王として即位した王太子改めなすごん7世が親政を執る形で新政権が組織された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新政権は制憲議会を通して〈第三憲法〉を制定し、国王親政・三権分立・民族平等の理念を柱とする〈第三憲政〉が開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!年&lt;br /&gt;
!月&lt;br /&gt;
!出来事&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前30&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|&amp;lt;岩山の王国&amp;gt;、へた山脈以北を占領。&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;6&amp;quot;|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前24&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|&amp;lt;野菜国家の同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前20&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|第一次へた山脈戦争 (同年2月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前14&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|第二次へた山脈戦争 (前8年6月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前4&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|第三次へた山脈戦争 (同年11月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん同盟&amp;gt;結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすび半島戦争 (12年8月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|2世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|なすごん王国、なすび半島を統一&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん3世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;|3世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ大公国&amp;gt;滅亡。&amp;lt;第一次列侯会議&amp;gt;が開かれる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二次列侯会議&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|25&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三次列侯会議&amp;gt;。&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;が結ばれ、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;が成立する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|なすごん4世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;7&amp;quot;|4世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|30&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|青なす同盟(のちの青なす党)結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|31&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこんシティの暴動&amp;gt;、憲法制定運動はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|&amp;lt;大たまごの間の政変&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|36&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|赤なす党結成。内閣制度創設&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|行政権法制定、以降、段階的な王権の制限がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|38&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第一憲法&amp;gt;発布、憲政期はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|40&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|なすごん5世即位、&amp;lt;安定の半世紀&amp;gt;はじまる&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|5世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|赤なす党のなすじゅうろうが総理大臣就任、初の平民宰相&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|41&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|42&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|議会政治はじまる。第一回総選挙にて、青なす党が比較第一党獲得&amp;lt;br/&amp;gt;青なす党のなすごんどうが総理大臣就任。赤青二大政党制成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|90&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|なすごん6世即位&lt;br /&gt;
|6世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|95&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;、&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;、なすごん7世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|7世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==各種一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代国王===&lt;br /&gt;
====なすごん王国時代====&lt;br /&gt;
[[File:nasubi_KingⅥ.jpg|thumb|250px|なすごん6世]]&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん1世&lt;br /&gt;
|1年5月&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|譲位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|なすび王の国建国のため&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====なすび王の国時代====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん4世&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん5世&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん6世&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|廃位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすごん7世&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;|nowrap|&lt;br /&gt;
|'''名前欄の色分け：'''&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:紫なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:赤なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:青なすび&lt;br /&gt;
|色なし&lt;br /&gt;
|:その他のやさい&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!名前&lt;br /&gt;
!就任年月&lt;br /&gt;
!退任年月&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
!総選挙(回/年)&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすでぃん&lt;br /&gt;
|36年2月&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|要職を貴族が独占する超然内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|うぃるなす&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|紫なすび同士による権力闘争の激化&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なっすん&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|新国王・なすごん5世との対立の末、解任&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすじゅうろう&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|1/42&lt;br /&gt;
|初の平民宰相。議会創設に尽力するも、初の総選挙の結果を受け退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|初の総選挙の結果発足、かつ初の青なす党政権。病気のため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|2/46、3/50、4/54&lt;br /&gt;
|初の安定長期政権。リベラル派として諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;ref&amp;gt;54年10月まで&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|議会内多数派工作により総選挙を経ず政権奪取を果たすも、だいこん党の連立離脱により数か月で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&lt;br /&gt;
|5/58&lt;br /&gt;
|再登板。&amp;lt;中間党の乱&amp;gt;などにより政情が不安定化。総選挙に敗北し、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&lt;br /&gt;
|6/60、7/63、8/65&lt;br /&gt;
|赤系野菜三党連合政権。高度成長はじまる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|9/70&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ王国革命&amp;gt;への対応の不手際が影響し、総選挙で敗北したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|10/72、11/75&lt;br /&gt;
|軍備増強路線が国論を二分。内政重視を説いた青なす党に総選挙で敗れ退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすろう&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&amp;lt;br/&amp;gt;葉もの同盟&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|福祉を中心とする社会保障政策を重視。主に労働者階級からの支持に支えられるも、病気により退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|13&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なす・K&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|12/80&lt;br /&gt;
|財界からの支持を得た赤なす党が総選挙で勝利したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|アリナス&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん党事件&amp;gt;をきっかけとして、政界再編。赤なす党優位の体制が固定化する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|13/85&lt;br /&gt;
|赤なす党と青なす党の対立が先鋭化。総選挙の結果、&amp;lt;85年政局&amp;gt;がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|少数与党政権。「見切り発車政権」という不名誉な渾名の通り、&amp;lt;br/&amp;gt;連立交渉を取りまとめられずわずか2ヶ月半で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|でるなす&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|14/85&lt;br /&gt;
|選挙管理内閣として成立。&amp;lt;br/&amp;gt;同年2度目の総選挙を施行するもハングパーラメントを解消できず、&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;の結果退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|17&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|15/87&lt;br /&gt;
|&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;によって成立した中立内閣。&amp;lt;br/&amp;gt;2年間の期限付きで政権を運営。87年総選挙でハングパーラメントが解消されたため、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|18&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&amp;lt;br/&amp;gt;おいも党&lt;br /&gt;
|16/92&lt;br /&gt;
|赤なす党が非なすび系政党を糾合して巨大連立政権を形成。&amp;lt;br/&amp;gt;事実上の一党単独優位制が成立。数の力で諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすごろう&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;に端を発する&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;により退陣。&amp;lt;br/&amp;gt;青赤二大政党制最後の内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|20&lt;br /&gt;
|とまと大臣&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|やさい党&amp;lt;ref&amp;gt;とまと党・もろこし党・おいも党・にんじん党が中心となって、95年5月に結成した非なすび系民族による連合政党。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|なすごん7世によって組閣された内閣。初の非なすび系民族の総理大臣となった&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界各地を旅するとんちきとろんが訪れた国として登場する。作中では〈青なす党のなが～いクーデター〉から〈王太子のクーデター〉までの出来事が描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E9%9D%92%E4%BA%8C%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6&amp;diff=230</id>
		<title>赤青二大政党制</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E9%9D%92%E4%BA%8C%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6&amp;diff=230"/>
		<updated>2022-04-03T17:16:24Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 第二期赤なす党政権（80年～85年） */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;赤青二大政党制とは、〈[[なすび王の国]]〉における政治体制の一つ。なす暦42年の第一回なすび議会総選挙の結果成立し、95年の〈第三憲政〉成立までおよそ53年間続いた。資本家階級を代表する赤なす党と、労働者階級を代表する青なす党が（一部の例外を除いて）二大政党として交互に総理大臣を輩出し、選挙による政権交代を通じておよそ半世紀に及ぶ安定的な政治体制を実現した。この間、赤なす・青なす両党が議会の過半数を占めた時期はごく僅かであり、大半の時期を中・小規模政党との連立によって政権を組織したことから厳密な意味での二大政党制が実現したわけではなかったが、赤なす・青なす両党が一貫して政局の中心に位置したことからこの名で呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前史==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉では、〈第一憲法〉の成立までは国王と貴族による専制政治が敷かれていたが、なす暦30年代に入るとそうした特権階級による権力の独占に対抗するための政治結社（政党）が結成され始めた。同国最初の政党である青なす同盟（なす暦30年結成。のち、青なす党に改称）&amp;lt;ref&amp;gt;その後成立した諸政党のいずれもが、民族ごとのつながりで結成されたものであった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は社会的身分の低い民族の政治参画実現というリベラルな主張を旗印に掲げて勢力を広げ、なす暦31年の〈大たまごの間の政変〉で政府内部の穏健派&amp;lt;ref&amp;gt;現行の超然的専制政治体制を緩和するための議会政治創設などに寛容な一部の貴族勢力。&amp;lt;/ref&amp;gt;が追放されると、国内では反専制政治を掲げる運動が勃興した。青なす党は労働者階級である青なすびを中心にした組織であったため、「青なす党は弱者の味方」というイメージが次第に国民に浸透し、当時の国王・なすごん4世が率いる政府も青なす党の勢力拡大を無視できない状況になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、政府はなす暦36年に内閣制度創設を柱とする大規模な行政改革を断行して反政府運動を緩和させることを試みた。しかし、この改革は初代総理大臣に貴族階級である紫なすびのなすでぃんが任命されるなど、既存の専制政治体制の表紙だけを変えたような不十分なものであったために国民からは評価されず、返ってより抜本的な改革を目指すという反政府運動の熱気を高める結果に終わってしまった。さらに、その紫なすびたちの間でも権力を巡った争いが激化して総理大臣の交代が相次ぎ、政権はさらに不安定化してしまった。この過程で、政府の主導権を失いつつあったなすごん4世は緑なすびの孤立化を防ぐ目的から王権の制限を柱とする立法（36年行政権法や37年立法手続法）の成立を黙認するにまで追い込まれ、ついで38年には国王の専制政治を廃止することを明確にした〈第一憲法〉を制定し、政治体制は専制君主制から立憲君主制へと移行した。だが、こうした改革を経ても青なす党を筆頭とする反政府勢力の運動は鎮静化する気配を見せず、国王を中心とする政府を取り巻く状況は悪化の一途をたどった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
40年8月、なすごん4世が崩御して新たになすごん5世が即位すると、状況が一変する。政権の維持すら危うい状況に陥ったと考えた新王は、比較的国王・貴族階級と関係が深い資本家階級の民族・赤なすびのリーダーであるなすじゅうろうを総理大臣に指名し、政党勢力との妥協を模索した。王族の緑なすび、貴族の紫なすび以外の民族（品種）出身者が政府の長に就くことはこれがはじめてであった。これはなすじゅうろうが内閣制度創設の直前に赤なすびたちを糾合して結成した赤なす党は、青なす党とは対照的に、国王・貴族との調和を重視した保守的な政治を掲げていたためである。後世の歴史から見ると、このことは結果的に政治の実権が緑・紫両なすびたちから赤・青両なすびへの移る画期となる出来事であり、&lt;br /&gt;
ここに、保守主義を掲げる赤なす党と、リベラル主義を掲げる青なす党という2つの政党が対立する構図が誕生することとなった。内閣制度草創期こそ、その他の政党も一定の勢力を持って存在していたが、まもなく国内では保守派は赤なす党に、リベラル派は青なす党にそれぞれ与して対抗するようになり、赤青二大政党制へと繋がる保守・リベラルの勢力図は、なす暦42年ごろまでにはほぼ完成していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤なす党政権は、なすごん5世の意向もあって普通選挙によって選出された議員による立法府の創設へと動き出す。この動きは青なす党をはじめとする在野の政党からも総じて好意的に受け止められたため、改革は急速に進んだ。この改革は41年に立憲君主制・三権分立・民族平等を掲げた〈第二憲法〉の発布によって結実する。〈第二憲法〉は〈第一憲法〉と比べて国家統治についての原理原則や手続きを定めた本格的な硬性憲法であり、議会政治の創設をはじめとして従前の〈なすび王の国〉の国政から根本的な変更が行われたという点において、同国史上の画期となる出来事となった。&amp;lt;ref&amp;gt;〈なすび王の国〉の歴史における「憲政時代」は、広義には〈第一憲法〉の施行以降を、狭義には〈第二憲法〉の施行以降を指す。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
42年に入ると、新憲法の規定に基づいて単純小選挙区制による議会の普通選挙が実施され、〈なすび王の国〉ではじめて民間人による政治参画が実現する。この選挙で主役となったのが政党であった。主要政党には赤なす党・青なす党のほか、とまと党・だいこん党・葉もの同盟などが存在したが、事実上赤青両なす党の一騎打ちという構図で選挙戦は進んだ。赤なす党は憲法制定などの実績をアピールして一定の支持を集めたが、世論は「弱者の味方」を掲げる青なす党への支持が最高潮に達しており&amp;lt;ref&amp;gt;当時の新聞による世論調査でも、政党支持率は赤なす党の16％に対して青なす党は45％を記録していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;、結果、第1回なすび議会総選挙で青なす党は議席の70％を独占する地滑り的大勝をおさめた。選挙後に開かれた第1期なすび議会において、議会は憲法の規定に従って総理大臣の指名選挙を行い、青なす党のリーダーであるなすごんどうを新総理大臣に選出した。赤なす党から青なす党へと、選挙の結果による法的な政権移譲が行われ、〈なすび王の国〉では専制政治の時代から本格的な政党政治の時代へと名実ともに移行した。これを以て、赤青二大政党制の始期とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一期青なす党政権（42年～58年）==&lt;br /&gt;
第一期青なす党政権は、42年のなすごんどう内閣の成立から58年の第二次ビッグ・なす（赤なす党党首）内閣の成立までの約16年間続いた（54年6月から同年11月までの約5ヶ月間を除く&amp;lt;ref&amp;gt;この期間は、赤なす党のビッグ・なすが第一次内閣を組織していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;）。この期間の総理大臣は以下の3名、内閣は以下の4つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42.1~42.9&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすとる（第一次）&lt;br /&gt;
|42.9~54.6&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ビッグ・なす&lt;br /&gt;
|54.6~54.11&lt;br /&gt;
|赤なす党・もろこし党・とまと党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすとる（第二次）&lt;br /&gt;
|54.11~58.2&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
表の通り、この期間のほぼすべてで政権を率いたのはなすとるである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
42年1月、初の総選挙の結果総理大臣に就任したなすごんどうは「憲法の精神の涵養」と「下級身分のための政治」を唱えて、リベラル政治の定着を最優先課題に掲げた。なすごんどう内閣は初の議会による予算編成を無難に終えると、「国民のための政治に関するロードマップ」を発表して新内閣が進める政策の具体的な計画を示して国民に新政権が目指す政治体制の骨格を示した。しかし、同年9月になすごんどうは病に倒れると「政治的良心に従って」潔く引退する意向を示し、後継者に青なす党幹事長のなすとるを指名して退陣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごんどう政権を引き継いだなすとる政権（第一次）は、前政権が示したロードマップの踏襲を明言して諸改革を進めていった。第一次なすとる政権の実績の中で特に重要なものは、国王および王室に関する法整備・政党内閣政治に関する法整備・身分制度改革・社会保障改革の4点&amp;lt;ref&amp;gt;特に、①43年王権関連三法（国王および王室に関する法整備）、②50年政党法と50年普通選挙法（政党内閣政治に関する法整備）、③54年廃公令（身分制度改革）、④43年労働基本法と52年民生基本法（社会保障改革）の法制化が挙げられる。&amp;lt;/ref&amp;gt;である。これらの政策について、政治学者のなすですは「一部の特権階級による権力乱用の阻止を法制化した」と述べ、赤青二大政党制を軸とする〈第二憲政〉の体制が保守主義一辺倒になることを防いだと評価している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連のリベラル政策は概ね国民から好意的に受け止められ、46年および50年の総選挙では青なす党が安定多数の議席を確保した。「弱者の味方」という青なす党の旗印を体現したなすとるへの支持率は、50年代初頭までは安定して推移していた。しかし、52年に中道保守路線を唱えるビッグ・なすが赤なす党党首に就任すると、青なす党と赤なす党の支持率は拮抗するようになる&amp;lt;ref&amp;gt;ビッグ・なすは、従来の保守派の主張の柱であった「王権擁護・身分制度尊重」の方針を大転換し、「経済成長路線・財界重視」の方針を主張した。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この結果、54年の総選挙では青なす党が大方の予想を覆して獲得議席を大きく減らし、議会の比較第一党は維持しながらも過半数を失う敗北を喫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
選挙後、なすとるは比較第一党の維持を根拠にして政権の維持に意欲を見せるが、政権奪還の執念に燃える赤なす党は第三党のもろこし党・第四党のとまと党とともに連立政権樹立のための合意を電撃的に結んで議会の過半数を確保し、なすとる政権を退陣へと追い込んだ。当時の社会通念では、比較第一党が政権をとれないということは想定されておらず、赤なす党のこうした動きは政界のみならず国民世論の間でも波紋を広げた。ビッグ・なすは54年6月に第一次政権を開くが、この政権は急造の連立合意が機能せず迷走し&amp;lt;ref&amp;gt;閣僚名簿の完成に1ヶ月を要するという混乱ぶりであった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、結果的には同年10月にとまと党が連立を離脱したことで政権は議会の過半数を喪失してしまった。一方、青なす党は下野後に労働者階級を支持基盤とする第五党のだいこん党と接近し、両党はとまと党の連立離脱の翌日に政権奪還を想定した政策合意文書に署名した。翌11月、ビッグ・なすが混乱の責を負って退陣すると、後任には議会の過半数の支持を回復していたなすとるが再登板する形で就任し、第二次なすとる政権が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青なす党が単独で議会の過半数を握っていた第一次政権と違い、第二次なすとる政権は他党との連立によって政権を開いたため、なすとるは難しい政権運営を強いられた。青なす党はだいこん党との調整の中で主要な政策の修正を余儀なくされ、中でも56年の内務省改革法案廃案騒動&amp;lt;ref&amp;gt;なすとるが「〈第二憲法〉体制完成の最後の一手」とまで主張した内務省改革が頓挫した事件。強大な権力を握る内務省の弱体化をねらったが、内務省の猛烈な巻き返しを受けて政権が混乱し、結果的にはなすとる政権崩壊のきっかけとなってしまった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は、なすとるの指導力が決定的に失われた象徴的な事件となった。この一件を契機として、青なす党内ではなすとるの党首辞任を求める〈中間党の乱〉が発生したが、なすとるは求心力回復の切り札として議会解散で反なすとるの動きに応じた。しかし、総選挙では青なす・だいこん両与党は赤なす党を中心とする保守系三党&amp;lt;ref&amp;gt;赤なす党・とまと党・にんじん党。&amp;lt;/ref&amp;gt;に敗れて過半数を喪失し、なすとる政権は総辞職に追い込まれる。後継には赤なす党のビッグ・なす&amp;lt;ref&amp;gt;ビッグ・なすは第一次ビッグ・なす政権崩壊後に一度は党首を辞任したものの、党内最大派閥を率いて実質的な赤なす党のオーナーとして権力をふるい、57年10月には党首職に復帰していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;が再度総理大臣に指名されて第二次ビッグ・なす政権を開き、約16年に及ぶ青なす党を中心とする政権の時代は終わりを迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一期赤なす政権期（58年～75年）==&lt;br /&gt;
第二次ビッグ・なす政権が成立した58年2月から青なす党が再び政権を奪還する75年9月まで続いた赤なす党による政権を、第一次赤なす政権と呼ぶ。この期間の総理大臣と政権は、以下の通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ビッグ・なす（第二次）&lt;br /&gt;
|58.2~67.4&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67.4~70.1&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|きよなす（第一次）&lt;br /&gt;
|70.1~75.9&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次赤なす党政権期のキーワードは、経済大国路線と「外政の季節」である。いずれも、内政の体制構築を優先した第一次青なす党政権に対応した言葉であり、赤なす党の支持基盤である資本家階級を中心とする経済界の意向を受けての方針であった。経済大国路線は資本家階級重視の政策であり、経済発展を基盤として国力を増強しようという考え方である。一方「外政の季節」とは、ビッグ・なすが二度目の総理大臣就任演説で発言した「青なす政権の時代は内政の季節であったが、われわれの時代は外政の季節となるであろう」という言葉が由来である。「外政の季節」は、60年代までは貿易立国路線を指す言葉であったが、70年代に入ると軍備増強路線を指す言葉へと意味が変容し、肯定・否定を問わず第一次赤なす党政権を評する言葉としてさまざまな文脈で使用される言葉となった。総じて、経済・軍事両面における第一次赤なす政権の対外関係政策を表す言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一期赤なす政権期最初の政権となった第二次ビッグ・なす政権の最大の功績は、のちにビッグ・なす法制と呼ばれる産業と貿易に関する条約・法律群を制定したことである。ビッグ・なす法制を構成する特に主要な条約・法律は、59年指定重要産業法・なすび海沿岸貿易条約・64年海運法の3つである。59年指定重要産業法では、〈なすび王の国〉の農業偏重主義という産業構造からの脱却を図って、紡績業や重工業といった新興の国内産業を国が全面的に支援する体制を整えるための法律である。この法律によって、〈なすび王の国〉の西海岸では工場の建設ラッシュが起こり、東部や北部などの伝統的な農業地帯を温存しながら多様な産業を等しく発展させる下地が形成された。つづくなすび海沿岸貿易条約は、そうした西海岸地帯の発展に伴って生じた余剰生産物を他国に輸出する必要性が高まったために結ばれた条約である。この条約では、〈岩山の王国〉を筆頭とするなすび海沿岸地域の国々との間で相互に関税を優遇する取り決めがなされた。この恩恵を最も受けたのは〈なすび王の国〉や〈岩山の王国〉などの大国のみであったものの、全体としては同条約が結ばれた地域は60年代を通して〈なすび海特需〉と呼ばれる好景気に沸き、〈なすび王の国〉がそれを牽引する形でさらに地域全体が好景気になるという好循環が生まれた。64年海運法はそのような新時代の貿易体制を支えるための法律であり、海運業に関する各種規制を緩和する措置をとることでよりなすび海を通した貿易を促進させる効果を発揮した。以上のような経済政策によって、〈なすび王の国〉は高度成長と呼ばれる空前の好景気に沸いた。ビッグ・なす政権は青なす党の復権を阻止するための対策として63年労働者権利法をはじめとする社会保障法制の整備にも注力し、これが功を奏したことで総選挙に連戦連勝を重ね、ついに本格的な危機に陥ることなく67年4月まで約9年もの間政権を維持することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビッグ・なすが年齢を理由にして総理大臣を引退すると、あとを継いだのはビッグ・なす政権で一貫して内務大臣を務めていたなすぽーんであった。なすぽーんはビッグ・なすの方針を引き継いで産業庁の設置や鉄道利権再編などの難しい政策を無難に成し遂げる仕事人ぶりを発揮して、安定政権の構築の足場固めを着実にこなした。しかし、69年に発生した〈かっぱ王国革命〉への対応問題を巡って赤なす党タカ派の領袖であるきよなすに党内の主導権を奪われる政治的敗北を喫したことで状況が一変し、またこのことが直接の原因となって70年の総選挙で赤なす党の議席を減らしてしまった責任を問われ、なすぽーん政権はわずか3年弱で崩壊してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継の総理大臣に就任したのはきよなすであった。きよなすは〈かっぱ王国革命〉を機に王制打倒の革命の波がなすび半島へもたらされることを避けるべく、大規模な軍備拡張路線を唱えた。この路線は〈なすび王の国〉の世論を真っ二つに分ける大論争を呼び、経軍論争とも呼ばれる「経済重視対軍拡重視」の路線対立を引き起こした。だが、こうした世論にもかかわらずきよなす率いる赤なす党政権は72年の総選挙で安定多数を確保する大勝をおさめ、この勝利を根拠として軍拡路線を推し進める方針を採った。きよなす政権は、へた山脈防衛大綱などをまとめた72年安全保障法の制定を皮切りにして軍事費の増額やそれに伴う軍制改革を強行し、その集大成として74年には〈かっぱ王国〉への出兵に踏み切った。しかし、同年に青なす党の党首に民生重視を掲げるなすろうが就任すると世論の風向きが大きく変わる。なすろうは福祉や家計補助などを柱とする生活密着型の政策を提案したことで支持を集め、さらにちょうどこの時期から軍事費の増額に伴って減額された経済対策費用の減額の悪影響が国民の家計に出はじめたこともあり、国民世論は一挙に青なす党支持に傾いていった。そして、75年に入ると赤なす党の連立与党であるとまと党・にんじん党の党首が相次いで〈かっぱ王国〉出兵反対派の議員に交代したことできよなす政権は行き詰まり、結果的に同年の総選挙で青なす党を中心とする勢力が過半数を制したことで赤なす党政権は約17年間維持した政権の座を失うこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二期青なす党政権（75年～80年）==&lt;br /&gt;
なすろうが率いる青なす党が政権を奪還した75年9月から、赤なす党のアリナス政権が成立する80年7月まで続いた青なす党を中心とする政権を、第二期青なす党政権と呼ぶ。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすろう&lt;br /&gt;
|75.9~79.12&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党・葉もの同盟&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なす・ケイ&lt;br /&gt;
|79.12~80.7&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党・葉もの同盟&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二期青なす党政権は、「民生重視」のスローガンに端的に象徴される社会保障政策の推進を政権の最大の特徴とする。前政権との対比を重視し、軍制のような国家規模の壮大な政治テーマから国民の日々の生活という個々人に密接にかかわる政治テーマを取り上げたことで、主に労働者層を中心とする中・低所得者階級から支持を集めた。与党である青なす党・だいこん党・葉もの同盟の三党はそうした中・低所得者階級を支持基盤とする政党であることから、経済界などの資本家・地主階級を支持基盤とする赤なす党との相違点を強調して、「弱者の味方」&amp;lt;ref&amp;gt;30年代、党創建当時の青なす党のスローガン。&amp;lt;/ref&amp;gt;という政権のイメージづくりを徹底した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
75年に総理大臣に就任したなすろうは、医療・介護・教育の充実を政権の最大の目標として設定し、政権発足後の最初の2年間で75年複合保険法&amp;lt;ref&amp;gt;介護保険法・労働保険法・福祉保険財源特例法の三法の総称。&amp;lt;/ref&amp;gt;・75年民生官庁再編法・76年教育基本法などの法律を矢継ぎ早に成立させていった。また、高度成長に伴うインフレーションの恩恵を受けられない低所得者層の保護政策として、高所得者と中・低所得者間の税負担のバランスを調整する76年税制調整法などは、上述の法律と合わせて概ね世論から好意的に受け止められた。一方で、一連の中・低所得者厚遇政策は赤なす党の支持基盤である資本家・地主層の強い危機感を呼び覚まし、77年には赤なす党の政権復帰を望む財界の実力者が出資者となって全国的な保守政治結社・全やさい保守政治連盟が結成された。保守派の結集は赤なす党にとって強力な追い風となり、国民世論の青なす党政権に対する支持率とは裏腹に、各地方自治体の選挙では赤なす党を中心とする勢力の勝利が相次ぐようになった。ここに、組織票に支えられる赤なす党勢力と国民世論に支えられる青なす党勢力という二大勢力の対立構造が明瞭となり、この構造が70年代後半以降の〈なすび王の国〉政治の軸となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
79年に入ると、なすろうは総選挙のタイミングを探るようになったが、同年12月、なすろうは突如病に倒れて意識を失い、一命こそとりとめたものの総理大臣の職務継続は不可能と判断して退陣を表明した&amp;lt;ref&amp;gt;この4ヶ月後になすろうは亡くなった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この突然生まれた権力の空白は青なす党政権を大きく動揺させた。後任の総理大臣には青なす党のナンバー2であったなす・ケイが就任したが、なす・ケイ政権は強力なリーダーの引退による青なす党政権のレームダック化に対して有効な対策を打つことができず、盤石に見えていた世論の支持も徐々に失っていった&amp;lt;ref&amp;gt;これには、元々なすろう政権の支持率がなすろう個人の人気に支えられていたということも大きく影響している。また、支持率漸減の兆候はなすろう政権時代の末期にはすでに表れはじめていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局、同年7月の総選挙では強い組織票を固めた赤なす党が地滑り的大勝をおさめて政権は赤なす党のアリナスへと移った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二期赤なす党政権（80年～85年）==&lt;br /&gt;
第二期赤なす党政権は、80年のアリナス政権発足から85年の政情不安（いわゆる85年政局）によって第二次きよなす政権が崩壊するまでの5年間存続した。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|アリナス&lt;br /&gt;
|80.7~81.10&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|きよなす（第二次）&lt;br /&gt;
|81.10~85.1&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この期間は、赤青二大政党制時代でも最も政党間の対立が緊迫した時期であり、政策よりも政局に多大なエネルギーが費やされることとなった。特に、80年12月の〈だいこん党事件〉と85年から始まる〈85年政局〉はそのハイライトである。結果的には、第二期赤なす党政権は後世の歴史から見て赤なす党の一党優位体制が固定化する端緒となる時代と評されることが多く、特に〈だいこん党事件〉を境として赤青二大政党制時代を前半と後半に分ける学説が主流とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二期赤なす党政権最初の総理大臣にはアリナスが就任したが、アリナスは赤なす党内における権力基盤が脆弱であったため、実際には元総理大臣・きよなすの一派が政権を指揮した。きよなすは厳格な保守政治を志向し、農家所得の保証をはじめとする社会保障政策を実施してリベラル層に一定の配慮こそ見せたが、実質的には資本家・地主階級を優遇する反リベラル政治を推し進めた。こうした中で、80年12月に〈だいこん党事件〉が発生した。〈だいこん党事件〉は第二期青なす党政権で連立与党を務めただいこん党の幹部が、赤なす党政権打倒のクーデターを計画していたことが発覚したスキャンダルに端を発し、最終的にはだいこん党本部が警察の捜索を受けた上で党幹部を含む多数の逮捕者を出して、だいこん党が解党に追い込まれた事件である。この事件の影響は大きく、まず世論のリベラル勢力支持率が大きく減少し、加えて青なす党はだいこん党という有力な友党を失ったことでその党勢を後退させた。これは、赤青二大政党制の歴史において赤なす党の優位が確定するきっかけとなり、時代の大きな転換点となる事件となった&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、この事件については陰謀説を唱える意見が後を絶たない。赤なす党がだいこん党を罠にはめたであるとか、その後の裁判で関係者の証言が激しく食い違う場面が見られたことから黒幕が存在するなどといった説が数多く唱えられている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈だいこん党事件〉によって赤なす党政権は政治基盤を強化することに成功した。さらに、81年10月にはアリナスが突如辞意を表明したことで政権が正式にきよなすへと移り、第二期赤なす党政権はきよなすを頂点とする強固なピラミッド型の政権構造を確立させた。この構造を背景にして、きよなす政権は82年組織法、83年警察庁設置法、84年集会制限法などの統制型社会を実現させるための法律を次々に成立させた。きよなす政権は、経済に対しても国家による介入を強める統制経済の方針をとったため、第二次きよなす政権による一連の政策を統制改革と呼ぶ。青なす党は、党の母体となっている青なすの民族を中心にして反政府デモを活発化させ赤なす党政権に対抗しようと試みたが、〈だいこん党事件〉の影響もあって他のやさい民族からの理解があまり得られず、存在感を示すには至れなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、きよなすによる強権的な政治は赤なす党政権の連立与党であったとまと党の離反を招いてしまう。具体的には84年9月のとまと党代表選挙において、行き過ぎた統制経済を諫める方針を唱えたトマーヌが当選し、赤なす党に対して連立離脱もちらつかせながら統制改革の部分的な緩和を要求しはじめたのである。きよなすはこの動きに対して突然の議会解散・総選挙を以て対応し、赤なす党の議会単独過半数独占を目指す強気な行動に打って出た。しかし、85年1月に施行された総選挙では赤なす党は単独過半数獲得に失敗し、議会はいずれの政党・勢力も過半数をとれないハングパーラメントの状態に陥った。一連の経緯からとまと党は赤なす党との連立を解消したために、赤なす党は政権を維持することができなくなって、同月末に崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==85年政局と中立内閣（85年～87年）==&lt;br /&gt;
きよなす政権の崩壊後の2年間、〈なすび王の国〉では赤なす・青なす両党いずれもが安定政権を確保できず、2つの短命内閣と1つの中立内閣によって政治が行われた。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85.1~85.4&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|でるなす&lt;br /&gt;
|85.4~85.12&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85.12~87.12&lt;br /&gt;
|（中立内閣）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
85年の総選挙によってハングパーラメントとなった〈なすび議会〉は、きよなすの後継の総理大臣を指名する選挙を行ったが、1回目の投票では過半数をとるものが現れずに決選投票を行うこととなった。この決選投票は、赤なす党の友党であるとまと党などは赤なす党代表に投票することを拒否して棄権したため、議会の少数勢力であった青なす党と葉もの同盟が推すなすりゅう（青なす党党首）が当選者となり、なすりゅう内閣が成立した。しかし、この内閣は「見切り発車内閣」という渾名の通り議会の過半数の支持を得ない少数与党の内閣であったため、他党との連立交渉を妥結させて早期に議会の過半数を確保することが急務であった。だが、なすりゅうは連立交渉に失敗を重ねて同年4月には辞意を表明する。ここで、赤なす・青なす両党は同年12月に再選挙を実施することで合意し、その選挙管理内閣として赤なす党のでるなすによる暫定内閣の成立が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、85年12月に行われた再度の総選挙を経ても議会の議席構成はほぼ変わることがなく、ハングパーラメントを解消することができなかった。そこで、同月にもろこし州州都・もろもろにて開かれた全政党の代表者が集まった会議（もろもろ会議）にて、2年の時限付き内閣の設置・同内閣の中立化・その間の政党同士による政治抗争停止の紳士協定という3つの取り決めを定めた〈もろもろの妥協〉が結ばれた。この妥協によって、各政党は2年間の間に本格政権成立を目指した準備を行うことが決められた。この中立内閣の首班には、紫なすびのなすびんシニアが選出され、全党派協力体制による期間限定内閣が成立した。なすびんシニア政権は、〈もろもろの妥協〉によって新規の政策を行うことが禁止され、緊急的・日常的な政務のみを行う内閣とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすびんシニア政権の2年間で、各政党は十分な時間を確保したことから綿密な連立協議と党組織の拡充に全力を挙げることとなった。しかしこの勢力拡大レースは、青なす党よりも組織力で勝る赤なす党が常に一歩リードする展開となり、86年に結ばれた赤色系やさいの政党による連立合意によって赤色やさい連合が成立すると、次期総選挙の趨勢は事実上決した。赤なす党勢力はきよなす政権時代から方針を大きく転換して新自由主義的な小さな政府という新しい国家像を示したのに対し、青なす党勢力は従来通りの福祉国家路線を捨て去ることができなかったことも、こうした赤なす党優勢の状況に拍車をかけた。87年の総選挙では、赤色系やさい連合は議会の2/3を占める歴史的圧勝を果たし、時代は赤なす党一党単独優位体制となる第三期赤なす党政権へと移る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三期赤なす党政権（87年～95年）==&lt;br /&gt;
第三期赤なす党政権は、87年のエアロナスルン政権発足から95年の〈王太子のクーデター〉成立までの8年間続いた。赤青二大政党制最後の政権である。また、この政権下の90年7月にはなすごん6世が新国王に即位した。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87.12~93.9&lt;br /&gt;
|赤色系やさい連合 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすごろう&lt;br /&gt;
|93.9~95.5&lt;br /&gt;
|赤色系やさい連合&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
87年の総選挙で政権を樹立したのは、赤なす党のエアロナスルンであった。エアロナスルンは、きよなす政権時代の赤なす党のイメージを払拭すべく「自由・開放・発展」という新たなスローガンを前面に掲げ、新自由主義政策を政権の新たな柱に据えた。エアロナスルン政権は議会の圧倒的多数という政権基盤を背景にして、89年運輸事業法・89年交通インフラ法・90年港湾法・92年産業省再編法などの諸改革を断行していった。いずれも中心になっているのは経済であり、規制改革・民間需要の喚起・経済の自由化などがテーマとなった。こうした自由な気風の政策は国民の支持を強く受け、エアロナスルン政権はその在任中に総選挙で連戦連勝を重ねた。だが、新自由主義経済の浸透に伴って国内では社会階級間の経済格差が深刻化した。青なす党の支持基盤である中・低所得者層は新自由主義経済の恩恵をわずかにしか受けられず、他方で資本家・地主階級は多くの経済的恩恵を受けた。この事実は社会階級間の対立感情を悪化させ、特に中・低所得者階級の反政府感情を醸成する原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エアロナスルンが93年に引退すると、後継の総理大臣に就いたなすごろうも新自由主義政策を引き継いで資本家・地主階級を優遇する態度を崩さなかった。なすごろう自身は青なすびを中心とする労働者階級に対して一定の配慮を見せようとしていたが、エアロナスルンを中心とする党内タカ派の影響でそうした配慮は骨抜きにされ、こうした傾向は94年の税制改革で端的に表現された。この税制改革は資本家・地主階級は厚遇される一方、中・低所得者階級は事実上の負担増を求められるものであった。このような各社会階級を狙い撃ちしたような政策は中・低所得者階級の猛烈な反発を呼び、95年5月に開かれたメーデーでは政府に対する不満を叫ぶ青なすびを中心とする参加者が大規模な反政府デモを全国で展開する事態に陥った（〈青なす党のなが～いメーデー〉）。政府は、デモの参加者が一部で暴徒化したことを受けて戒厳令の発布を宣言し、武力を以てデモを鎮圧する方針を表明したが、これがデモ参加者のさらなる反発を呼び、軍とデモ隊の武力衝突が現実となったことで事態は収取のつかない状態になっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中、状況は急転直下で収束する。首都・なすごんにて、王太子・なすひこによるクーデターが起こったためである。王太子は水面下でとまと党などと連携して近衛兵を動員し、「国民に銃を向けた罪」を理由にして国王・政府要人を次々に逮捕、拘束した。直後に、王太子は国民向けの演説でたたかいをやめるように呼びかけ、次いで現国王・なすごん6世の退位と自身の国王践祚・新憲法制定議会の設置・暫定政府の設立などを発表した。この、いわゆる〈王太子のクーデター〉によって〈第二憲法〉は事実上停止され、とまと大臣を首班とする暫定政府の下で、なすごろう政権は赤なす党と青なす党を中心とする政治体制そのものとともに解体された。この政変により赤青二大政党制は終焉し、時代は〈憲法制定議会期〉を経て〈第三憲政〉へと移ることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[なすび王の国]]&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[〈なすび王の国〉の政治]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E9%9D%92%E4%BA%8C%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6&amp;diff=229</id>
		<title>赤青二大政党制</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E9%9D%92%E4%BA%8C%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6&amp;diff=229"/>
		<updated>2022-04-03T17:16:12Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 第一期赤なす政権期（58年～75年） */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;赤青二大政党制とは、〈[[なすび王の国]]〉における政治体制の一つ。なす暦42年の第一回なすび議会総選挙の結果成立し、95年の〈第三憲政〉成立までおよそ53年間続いた。資本家階級を代表する赤なす党と、労働者階級を代表する青なす党が（一部の例外を除いて）二大政党として交互に総理大臣を輩出し、選挙による政権交代を通じておよそ半世紀に及ぶ安定的な政治体制を実現した。この間、赤なす・青なす両党が議会の過半数を占めた時期はごく僅かであり、大半の時期を中・小規模政党との連立によって政権を組織したことから厳密な意味での二大政党制が実現したわけではなかったが、赤なす・青なす両党が一貫して政局の中心に位置したことからこの名で呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前史==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉では、〈第一憲法〉の成立までは国王と貴族による専制政治が敷かれていたが、なす暦30年代に入るとそうした特権階級による権力の独占に対抗するための政治結社（政党）が結成され始めた。同国最初の政党である青なす同盟（なす暦30年結成。のち、青なす党に改称）&amp;lt;ref&amp;gt;その後成立した諸政党のいずれもが、民族ごとのつながりで結成されたものであった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は社会的身分の低い民族の政治参画実現というリベラルな主張を旗印に掲げて勢力を広げ、なす暦31年の〈大たまごの間の政変〉で政府内部の穏健派&amp;lt;ref&amp;gt;現行の超然的専制政治体制を緩和するための議会政治創設などに寛容な一部の貴族勢力。&amp;lt;/ref&amp;gt;が追放されると、国内では反専制政治を掲げる運動が勃興した。青なす党は労働者階級である青なすびを中心にした組織であったため、「青なす党は弱者の味方」というイメージが次第に国民に浸透し、当時の国王・なすごん4世が率いる政府も青なす党の勢力拡大を無視できない状況になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、政府はなす暦36年に内閣制度創設を柱とする大規模な行政改革を断行して反政府運動を緩和させることを試みた。しかし、この改革は初代総理大臣に貴族階級である紫なすびのなすでぃんが任命されるなど、既存の専制政治体制の表紙だけを変えたような不十分なものであったために国民からは評価されず、返ってより抜本的な改革を目指すという反政府運動の熱気を高める結果に終わってしまった。さらに、その紫なすびたちの間でも権力を巡った争いが激化して総理大臣の交代が相次ぎ、政権はさらに不安定化してしまった。この過程で、政府の主導権を失いつつあったなすごん4世は緑なすびの孤立化を防ぐ目的から王権の制限を柱とする立法（36年行政権法や37年立法手続法）の成立を黙認するにまで追い込まれ、ついで38年には国王の専制政治を廃止することを明確にした〈第一憲法〉を制定し、政治体制は専制君主制から立憲君主制へと移行した。だが、こうした改革を経ても青なす党を筆頭とする反政府勢力の運動は鎮静化する気配を見せず、国王を中心とする政府を取り巻く状況は悪化の一途をたどった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
40年8月、なすごん4世が崩御して新たになすごん5世が即位すると、状況が一変する。政権の維持すら危うい状況に陥ったと考えた新王は、比較的国王・貴族階級と関係が深い資本家階級の民族・赤なすびのリーダーであるなすじゅうろうを総理大臣に指名し、政党勢力との妥協を模索した。王族の緑なすび、貴族の紫なすび以外の民族（品種）出身者が政府の長に就くことはこれがはじめてであった。これはなすじゅうろうが内閣制度創設の直前に赤なすびたちを糾合して結成した赤なす党は、青なす党とは対照的に、国王・貴族との調和を重視した保守的な政治を掲げていたためである。後世の歴史から見ると、このことは結果的に政治の実権が緑・紫両なすびたちから赤・青両なすびへの移る画期となる出来事であり、&lt;br /&gt;
ここに、保守主義を掲げる赤なす党と、リベラル主義を掲げる青なす党という2つの政党が対立する構図が誕生することとなった。内閣制度草創期こそ、その他の政党も一定の勢力を持って存在していたが、まもなく国内では保守派は赤なす党に、リベラル派は青なす党にそれぞれ与して対抗するようになり、赤青二大政党制へと繋がる保守・リベラルの勢力図は、なす暦42年ごろまでにはほぼ完成していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤なす党政権は、なすごん5世の意向もあって普通選挙によって選出された議員による立法府の創設へと動き出す。この動きは青なす党をはじめとする在野の政党からも総じて好意的に受け止められたため、改革は急速に進んだ。この改革は41年に立憲君主制・三権分立・民族平等を掲げた〈第二憲法〉の発布によって結実する。〈第二憲法〉は〈第一憲法〉と比べて国家統治についての原理原則や手続きを定めた本格的な硬性憲法であり、議会政治の創設をはじめとして従前の〈なすび王の国〉の国政から根本的な変更が行われたという点において、同国史上の画期となる出来事となった。&amp;lt;ref&amp;gt;〈なすび王の国〉の歴史における「憲政時代」は、広義には〈第一憲法〉の施行以降を、狭義には〈第二憲法〉の施行以降を指す。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
42年に入ると、新憲法の規定に基づいて単純小選挙区制による議会の普通選挙が実施され、〈なすび王の国〉ではじめて民間人による政治参画が実現する。この選挙で主役となったのが政党であった。主要政党には赤なす党・青なす党のほか、とまと党・だいこん党・葉もの同盟などが存在したが、事実上赤青両なす党の一騎打ちという構図で選挙戦は進んだ。赤なす党は憲法制定などの実績をアピールして一定の支持を集めたが、世論は「弱者の味方」を掲げる青なす党への支持が最高潮に達しており&amp;lt;ref&amp;gt;当時の新聞による世論調査でも、政党支持率は赤なす党の16％に対して青なす党は45％を記録していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;、結果、第1回なすび議会総選挙で青なす党は議席の70％を独占する地滑り的大勝をおさめた。選挙後に開かれた第1期なすび議会において、議会は憲法の規定に従って総理大臣の指名選挙を行い、青なす党のリーダーであるなすごんどうを新総理大臣に選出した。赤なす党から青なす党へと、選挙の結果による法的な政権移譲が行われ、〈なすび王の国〉では専制政治の時代から本格的な政党政治の時代へと名実ともに移行した。これを以て、赤青二大政党制の始期とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一期青なす党政権（42年～58年）==&lt;br /&gt;
第一期青なす党政権は、42年のなすごんどう内閣の成立から58年の第二次ビッグ・なす（赤なす党党首）内閣の成立までの約16年間続いた（54年6月から同年11月までの約5ヶ月間を除く&amp;lt;ref&amp;gt;この期間は、赤なす党のビッグ・なすが第一次内閣を組織していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;）。この期間の総理大臣は以下の3名、内閣は以下の4つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42.1~42.9&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすとる（第一次）&lt;br /&gt;
|42.9~54.6&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ビッグ・なす&lt;br /&gt;
|54.6~54.11&lt;br /&gt;
|赤なす党・もろこし党・とまと党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすとる（第二次）&lt;br /&gt;
|54.11~58.2&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
表の通り、この期間のほぼすべてで政権を率いたのはなすとるである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
42年1月、初の総選挙の結果総理大臣に就任したなすごんどうは「憲法の精神の涵養」と「下級身分のための政治」を唱えて、リベラル政治の定着を最優先課題に掲げた。なすごんどう内閣は初の議会による予算編成を無難に終えると、「国民のための政治に関するロードマップ」を発表して新内閣が進める政策の具体的な計画を示して国民に新政権が目指す政治体制の骨格を示した。しかし、同年9月になすごんどうは病に倒れると「政治的良心に従って」潔く引退する意向を示し、後継者に青なす党幹事長のなすとるを指名して退陣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごんどう政権を引き継いだなすとる政権（第一次）は、前政権が示したロードマップの踏襲を明言して諸改革を進めていった。第一次なすとる政権の実績の中で特に重要なものは、国王および王室に関する法整備・政党内閣政治に関する法整備・身分制度改革・社会保障改革の4点&amp;lt;ref&amp;gt;特に、①43年王権関連三法（国王および王室に関する法整備）、②50年政党法と50年普通選挙法（政党内閣政治に関する法整備）、③54年廃公令（身分制度改革）、④43年労働基本法と52年民生基本法（社会保障改革）の法制化が挙げられる。&amp;lt;/ref&amp;gt;である。これらの政策について、政治学者のなすですは「一部の特権階級による権力乱用の阻止を法制化した」と述べ、赤青二大政党制を軸とする〈第二憲政〉の体制が保守主義一辺倒になることを防いだと評価している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連のリベラル政策は概ね国民から好意的に受け止められ、46年および50年の総選挙では青なす党が安定多数の議席を確保した。「弱者の味方」という青なす党の旗印を体現したなすとるへの支持率は、50年代初頭までは安定して推移していた。しかし、52年に中道保守路線を唱えるビッグ・なすが赤なす党党首に就任すると、青なす党と赤なす党の支持率は拮抗するようになる&amp;lt;ref&amp;gt;ビッグ・なすは、従来の保守派の主張の柱であった「王権擁護・身分制度尊重」の方針を大転換し、「経済成長路線・財界重視」の方針を主張した。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この結果、54年の総選挙では青なす党が大方の予想を覆して獲得議席を大きく減らし、議会の比較第一党は維持しながらも過半数を失う敗北を喫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
選挙後、なすとるは比較第一党の維持を根拠にして政権の維持に意欲を見せるが、政権奪還の執念に燃える赤なす党は第三党のもろこし党・第四党のとまと党とともに連立政権樹立のための合意を電撃的に結んで議会の過半数を確保し、なすとる政権を退陣へと追い込んだ。当時の社会通念では、比較第一党が政権をとれないということは想定されておらず、赤なす党のこうした動きは政界のみならず国民世論の間でも波紋を広げた。ビッグ・なすは54年6月に第一次政権を開くが、この政権は急造の連立合意が機能せず迷走し&amp;lt;ref&amp;gt;閣僚名簿の完成に1ヶ月を要するという混乱ぶりであった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、結果的には同年10月にとまと党が連立を離脱したことで政権は議会の過半数を喪失してしまった。一方、青なす党は下野後に労働者階級を支持基盤とする第五党のだいこん党と接近し、両党はとまと党の連立離脱の翌日に政権奪還を想定した政策合意文書に署名した。翌11月、ビッグ・なすが混乱の責を負って退陣すると、後任には議会の過半数の支持を回復していたなすとるが再登板する形で就任し、第二次なすとる政権が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青なす党が単独で議会の過半数を握っていた第一次政権と違い、第二次なすとる政権は他党との連立によって政権を開いたため、なすとるは難しい政権運営を強いられた。青なす党はだいこん党との調整の中で主要な政策の修正を余儀なくされ、中でも56年の内務省改革法案廃案騒動&amp;lt;ref&amp;gt;なすとるが「〈第二憲法〉体制完成の最後の一手」とまで主張した内務省改革が頓挫した事件。強大な権力を握る内務省の弱体化をねらったが、内務省の猛烈な巻き返しを受けて政権が混乱し、結果的にはなすとる政権崩壊のきっかけとなってしまった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は、なすとるの指導力が決定的に失われた象徴的な事件となった。この一件を契機として、青なす党内ではなすとるの党首辞任を求める〈中間党の乱〉が発生したが、なすとるは求心力回復の切り札として議会解散で反なすとるの動きに応じた。しかし、総選挙では青なす・だいこん両与党は赤なす党を中心とする保守系三党&amp;lt;ref&amp;gt;赤なす党・とまと党・にんじん党。&amp;lt;/ref&amp;gt;に敗れて過半数を喪失し、なすとる政権は総辞職に追い込まれる。後継には赤なす党のビッグ・なす&amp;lt;ref&amp;gt;ビッグ・なすは第一次ビッグ・なす政権崩壊後に一度は党首を辞任したものの、党内最大派閥を率いて実質的な赤なす党のオーナーとして権力をふるい、57年10月には党首職に復帰していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;が再度総理大臣に指名されて第二次ビッグ・なす政権を開き、約16年に及ぶ青なす党を中心とする政権の時代は終わりを迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一期赤なす政権期（58年～75年）==&lt;br /&gt;
第二次ビッグ・なす政権が成立した58年2月から青なす党が再び政権を奪還する75年9月まで続いた赤なす党による政権を、第一次赤なす政権と呼ぶ。この期間の総理大臣と政権は、以下の通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ビッグ・なす（第二次）&lt;br /&gt;
|58.2~67.4&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67.4~70.1&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|きよなす（第一次）&lt;br /&gt;
|70.1~75.9&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次赤なす党政権期のキーワードは、経済大国路線と「外政の季節」である。いずれも、内政の体制構築を優先した第一次青なす党政権に対応した言葉であり、赤なす党の支持基盤である資本家階級を中心とする経済界の意向を受けての方針であった。経済大国路線は資本家階級重視の政策であり、経済発展を基盤として国力を増強しようという考え方である。一方「外政の季節」とは、ビッグ・なすが二度目の総理大臣就任演説で発言した「青なす政権の時代は内政の季節であったが、われわれの時代は外政の季節となるであろう」という言葉が由来である。「外政の季節」は、60年代までは貿易立国路線を指す言葉であったが、70年代に入ると軍備増強路線を指す言葉へと意味が変容し、肯定・否定を問わず第一次赤なす党政権を評する言葉としてさまざまな文脈で使用される言葉となった。総じて、経済・軍事両面における第一次赤なす政権の対外関係政策を表す言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一期赤なす政権期最初の政権となった第二次ビッグ・なす政権の最大の功績は、のちにビッグ・なす法制と呼ばれる産業と貿易に関する条約・法律群を制定したことである。ビッグ・なす法制を構成する特に主要な条約・法律は、59年指定重要産業法・なすび海沿岸貿易条約・64年海運法の3つである。59年指定重要産業法では、〈なすび王の国〉の農業偏重主義という産業構造からの脱却を図って、紡績業や重工業といった新興の国内産業を国が全面的に支援する体制を整えるための法律である。この法律によって、〈なすび王の国〉の西海岸では工場の建設ラッシュが起こり、東部や北部などの伝統的な農業地帯を温存しながら多様な産業を等しく発展させる下地が形成された。つづくなすび海沿岸貿易条約は、そうした西海岸地帯の発展に伴って生じた余剰生産物を他国に輸出する必要性が高まったために結ばれた条約である。この条約では、〈岩山の王国〉を筆頭とするなすび海沿岸地域の国々との間で相互に関税を優遇する取り決めがなされた。この恩恵を最も受けたのは〈なすび王の国〉や〈岩山の王国〉などの大国のみであったものの、全体としては同条約が結ばれた地域は60年代を通して〈なすび海特需〉と呼ばれる好景気に沸き、〈なすび王の国〉がそれを牽引する形でさらに地域全体が好景気になるという好循環が生まれた。64年海運法はそのような新時代の貿易体制を支えるための法律であり、海運業に関する各種規制を緩和する措置をとることでよりなすび海を通した貿易を促進させる効果を発揮した。以上のような経済政策によって、〈なすび王の国〉は高度成長と呼ばれる空前の好景気に沸いた。ビッグ・なす政権は青なす党の復権を阻止するための対策として63年労働者権利法をはじめとする社会保障法制の整備にも注力し、これが功を奏したことで総選挙に連戦連勝を重ね、ついに本格的な危機に陥ることなく67年4月まで約9年もの間政権を維持することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビッグ・なすが年齢を理由にして総理大臣を引退すると、あとを継いだのはビッグ・なす政権で一貫して内務大臣を務めていたなすぽーんであった。なすぽーんはビッグ・なすの方針を引き継いで産業庁の設置や鉄道利権再編などの難しい政策を無難に成し遂げる仕事人ぶりを発揮して、安定政権の構築の足場固めを着実にこなした。しかし、69年に発生した〈かっぱ王国革命〉への対応問題を巡って赤なす党タカ派の領袖であるきよなすに党内の主導権を奪われる政治的敗北を喫したことで状況が一変し、またこのことが直接の原因となって70年の総選挙で赤なす党の議席を減らしてしまった責任を問われ、なすぽーん政権はわずか3年弱で崩壊してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継の総理大臣に就任したのはきよなすであった。きよなすは〈かっぱ王国革命〉を機に王制打倒の革命の波がなすび半島へもたらされることを避けるべく、大規模な軍備拡張路線を唱えた。この路線は〈なすび王の国〉の世論を真っ二つに分ける大論争を呼び、経軍論争とも呼ばれる「経済重視対軍拡重視」の路線対立を引き起こした。だが、こうした世論にもかかわらずきよなす率いる赤なす党政権は72年の総選挙で安定多数を確保する大勝をおさめ、この勝利を根拠として軍拡路線を推し進める方針を採った。きよなす政権は、へた山脈防衛大綱などをまとめた72年安全保障法の制定を皮切りにして軍事費の増額やそれに伴う軍制改革を強行し、その集大成として74年には〈かっぱ王国〉への出兵に踏み切った。しかし、同年に青なす党の党首に民生重視を掲げるなすろうが就任すると世論の風向きが大きく変わる。なすろうは福祉や家計補助などを柱とする生活密着型の政策を提案したことで支持を集め、さらにちょうどこの時期から軍事費の増額に伴って減額された経済対策費用の減額の悪影響が国民の家計に出はじめたこともあり、国民世論は一挙に青なす党支持に傾いていった。そして、75年に入ると赤なす党の連立与党であるとまと党・にんじん党の党首が相次いで〈かっぱ王国〉出兵反対派の議員に交代したことできよなす政権は行き詰まり、結果的に同年の総選挙で青なす党を中心とする勢力が過半数を制したことで赤なす党政権は約17年間維持した政権の座を失うこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二期青なす党政権（75年～80年）==&lt;br /&gt;
なすろうが率いる青なす党が政権を奪還した75年9月から、赤なす党のアリナス政権が成立する80年7月まで続いた青なす党を中心とする政権を、第二期青なす党政権と呼ぶ。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすろう&lt;br /&gt;
|75.9~79.12&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党・葉もの同盟&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なす・ケイ&lt;br /&gt;
|79.12~80.7&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党・葉もの同盟&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二期青なす党政権は、「民生重視」のスローガンに端的に象徴される社会保障政策の推進を政権の最大の特徴とする。前政権との対比を重視し、軍制のような国家規模の壮大な政治テーマから国民の日々の生活という個々人に密接にかかわる政治テーマを取り上げたことで、主に労働者層を中心とする中・低所得者階級から支持を集めた。与党である青なす党・だいこん党・葉もの同盟の三党はそうした中・低所得者階級を支持基盤とする政党であることから、経済界などの資本家・地主階級を支持基盤とする赤なす党との相違点を強調して、「弱者の味方」&amp;lt;ref&amp;gt;30年代、党創建当時の青なす党のスローガン。&amp;lt;/ref&amp;gt;という政権のイメージづくりを徹底した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
75年に総理大臣に就任したなすろうは、医療・介護・教育の充実を政権の最大の目標として設定し、政権発足後の最初の2年間で75年複合保険法&amp;lt;ref&amp;gt;介護保険法・労働保険法・福祉保険財源特例法の三法の総称。&amp;lt;/ref&amp;gt;・75年民生官庁再編法・76年教育基本法などの法律を矢継ぎ早に成立させていった。また、高度成長に伴うインフレーションの恩恵を受けられない低所得者層の保護政策として、高所得者と中・低所得者間の税負担のバランスを調整する76年税制調整法などは、上述の法律と合わせて概ね世論から好意的に受け止められた。一方で、一連の中・低所得者厚遇政策は赤なす党の支持基盤である資本家・地主層の強い危機感を呼び覚まし、77年には赤なす党の政権復帰を望む財界の実力者が出資者となって全国的な保守政治結社・全やさい保守政治連盟が結成された。保守派の結集は赤なす党にとって強力な追い風となり、国民世論の青なす党政権に対する支持率とは裏腹に、各地方自治体の選挙では赤なす党を中心とする勢力の勝利が相次ぐようになった。ここに、組織票に支えられる赤なす党勢力と国民世論に支えられる青なす党勢力という二大勢力の対立構造が明瞭となり、この構造が70年代後半以降の〈なすび王の国〉政治の軸となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
79年に入ると、なすろうは総選挙のタイミングを探るようになったが、同年12月、なすろうは突如病に倒れて意識を失い、一命こそとりとめたものの総理大臣の職務継続は不可能と判断して退陣を表明した&amp;lt;ref&amp;gt;この4ヶ月後になすろうは亡くなった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この突然生まれた権力の空白は青なす党政権を大きく動揺させた。後任の総理大臣には青なす党のナンバー2であったなす・ケイが就任したが、なす・ケイ政権は強力なリーダーの引退による青なす党政権のレームダック化に対して有効な対策を打つことができず、盤石に見えていた世論の支持も徐々に失っていった&amp;lt;ref&amp;gt;これには、元々なすろう政権の支持率がなすろう個人の人気に支えられていたということも大きく影響している。また、支持率漸減の兆候はなすろう政権時代の末期にはすでに表れはじめていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局、同年7月の総選挙では強い組織票を固めた赤なす党が地滑り的大勝をおさめて政権は赤なす党のアリナスへと移った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二期赤なす党政権（80年～85年）==&lt;br /&gt;
第二期赤なす党政権は、80年のアリナス政権発足から85年の政情不安（いわゆる85年政局）によって第二次きよなす政権が崩壊するまでの5年間存続した。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|アリナス&lt;br /&gt;
|80.7~81.10&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|きよなす&lt;br /&gt;
|81.10~85.1&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この期間は、赤青二大政党制時代でも最も政党間の対立が緊迫した時期であり、政策よりも政局に多大なエネルギーが費やされることとなった。特に、80年12月の〈だいこん党事件〉と85年から始まる〈85年政局〉はそのハイライトである。結果的には、第二期赤なす党政権は後世の歴史から見て赤なす党の一党優位体制が固定化する端緒となる時代と評されることが多く、特に〈だいこん党事件〉を境として赤青二大政党制時代を前半と後半に分ける学説が主流とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二期赤なす党政権最初の総理大臣にはアリナスが就任したが、アリナスは赤なす党内における権力基盤が脆弱であったため、実際には元総理大臣・きよなすの一派が政権を指揮した。きよなすは厳格な保守政治を志向し、農家所得の保証をはじめとする社会保障政策を実施してリベラル層に一定の配慮こそ見せたが、実質的には資本家・地主階級を優遇する反リベラル政治を推し進めた。こうした中で、80年12月に〈だいこん党事件〉が発生した。〈だいこん党事件〉は第二期青なす党政権で連立与党を務めただいこん党の幹部が、赤なす党政権打倒のクーデターを計画していたことが発覚したスキャンダルに端を発し、最終的にはだいこん党本部が警察の捜索を受けた上で党幹部を含む多数の逮捕者を出して、だいこん党が解党に追い込まれた事件である。この事件の影響は大きく、まず世論のリベラル勢力支持率が大きく減少し、加えて青なす党はだいこん党という有力な友党を失ったことでその党勢を後退させた。これは、赤青二大政党制の歴史において赤なす党の優位が確定するきっかけとなり、時代の大きな転換点となる事件となった&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、この事件については陰謀説を唱える意見が後を絶たない。赤なす党がだいこん党を罠にはめたであるとか、その後の裁判で関係者の証言が激しく食い違う場面が見られたことから黒幕が存在するなどといった説が数多く唱えられている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈だいこん党事件〉によって赤なす党政権は政治基盤を強化することに成功した。さらに、81年10月にはアリナスが突如辞意を表明したことで政権が正式にきよなすへと移り、第二期赤なす党政権はきよなすを頂点とする強固なピラミッド型の政権構造を確立させた。この構造を背景にして、きよなす政権は82年組織法、83年警察庁設置法、84年集会制限法などの統制型社会を実現させるための法律を次々に成立させた。きよなす政権は、経済に対しても国家による介入を強める統制経済の方針をとったため、第二次きよなす政権による一連の政策を統制改革と呼ぶ。青なす党は、党の母体となっている青なすの民族を中心にして反政府デモを活発化させ赤なす党政権に対抗しようと試みたが、〈だいこん党事件〉の影響もあって他のやさい民族からの理解があまり得られず、存在感を示すには至れなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、きよなすによる強権的な政治は赤なす党政権の連立与党であったとまと党の離反を招いてしまう。具体的には84年9月のとまと党代表選挙において、行き過ぎた統制経済を諫める方針を唱えたトマーヌが当選し、赤なす党に対して連立離脱もちらつかせながら統制改革の部分的な緩和を要求しはじめたのである。きよなすはこの動きに対して突然の議会解散・総選挙を以て対応し、赤なす党の議会単独過半数独占を目指す強気な行動に打って出た。しかし、85年1月に施行された総選挙では赤なす党は単独過半数獲得に失敗し、議会はいずれの政党・勢力も過半数をとれないハングパーラメントの状態に陥った。一連の経緯からとまと党は赤なす党との連立を解消したために、赤なす党は政権を維持することができなくなって、同月末に崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==85年政局と中立内閣（85年～87年）==&lt;br /&gt;
きよなす政権の崩壊後の2年間、〈なすび王の国〉では赤なす・青なす両党いずれもが安定政権を確保できず、2つの短命内閣と1つの中立内閣によって政治が行われた。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85.1~85.4&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|でるなす&lt;br /&gt;
|85.4~85.12&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85.12~87.12&lt;br /&gt;
|（中立内閣）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
85年の総選挙によってハングパーラメントとなった〈なすび議会〉は、きよなすの後継の総理大臣を指名する選挙を行ったが、1回目の投票では過半数をとるものが現れずに決選投票を行うこととなった。この決選投票は、赤なす党の友党であるとまと党などは赤なす党代表に投票することを拒否して棄権したため、議会の少数勢力であった青なす党と葉もの同盟が推すなすりゅう（青なす党党首）が当選者となり、なすりゅう内閣が成立した。しかし、この内閣は「見切り発車内閣」という渾名の通り議会の過半数の支持を得ない少数与党の内閣であったため、他党との連立交渉を妥結させて早期に議会の過半数を確保することが急務であった。だが、なすりゅうは連立交渉に失敗を重ねて同年4月には辞意を表明する。ここで、赤なす・青なす両党は同年12月に再選挙を実施することで合意し、その選挙管理内閣として赤なす党のでるなすによる暫定内閣の成立が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、85年12月に行われた再度の総選挙を経ても議会の議席構成はほぼ変わることがなく、ハングパーラメントを解消することができなかった。そこで、同月にもろこし州州都・もろもろにて開かれた全政党の代表者が集まった会議（もろもろ会議）にて、2年の時限付き内閣の設置・同内閣の中立化・その間の政党同士による政治抗争停止の紳士協定という3つの取り決めを定めた〈もろもろの妥協〉が結ばれた。この妥協によって、各政党は2年間の間に本格政権成立を目指した準備を行うことが決められた。この中立内閣の首班には、紫なすびのなすびんシニアが選出され、全党派協力体制による期間限定内閣が成立した。なすびんシニア政権は、〈もろもろの妥協〉によって新規の政策を行うことが禁止され、緊急的・日常的な政務のみを行う内閣とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすびんシニア政権の2年間で、各政党は十分な時間を確保したことから綿密な連立協議と党組織の拡充に全力を挙げることとなった。しかしこの勢力拡大レースは、青なす党よりも組織力で勝る赤なす党が常に一歩リードする展開となり、86年に結ばれた赤色系やさいの政党による連立合意によって赤色やさい連合が成立すると、次期総選挙の趨勢は事実上決した。赤なす党勢力はきよなす政権時代から方針を大きく転換して新自由主義的な小さな政府という新しい国家像を示したのに対し、青なす党勢力は従来通りの福祉国家路線を捨て去ることができなかったことも、こうした赤なす党優勢の状況に拍車をかけた。87年の総選挙では、赤色系やさい連合は議会の2/3を占める歴史的圧勝を果たし、時代は赤なす党一党単独優位体制となる第三期赤なす党政権へと移る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三期赤なす党政権（87年～95年）==&lt;br /&gt;
第三期赤なす党政権は、87年のエアロナスルン政権発足から95年の〈王太子のクーデター〉成立までの8年間続いた。赤青二大政党制最後の政権である。また、この政権下の90年7月にはなすごん6世が新国王に即位した。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87.12~93.9&lt;br /&gt;
|赤色系やさい連合 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすごろう&lt;br /&gt;
|93.9~95.5&lt;br /&gt;
|赤色系やさい連合&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
87年の総選挙で政権を樹立したのは、赤なす党のエアロナスルンであった。エアロナスルンは、きよなす政権時代の赤なす党のイメージを払拭すべく「自由・開放・発展」という新たなスローガンを前面に掲げ、新自由主義政策を政権の新たな柱に据えた。エアロナスルン政権は議会の圧倒的多数という政権基盤を背景にして、89年運輸事業法・89年交通インフラ法・90年港湾法・92年産業省再編法などの諸改革を断行していった。いずれも中心になっているのは経済であり、規制改革・民間需要の喚起・経済の自由化などがテーマとなった。こうした自由な気風の政策は国民の支持を強く受け、エアロナスルン政権はその在任中に総選挙で連戦連勝を重ねた。だが、新自由主義経済の浸透に伴って国内では社会階級間の経済格差が深刻化した。青なす党の支持基盤である中・低所得者層は新自由主義経済の恩恵をわずかにしか受けられず、他方で資本家・地主階級は多くの経済的恩恵を受けた。この事実は社会階級間の対立感情を悪化させ、特に中・低所得者階級の反政府感情を醸成する原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エアロナスルンが93年に引退すると、後継の総理大臣に就いたなすごろうも新自由主義政策を引き継いで資本家・地主階級を優遇する態度を崩さなかった。なすごろう自身は青なすびを中心とする労働者階級に対して一定の配慮を見せようとしていたが、エアロナスルンを中心とする党内タカ派の影響でそうした配慮は骨抜きにされ、こうした傾向は94年の税制改革で端的に表現された。この税制改革は資本家・地主階級は厚遇される一方、中・低所得者階級は事実上の負担増を求められるものであった。このような各社会階級を狙い撃ちしたような政策は中・低所得者階級の猛烈な反発を呼び、95年5月に開かれたメーデーでは政府に対する不満を叫ぶ青なすびを中心とする参加者が大規模な反政府デモを全国で展開する事態に陥った（〈青なす党のなが～いメーデー〉）。政府は、デモの参加者が一部で暴徒化したことを受けて戒厳令の発布を宣言し、武力を以てデモを鎮圧する方針を表明したが、これがデモ参加者のさらなる反発を呼び、軍とデモ隊の武力衝突が現実となったことで事態は収取のつかない状態になっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中、状況は急転直下で収束する。首都・なすごんにて、王太子・なすひこによるクーデターが起こったためである。王太子は水面下でとまと党などと連携して近衛兵を動員し、「国民に銃を向けた罪」を理由にして国王・政府要人を次々に逮捕、拘束した。直後に、王太子は国民向けの演説でたたかいをやめるように呼びかけ、次いで現国王・なすごん6世の退位と自身の国王践祚・新憲法制定議会の設置・暫定政府の設立などを発表した。この、いわゆる〈王太子のクーデター〉によって〈第二憲法〉は事実上停止され、とまと大臣を首班とする暫定政府の下で、なすごろう政権は赤なす党と青なす党を中心とする政治体制そのものとともに解体された。この政変により赤青二大政党制は終焉し、時代は〈憲法制定議会期〉を経て〈第三憲政〉へと移ることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[なすび王の国]]&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[〈なすび王の国〉の政治]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E9%9D%92%E4%BA%8C%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6&amp;diff=228</id>
		<title>赤青二大政党制</title>
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		<updated>2022-04-03T17:15:53Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: ページの作成:「赤青二大政党制とは、〈なすび王の国〉における政治体制の一つ。なす暦42年の第一回なすび議会総選挙の結果成立し、95年の〈第三憲政〉成立までおよそ53年間続いた。資本家階級を代表する赤なす党と、労働者階級を代表する青なす党が（一部の例外を除いて）二大政党として交互に総理大臣を輩出し、選挙による政権交代を通じておよそ半世…」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;赤青二大政党制とは、〈[[なすび王の国]]〉における政治体制の一つ。なす暦42年の第一回なすび議会総選挙の結果成立し、95年の〈第三憲政〉成立までおよそ53年間続いた。資本家階級を代表する赤なす党と、労働者階級を代表する青なす党が（一部の例外を除いて）二大政党として交互に総理大臣を輩出し、選挙による政権交代を通じておよそ半世紀に及ぶ安定的な政治体制を実現した。この間、赤なす・青なす両党が議会の過半数を占めた時期はごく僅かであり、大半の時期を中・小規模政党との連立によって政権を組織したことから厳密な意味での二大政党制が実現したわけではなかったが、赤なす・青なす両党が一貫して政局の中心に位置したことからこの名で呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==前史==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉では、〈第一憲法〉の成立までは国王と貴族による専制政治が敷かれていたが、なす暦30年代に入るとそうした特権階級による権力の独占に対抗するための政治結社（政党）が結成され始めた。同国最初の政党である青なす同盟（なす暦30年結成。のち、青なす党に改称）&amp;lt;ref&amp;gt;その後成立した諸政党のいずれもが、民族ごとのつながりで結成されたものであった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は社会的身分の低い民族の政治参画実現というリベラルな主張を旗印に掲げて勢力を広げ、なす暦31年の〈大たまごの間の政変〉で政府内部の穏健派&amp;lt;ref&amp;gt;現行の超然的専制政治体制を緩和するための議会政治創設などに寛容な一部の貴族勢力。&amp;lt;/ref&amp;gt;が追放されると、国内では反専制政治を掲げる運動が勃興した。青なす党は労働者階級である青なすびを中心にした組織であったため、「青なす党は弱者の味方」というイメージが次第に国民に浸透し、当時の国王・なすごん4世が率いる政府も青なす党の勢力拡大を無視できない状況になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、政府はなす暦36年に内閣制度創設を柱とする大規模な行政改革を断行して反政府運動を緩和させることを試みた。しかし、この改革は初代総理大臣に貴族階級である紫なすびのなすでぃんが任命されるなど、既存の専制政治体制の表紙だけを変えたような不十分なものであったために国民からは評価されず、返ってより抜本的な改革を目指すという反政府運動の熱気を高める結果に終わってしまった。さらに、その紫なすびたちの間でも権力を巡った争いが激化して総理大臣の交代が相次ぎ、政権はさらに不安定化してしまった。この過程で、政府の主導権を失いつつあったなすごん4世は緑なすびの孤立化を防ぐ目的から王権の制限を柱とする立法（36年行政権法や37年立法手続法）の成立を黙認するにまで追い込まれ、ついで38年には国王の専制政治を廃止することを明確にした〈第一憲法〉を制定し、政治体制は専制君主制から立憲君主制へと移行した。だが、こうした改革を経ても青なす党を筆頭とする反政府勢力の運動は鎮静化する気配を見せず、国王を中心とする政府を取り巻く状況は悪化の一途をたどった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
40年8月、なすごん4世が崩御して新たになすごん5世が即位すると、状況が一変する。政権の維持すら危うい状況に陥ったと考えた新王は、比較的国王・貴族階級と関係が深い資本家階級の民族・赤なすびのリーダーであるなすじゅうろうを総理大臣に指名し、政党勢力との妥協を模索した。王族の緑なすび、貴族の紫なすび以外の民族（品種）出身者が政府の長に就くことはこれがはじめてであった。これはなすじゅうろうが内閣制度創設の直前に赤なすびたちを糾合して結成した赤なす党は、青なす党とは対照的に、国王・貴族との調和を重視した保守的な政治を掲げていたためである。後世の歴史から見ると、このことは結果的に政治の実権が緑・紫両なすびたちから赤・青両なすびへの移る画期となる出来事であり、&lt;br /&gt;
ここに、保守主義を掲げる赤なす党と、リベラル主義を掲げる青なす党という2つの政党が対立する構図が誕生することとなった。内閣制度草創期こそ、その他の政党も一定の勢力を持って存在していたが、まもなく国内では保守派は赤なす党に、リベラル派は青なす党にそれぞれ与して対抗するようになり、赤青二大政党制へと繋がる保守・リベラルの勢力図は、なす暦42年ごろまでにはほぼ完成していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤なす党政権は、なすごん5世の意向もあって普通選挙によって選出された議員による立法府の創設へと動き出す。この動きは青なす党をはじめとする在野の政党からも総じて好意的に受け止められたため、改革は急速に進んだ。この改革は41年に立憲君主制・三権分立・民族平等を掲げた〈第二憲法〉の発布によって結実する。〈第二憲法〉は〈第一憲法〉と比べて国家統治についての原理原則や手続きを定めた本格的な硬性憲法であり、議会政治の創設をはじめとして従前の〈なすび王の国〉の国政から根本的な変更が行われたという点において、同国史上の画期となる出来事となった。&amp;lt;ref&amp;gt;〈なすび王の国〉の歴史における「憲政時代」は、広義には〈第一憲法〉の施行以降を、狭義には〈第二憲法〉の施行以降を指す。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
42年に入ると、新憲法の規定に基づいて単純小選挙区制による議会の普通選挙が実施され、〈なすび王の国〉ではじめて民間人による政治参画が実現する。この選挙で主役となったのが政党であった。主要政党には赤なす党・青なす党のほか、とまと党・だいこん党・葉もの同盟などが存在したが、事実上赤青両なす党の一騎打ちという構図で選挙戦は進んだ。赤なす党は憲法制定などの実績をアピールして一定の支持を集めたが、世論は「弱者の味方」を掲げる青なす党への支持が最高潮に達しており&amp;lt;ref&amp;gt;当時の新聞による世論調査でも、政党支持率は赤なす党の16％に対して青なす党は45％を記録していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;、結果、第1回なすび議会総選挙で青なす党は議席の70％を独占する地滑り的大勝をおさめた。選挙後に開かれた第1期なすび議会において、議会は憲法の規定に従って総理大臣の指名選挙を行い、青なす党のリーダーであるなすごんどうを新総理大臣に選出した。赤なす党から青なす党へと、選挙の結果による法的な政権移譲が行われ、〈なすび王の国〉では専制政治の時代から本格的な政党政治の時代へと名実ともに移行した。これを以て、赤青二大政党制の始期とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一期青なす党政権（42年～58年）==&lt;br /&gt;
第一期青なす党政権は、42年のなすごんどう内閣の成立から58年の第二次ビッグ・なす（赤なす党党首）内閣の成立までの約16年間続いた（54年6月から同年11月までの約5ヶ月間を除く&amp;lt;ref&amp;gt;この期間は、赤なす党のビッグ・なすが第一次内閣を組織していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;）。この期間の総理大臣は以下の3名、内閣は以下の4つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42.1~42.9&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすとる（第一次）&lt;br /&gt;
|42.9~54.6&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ビッグ・なす&lt;br /&gt;
|54.6~54.11&lt;br /&gt;
|赤なす党・もろこし党・とまと党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすとる（第二次）&lt;br /&gt;
|54.11~58.2&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
表の通り、この期間のほぼすべてで政権を率いたのはなすとるである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
42年1月、初の総選挙の結果総理大臣に就任したなすごんどうは「憲法の精神の涵養」と「下級身分のための政治」を唱えて、リベラル政治の定着を最優先課題に掲げた。なすごんどう内閣は初の議会による予算編成を無難に終えると、「国民のための政治に関するロードマップ」を発表して新内閣が進める政策の具体的な計画を示して国民に新政権が目指す政治体制の骨格を示した。しかし、同年9月になすごんどうは病に倒れると「政治的良心に従って」潔く引退する意向を示し、後継者に青なす党幹事長のなすとるを指名して退陣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごんどう政権を引き継いだなすとる政権（第一次）は、前政権が示したロードマップの踏襲を明言して諸改革を進めていった。第一次なすとる政権の実績の中で特に重要なものは、国王および王室に関する法整備・政党内閣政治に関する法整備・身分制度改革・社会保障改革の4点&amp;lt;ref&amp;gt;特に、①43年王権関連三法（国王および王室に関する法整備）、②50年政党法と50年普通選挙法（政党内閣政治に関する法整備）、③54年廃公令（身分制度改革）、④43年労働基本法と52年民生基本法（社会保障改革）の法制化が挙げられる。&amp;lt;/ref&amp;gt;である。これらの政策について、政治学者のなすですは「一部の特権階級による権力乱用の阻止を法制化した」と述べ、赤青二大政党制を軸とする〈第二憲政〉の体制が保守主義一辺倒になることを防いだと評価している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連のリベラル政策は概ね国民から好意的に受け止められ、46年および50年の総選挙では青なす党が安定多数の議席を確保した。「弱者の味方」という青なす党の旗印を体現したなすとるへの支持率は、50年代初頭までは安定して推移していた。しかし、52年に中道保守路線を唱えるビッグ・なすが赤なす党党首に就任すると、青なす党と赤なす党の支持率は拮抗するようになる&amp;lt;ref&amp;gt;ビッグ・なすは、従来の保守派の主張の柱であった「王権擁護・身分制度尊重」の方針を大転換し、「経済成長路線・財界重視」の方針を主張した。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この結果、54年の総選挙では青なす党が大方の予想を覆して獲得議席を大きく減らし、議会の比較第一党は維持しながらも過半数を失う敗北を喫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
選挙後、なすとるは比較第一党の維持を根拠にして政権の維持に意欲を見せるが、政権奪還の執念に燃える赤なす党は第三党のもろこし党・第四党のとまと党とともに連立政権樹立のための合意を電撃的に結んで議会の過半数を確保し、なすとる政権を退陣へと追い込んだ。当時の社会通念では、比較第一党が政権をとれないということは想定されておらず、赤なす党のこうした動きは政界のみならず国民世論の間でも波紋を広げた。ビッグ・なすは54年6月に第一次政権を開くが、この政権は急造の連立合意が機能せず迷走し&amp;lt;ref&amp;gt;閣僚名簿の完成に1ヶ月を要するという混乱ぶりであった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、結果的には同年10月にとまと党が連立を離脱したことで政権は議会の過半数を喪失してしまった。一方、青なす党は下野後に労働者階級を支持基盤とする第五党のだいこん党と接近し、両党はとまと党の連立離脱の翌日に政権奪還を想定した政策合意文書に署名した。翌11月、ビッグ・なすが混乱の責を負って退陣すると、後任には議会の過半数の支持を回復していたなすとるが再登板する形で就任し、第二次なすとる政権が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青なす党が単独で議会の過半数を握っていた第一次政権と違い、第二次なすとる政権は他党との連立によって政権を開いたため、なすとるは難しい政権運営を強いられた。青なす党はだいこん党との調整の中で主要な政策の修正を余儀なくされ、中でも56年の内務省改革法案廃案騒動&amp;lt;ref&amp;gt;なすとるが「〈第二憲法〉体制完成の最後の一手」とまで主張した内務省改革が頓挫した事件。強大な権力を握る内務省の弱体化をねらったが、内務省の猛烈な巻き返しを受けて政権が混乱し、結果的にはなすとる政権崩壊のきっかけとなってしまった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は、なすとるの指導力が決定的に失われた象徴的な事件となった。この一件を契機として、青なす党内ではなすとるの党首辞任を求める〈中間党の乱〉が発生したが、なすとるは求心力回復の切り札として議会解散で反なすとるの動きに応じた。しかし、総選挙では青なす・だいこん両与党は赤なす党を中心とする保守系三党&amp;lt;ref&amp;gt;赤なす党・とまと党・にんじん党。&amp;lt;/ref&amp;gt;に敗れて過半数を喪失し、なすとる政権は総辞職に追い込まれる。後継には赤なす党のビッグ・なす&amp;lt;ref&amp;gt;ビッグ・なすは第一次ビッグ・なす政権崩壊後に一度は党首を辞任したものの、党内最大派閥を率いて実質的な赤なす党のオーナーとして権力をふるい、57年10月には党首職に復帰していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;が再度総理大臣に指名されて第二次ビッグ・なす政権を開き、約16年に及ぶ青なす党を中心とする政権の時代は終わりを迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第一期赤なす政権期（58年～75年）==&lt;br /&gt;
第二次ビッグ・なす政権が成立した58年2月から青なす党が再び政権を奪還する75年9月まで続いた赤なす党による政権を、第一次赤なす政権と呼ぶ。この期間の総理大臣と政権は、以下の通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ビッグ・なす（第二次）&lt;br /&gt;
|58.2~67.4&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67.4~70.1&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|きよなす&lt;br /&gt;
|70.1~75.9&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党・にんじん党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次赤なす党政権期のキーワードは、経済大国路線と「外政の季節」である。いずれも、内政の体制構築を優先した第一次青なす党政権に対応した言葉であり、赤なす党の支持基盤である資本家階級を中心とする経済界の意向を受けての方針であった。経済大国路線は資本家階級重視の政策であり、経済発展を基盤として国力を増強しようという考え方である。一方「外政の季節」とは、ビッグ・なすが二度目の総理大臣就任演説で発言した「青なす政権の時代は内政の季節であったが、われわれの時代は外政の季節となるであろう」という言葉が由来である。「外政の季節」は、60年代までは貿易立国路線を指す言葉であったが、70年代に入ると軍備増強路線を指す言葉へと意味が変容し、肯定・否定を問わず第一次赤なす党政権を評する言葉としてさまざまな文脈で使用される言葉となった。総じて、経済・軍事両面における第一次赤なす政権の対外関係政策を表す言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一期赤なす政権期最初の政権となった第二次ビッグ・なす政権の最大の功績は、のちにビッグ・なす法制と呼ばれる産業と貿易に関する条約・法律群を制定したことである。ビッグ・なす法制を構成する特に主要な条約・法律は、59年指定重要産業法・なすび海沿岸貿易条約・64年海運法の3つである。59年指定重要産業法では、〈なすび王の国〉の農業偏重主義という産業構造からの脱却を図って、紡績業や重工業といった新興の国内産業を国が全面的に支援する体制を整えるための法律である。この法律によって、〈なすび王の国〉の西海岸では工場の建設ラッシュが起こり、東部や北部などの伝統的な農業地帯を温存しながら多様な産業を等しく発展させる下地が形成された。つづくなすび海沿岸貿易条約は、そうした西海岸地帯の発展に伴って生じた余剰生産物を他国に輸出する必要性が高まったために結ばれた条約である。この条約では、〈岩山の王国〉を筆頭とするなすび海沿岸地域の国々との間で相互に関税を優遇する取り決めがなされた。この恩恵を最も受けたのは〈なすび王の国〉や〈岩山の王国〉などの大国のみであったものの、全体としては同条約が結ばれた地域は60年代を通して〈なすび海特需〉と呼ばれる好景気に沸き、〈なすび王の国〉がそれを牽引する形でさらに地域全体が好景気になるという好循環が生まれた。64年海運法はそのような新時代の貿易体制を支えるための法律であり、海運業に関する各種規制を緩和する措置をとることでよりなすび海を通した貿易を促進させる効果を発揮した。以上のような経済政策によって、〈なすび王の国〉は高度成長と呼ばれる空前の好景気に沸いた。ビッグ・なす政権は青なす党の復権を阻止するための対策として63年労働者権利法をはじめとする社会保障法制の整備にも注力し、これが功を奏したことで総選挙に連戦連勝を重ね、ついに本格的な危機に陥ることなく67年4月まで約9年もの間政権を維持することに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビッグ・なすが年齢を理由にして総理大臣を引退すると、あとを継いだのはビッグ・なす政権で一貫して内務大臣を務めていたなすぽーんであった。なすぽーんはビッグ・なすの方針を引き継いで産業庁の設置や鉄道利権再編などの難しい政策を無難に成し遂げる仕事人ぶりを発揮して、安定政権の構築の足場固めを着実にこなした。しかし、69年に発生した〈かっぱ王国革命〉への対応問題を巡って赤なす党タカ派の領袖であるきよなすに党内の主導権を奪われる政治的敗北を喫したことで状況が一変し、またこのことが直接の原因となって70年の総選挙で赤なす党の議席を減らしてしまった責任を問われ、なすぽーん政権はわずか3年弱で崩壊してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後継の総理大臣に就任したのはきよなすであった。きよなすは〈かっぱ王国革命〉を機に王制打倒の革命の波がなすび半島へもたらされることを避けるべく、大規模な軍備拡張路線を唱えた。この路線は〈なすび王の国〉の世論を真っ二つに分ける大論争を呼び、経軍論争とも呼ばれる「経済重視対軍拡重視」の路線対立を引き起こした。だが、こうした世論にもかかわらずきよなす率いる赤なす党政権は72年の総選挙で安定多数を確保する大勝をおさめ、この勝利を根拠として軍拡路線を推し進める方針を採った。きよなす政権は、へた山脈防衛大綱などをまとめた72年安全保障法の制定を皮切りにして軍事費の増額やそれに伴う軍制改革を強行し、その集大成として74年には〈かっぱ王国〉への出兵に踏み切った。しかし、同年に青なす党の党首に民生重視を掲げるなすろうが就任すると世論の風向きが大きく変わる。なすろうは福祉や家計補助などを柱とする生活密着型の政策を提案したことで支持を集め、さらにちょうどこの時期から軍事費の増額に伴って減額された経済対策費用の減額の悪影響が国民の家計に出はじめたこともあり、国民世論は一挙に青なす党支持に傾いていった。そして、75年に入ると赤なす党の連立与党であるとまと党・にんじん党の党首が相次いで〈かっぱ王国〉出兵反対派の議員に交代したことできよなす政権は行き詰まり、結果的に同年の総選挙で青なす党を中心とする勢力が過半数を制したことで赤なす党政権は約17年間維持した政権の座を失うこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二期青なす党政権（75年～80年）==&lt;br /&gt;
なすろうが率いる青なす党が政権を奪還した75年9月から、赤なす党のアリナス政権が成立する80年7月まで続いた青なす党を中心とする政権を、第二期青なす党政権と呼ぶ。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすろう&lt;br /&gt;
|75.9~79.12&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党・葉もの同盟&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なす・ケイ&lt;br /&gt;
|79.12~80.7&lt;br /&gt;
|青なす党・だいこん党・葉もの同盟&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二期青なす党政権は、「民生重視」のスローガンに端的に象徴される社会保障政策の推進を政権の最大の特徴とする。前政権との対比を重視し、軍制のような国家規模の壮大な政治テーマから国民の日々の生活という個々人に密接にかかわる政治テーマを取り上げたことで、主に労働者層を中心とする中・低所得者階級から支持を集めた。与党である青なす党・だいこん党・葉もの同盟の三党はそうした中・低所得者階級を支持基盤とする政党であることから、経済界などの資本家・地主階級を支持基盤とする赤なす党との相違点を強調して、「弱者の味方」&amp;lt;ref&amp;gt;30年代、党創建当時の青なす党のスローガン。&amp;lt;/ref&amp;gt;という政権のイメージづくりを徹底した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
75年に総理大臣に就任したなすろうは、医療・介護・教育の充実を政権の最大の目標として設定し、政権発足後の最初の2年間で75年複合保険法&amp;lt;ref&amp;gt;介護保険法・労働保険法・福祉保険財源特例法の三法の総称。&amp;lt;/ref&amp;gt;・75年民生官庁再編法・76年教育基本法などの法律を矢継ぎ早に成立させていった。また、高度成長に伴うインフレーションの恩恵を受けられない低所得者層の保護政策として、高所得者と中・低所得者間の税負担のバランスを調整する76年税制調整法などは、上述の法律と合わせて概ね世論から好意的に受け止められた。一方で、一連の中・低所得者厚遇政策は赤なす党の支持基盤である資本家・地主層の強い危機感を呼び覚まし、77年には赤なす党の政権復帰を望む財界の実力者が出資者となって全国的な保守政治結社・全やさい保守政治連盟が結成された。保守派の結集は赤なす党にとって強力な追い風となり、国民世論の青なす党政権に対する支持率とは裏腹に、各地方自治体の選挙では赤なす党を中心とする勢力の勝利が相次ぐようになった。ここに、組織票に支えられる赤なす党勢力と国民世論に支えられる青なす党勢力という二大勢力の対立構造が明瞭となり、この構造が70年代後半以降の〈なすび王の国〉政治の軸となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
79年に入ると、なすろうは総選挙のタイミングを探るようになったが、同年12月、なすろうは突如病に倒れて意識を失い、一命こそとりとめたものの総理大臣の職務継続は不可能と判断して退陣を表明した&amp;lt;ref&amp;gt;この4ヶ月後になすろうは亡くなった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この突然生まれた権力の空白は青なす党政権を大きく動揺させた。後任の総理大臣には青なす党のナンバー2であったなす・ケイが就任したが、なす・ケイ政権は強力なリーダーの引退による青なす党政権のレームダック化に対して有効な対策を打つことができず、盤石に見えていた世論の支持も徐々に失っていった&amp;lt;ref&amp;gt;これには、元々なすろう政権の支持率がなすろう個人の人気に支えられていたということも大きく影響している。また、支持率漸減の兆候はなすろう政権時代の末期にはすでに表れはじめていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。結局、同年7月の総選挙では強い組織票を固めた赤なす党が地滑り的大勝をおさめて政権は赤なす党のアリナスへと移った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第二期赤なす党政権（80年～85年）==&lt;br /&gt;
第二期赤なす党政権は、80年のアリナス政権発足から85年の政情不安（いわゆる85年政局）によって第二次きよなす政権が崩壊するまでの5年間存続した。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|アリナス&lt;br /&gt;
|80.7~81.10&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|きよなす&lt;br /&gt;
|81.10~85.1&lt;br /&gt;
|赤なす党・とまと党&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この期間は、赤青二大政党制時代でも最も政党間の対立が緊迫した時期であり、政策よりも政局に多大なエネルギーが費やされることとなった。特に、80年12月の〈だいこん党事件〉と85年から始まる〈85年政局〉はそのハイライトである。結果的には、第二期赤なす党政権は後世の歴史から見て赤なす党の一党優位体制が固定化する端緒となる時代と評されることが多く、特に〈だいこん党事件〉を境として赤青二大政党制時代を前半と後半に分ける学説が主流とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二期赤なす党政権最初の総理大臣にはアリナスが就任したが、アリナスは赤なす党内における権力基盤が脆弱であったため、実際には元総理大臣・きよなすの一派が政権を指揮した。きよなすは厳格な保守政治を志向し、農家所得の保証をはじめとする社会保障政策を実施してリベラル層に一定の配慮こそ見せたが、実質的には資本家・地主階級を優遇する反リベラル政治を推し進めた。こうした中で、80年12月に〈だいこん党事件〉が発生した。〈だいこん党事件〉は第二期青なす党政権で連立与党を務めただいこん党の幹部が、赤なす党政権打倒のクーデターを計画していたことが発覚したスキャンダルに端を発し、最終的にはだいこん党本部が警察の捜索を受けた上で党幹部を含む多数の逮捕者を出して、だいこん党が解党に追い込まれた事件である。この事件の影響は大きく、まず世論のリベラル勢力支持率が大きく減少し、加えて青なす党はだいこん党という有力な友党を失ったことでその党勢を後退させた。これは、赤青二大政党制の歴史において赤なす党の優位が確定するきっかけとなり、時代の大きな転換点となる事件となった&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、この事件については陰謀説を唱える意見が後を絶たない。赤なす党がだいこん党を罠にはめたであるとか、その後の裁判で関係者の証言が激しく食い違う場面が見られたことから黒幕が存在するなどといった説が数多く唱えられている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈だいこん党事件〉によって赤なす党政権は政治基盤を強化することに成功した。さらに、81年10月にはアリナスが突如辞意を表明したことで政権が正式にきよなすへと移り、第二期赤なす党政権はきよなすを頂点とする強固なピラミッド型の政権構造を確立させた。この構造を背景にして、きよなす政権は82年組織法、83年警察庁設置法、84年集会制限法などの統制型社会を実現させるための法律を次々に成立させた。きよなす政権は、経済に対しても国家による介入を強める統制経済の方針をとったため、第二次きよなす政権による一連の政策を統制改革と呼ぶ。青なす党は、党の母体となっている青なすの民族を中心にして反政府デモを活発化させ赤なす党政権に対抗しようと試みたが、〈だいこん党事件〉の影響もあって他のやさい民族からの理解があまり得られず、存在感を示すには至れなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、きよなすによる強権的な政治は赤なす党政権の連立与党であったとまと党の離反を招いてしまう。具体的には84年9月のとまと党代表選挙において、行き過ぎた統制経済を諫める方針を唱えたトマーヌが当選し、赤なす党に対して連立離脱もちらつかせながら統制改革の部分的な緩和を要求しはじめたのである。きよなすはこの動きに対して突然の議会解散・総選挙を以て対応し、赤なす党の議会単独過半数独占を目指す強気な行動に打って出た。しかし、85年1月に施行された総選挙では赤なす党は単独過半数獲得に失敗し、議会はいずれの政党・勢力も過半数をとれないハングパーラメントの状態に陥った。一連の経緯からとまと党は赤なす党との連立を解消したために、赤なす党は政権を維持することができなくなって、同月末に崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==85年政局と中立内閣（85年～87年）==&lt;br /&gt;
きよなす政権の崩壊後の2年間、〈なすび王の国〉では赤なす・青なす両党いずれもが安定政権を確保できず、2つの短命内閣と1つの中立内閣によって政治が行われた。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85.1~85.4&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|でるなす&lt;br /&gt;
|85.4~85.12&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85.12~87.12&lt;br /&gt;
|（中立内閣）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
85年の総選挙によってハングパーラメントとなった〈なすび議会〉は、きよなすの後継の総理大臣を指名する選挙を行ったが、1回目の投票では過半数をとるものが現れずに決選投票を行うこととなった。この決選投票は、赤なす党の友党であるとまと党などは赤なす党代表に投票することを拒否して棄権したため、議会の少数勢力であった青なす党と葉もの同盟が推すなすりゅう（青なす党党首）が当選者となり、なすりゅう内閣が成立した。しかし、この内閣は「見切り発車内閣」という渾名の通り議会の過半数の支持を得ない少数与党の内閣であったため、他党との連立交渉を妥結させて早期に議会の過半数を確保することが急務であった。だが、なすりゅうは連立交渉に失敗を重ねて同年4月には辞意を表明する。ここで、赤なす・青なす両党は同年12月に再選挙を実施することで合意し、その選挙管理内閣として赤なす党のでるなすによる暫定内閣の成立が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、85年12月に行われた再度の総選挙を経ても議会の議席構成はほぼ変わることがなく、ハングパーラメントを解消することができなかった。そこで、同月にもろこし州州都・もろもろにて開かれた全政党の代表者が集まった会議（もろもろ会議）にて、2年の時限付き内閣の設置・同内閣の中立化・その間の政党同士による政治抗争停止の紳士協定という3つの取り決めを定めた〈もろもろの妥協〉が結ばれた。この妥協によって、各政党は2年間の間に本格政権成立を目指した準備を行うことが決められた。この中立内閣の首班には、紫なすびのなすびんシニアが選出され、全党派協力体制による期間限定内閣が成立した。なすびんシニア政権は、〈もろもろの妥協〉によって新規の政策を行うことが禁止され、緊急的・日常的な政務のみを行う内閣とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすびんシニア政権の2年間で、各政党は十分な時間を確保したことから綿密な連立協議と党組織の拡充に全力を挙げることとなった。しかしこの勢力拡大レースは、青なす党よりも組織力で勝る赤なす党が常に一歩リードする展開となり、86年に結ばれた赤色系やさいの政党による連立合意によって赤色やさい連合が成立すると、次期総選挙の趨勢は事実上決した。赤なす党勢力はきよなす政権時代から方針を大きく転換して新自由主義的な小さな政府という新しい国家像を示したのに対し、青なす党勢力は従来通りの福祉国家路線を捨て去ることができなかったことも、こうした赤なす党優勢の状況に拍車をかけた。87年の総選挙では、赤色系やさい連合は議会の2/3を占める歴史的圧勝を果たし、時代は赤なす党一党単独優位体制となる第三期赤なす党政権へと移る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==第三期赤なす党政権（87年～95年）==&lt;br /&gt;
第三期赤なす党政権は、87年のエアロナスルン政権発足から95年の〈王太子のクーデター〉成立までの8年間続いた。赤青二大政党制最後の政権である。また、この政権下の90年7月にはなすごん6世が新国王に即位した。この期間の総理大臣および内閣は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総理大臣&lt;br /&gt;
!期間&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87.12~93.9&lt;br /&gt;
|赤色系やさい連合 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|なすごろう&lt;br /&gt;
|93.9~95.5&lt;br /&gt;
|赤色系やさい連合&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
87年の総選挙で政権を樹立したのは、赤なす党のエアロナスルンであった。エアロナスルンは、きよなす政権時代の赤なす党のイメージを払拭すべく「自由・開放・発展」という新たなスローガンを前面に掲げ、新自由主義政策を政権の新たな柱に据えた。エアロナスルン政権は議会の圧倒的多数という政権基盤を背景にして、89年運輸事業法・89年交通インフラ法・90年港湾法・92年産業省再編法などの諸改革を断行していった。いずれも中心になっているのは経済であり、規制改革・民間需要の喚起・経済の自由化などがテーマとなった。こうした自由な気風の政策は国民の支持を強く受け、エアロナスルン政権はその在任中に総選挙で連戦連勝を重ねた。だが、新自由主義経済の浸透に伴って国内では社会階級間の経済格差が深刻化した。青なす党の支持基盤である中・低所得者層は新自由主義経済の恩恵をわずかにしか受けられず、他方で資本家・地主階級は多くの経済的恩恵を受けた。この事実は社会階級間の対立感情を悪化させ、特に中・低所得者階級の反政府感情を醸成する原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エアロナスルンが93年に引退すると、後継の総理大臣に就いたなすごろうも新自由主義政策を引き継いで資本家・地主階級を優遇する態度を崩さなかった。なすごろう自身は青なすびを中心とする労働者階級に対して一定の配慮を見せようとしていたが、エアロナスルンを中心とする党内タカ派の影響でそうした配慮は骨抜きにされ、こうした傾向は94年の税制改革で端的に表現された。この税制改革は資本家・地主階級は厚遇される一方、中・低所得者階級は事実上の負担増を求められるものであった。このような各社会階級を狙い撃ちしたような政策は中・低所得者階級の猛烈な反発を呼び、95年5月に開かれたメーデーでは政府に対する不満を叫ぶ青なすびを中心とする参加者が大規模な反政府デモを全国で展開する事態に陥った（〈青なす党のなが～いメーデー〉）。政府は、デモの参加者が一部で暴徒化したことを受けて戒厳令の発布を宣言し、武力を以てデモを鎮圧する方針を表明したが、これがデモ参加者のさらなる反発を呼び、軍とデモ隊の武力衝突が現実となったことで事態は収取のつかない状態になっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中、状況は急転直下で収束する。首都・なすごんにて、王太子・なすひこによるクーデターが起こったためである。王太子は水面下でとまと党などと連携して近衛兵を動員し、「国民に銃を向けた罪」を理由にして国王・政府要人を次々に逮捕、拘束した。直後に、王太子は国民向けの演説でたたかいをやめるように呼びかけ、次いで現国王・なすごん6世の退位と自身の国王践祚・新憲法制定議会の設置・暫定政府の設立などを発表した。この、いわゆる〈王太子のクーデター〉によって〈第二憲法〉は事実上停止され、とまと大臣を首班とする暫定政府の下で、なすごろう政権は赤なす党と青なす党を中心とする政治体制そのものとともに解体された。この政変により赤青二大政党制は終焉し、時代は〈憲法制定議会期〉を経て〈第三憲政〉へと移ることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[なすび王の国]]&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[〈なすび王の国〉の政治]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=227</id>
		<title>【とんちき坊やといるか島の国】</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=227"/>
		<updated>2022-03-30T17:18:37Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 登場人物 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;center&amp;gt;&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|[[ファイル:iruka_title.png|center|500px]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[ファイル:iruka_omiyage.jpg|center|300px]]&lt;br /&gt;
|}&amp;lt;/center&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;【とんちき坊やといるか島の国】は、太田剛気の絵物語作品【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】の作品の一つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
制作年は2021年。シリーズ第一作[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]に先立つ、シリーズの試作版として制作された作品である。「絵本的な画風」「歴史の物語ととんちき坊や・まぬけのろんのような愉快なキャラクターたちとの両立」「擬人化・デフォルメされたキャラクター」など、シリーズの雛型となる諸要素がここで誕生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あらすじ==&lt;br /&gt;
今回とんちきとろんがやってきたのは'''〈[[イルカ島の国]]〉'''。政治・経済の先進国で、観光地としても人気な島国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観光を楽しみにしてやってきたとんちきとろんだったが、運悪く滞在中に戒厳令が発されてしまい、観光は中止となってしまう。仕方なく2人（1人と1匹？）は戒厳令の原因を探るべく政府の建物へと向かう。そこでは政府要人たちが事態収拾に向けた会議を重ねており、2人はその行く末を見守ることにした。会議の結果、対立していたいぬ族とかえる族は和睦し、それまでの恩讐を超えた同盟関係樹立の合意に至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この歴史的な和睦によって、いぬ族とかえる族の同盟は一躍主流派となり、現政権を率いていたオオサンショウウオ大臣の一派を一斉に追放することに成功する。その後、和睦の合意に基づいていぬ族のポチべえを首班とする大連立内閣が組閣され、政変は決着を見る。&lt;br /&gt;
一部始終を見届けたとんちきとろんは、平常化した街でおみやげをたんまりと買いこんでから、次なる目的地へ向かって旅立つのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==イルカ島の国==&lt;br /&gt;
〈列島〉の北部に位置する島国で、列島全域を傘下に治める[[〈連邦帝国〉]]の原加盟国の1つ。帝国内でも屈指の経済大国であり、その経済力を背景にして特に〈列島〉北部において絶大な影響力を誇る。&lt;br /&gt;
[[ファイル:iruka-islands_map.jpg|thumb|left|300px|いるか島]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済力の源泉は、貿易の中継地点としての地理的条件である。〈いるか島の国〉は、古くから〈列島〉内の各地方の海上交易路の中間に位置する島という立地を活かし、寄港地における物流産業で繁栄してきた。そこから、貿易を統括する総合商社などが成長し、経済大国としての基盤が醸成されていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、こうした背景は島民の多民族化を促進した。さまざまな貿易船が寄港することによって民族同士の交流が活発になり、やがて土着する島外の民族も現れるようになったことで、従来のいるか島先住の民族（主にかえる族など）と島外からやってきた民族（主にいぬ族）が共存する環境が形成された。このことから、〈いるか島の国〉は〈列島〉内では珍しい多民族国家となっている。&lt;br /&gt;
活発な交易による多民族化は、さらに交易を促進するという好循環を生み出し、〈いるか島の国〉の一層の経済発展の理由となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
島は上空から見るといるかのような形をしており、これが島名および国名の由来となっている。島は大きく3つのエリアに分けられており、港湾エリア・大農園エリア・居住エリアがそれぞれ存在する。港湾エリアは、主要産業である貿易業および輸出品を生産する工場が林立する工業地帯になっている。大農園エリアは、寄港する船へ供給する食糧の生産を目的に整備された農業地帯である。居住エリアは、その名の通り島民の生活空間が集中する居住地帯となっている。作中では、とんちきとろんはこの大農園エリアにのみ観光することができた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人口の約90％は動物系の民族で、その90％の内、かえる族・いぬ族・さかな族・とり族の上位4民族だけで人口分布の約70％を占めている。すべての民族がみな友好的に暮らしているというわけではなく、特にかえる族といぬ族の対立感情に代表されるように、民族間における複雑な感情が潜在的な社会問題として認識されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場人物==&lt;br /&gt;
'''[[とんちき坊や]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[まぬけのろん]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''オオサンショウウオ大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;とんちきとろんがやってきた時点での〈いるか島の国〉の首相。一連の政変の結果、失脚する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国民からの人気は非常に低いが、かえる族といぬ族の対立の間隙を突いて政権を獲得して以来少数勢力を巧みに取り込みながら政権運営を続けており、物語冒頭の時点ですでに5年に及ぶ長期政権を築いていた。作中で発されていた戒厳令は、オオサンショウウオ大臣がかえる族といぬ族の主流派を排除する目的で仕掛けた政局であったが、結果的にはこれが裏目に出てしまい、自身の失脚へとつながってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''文左衛門'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;いぬ族の政治家を統率する派閥の領袖。作中では、かえる族の領袖・喜久麿との和睦(〈ワンケロ講堂の和睦〉)を成立させた。&lt;br /&gt;
政界を裏から支配する「いぬ族のドン」と呼ばれる存在であったが、オオサンショウウオ政権の成立以降は在野の実力者に甘んじていた。オオサンショウウオ大臣が、偶発的に発生した政変（農園門の変）に乗じて戒厳令を発したことを利用し、どさくさに紛れて政権奪還を企図したかえる族との和睦に乗り出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、文左衛門はかえる族との連携によってオオサンショウウオ政権を退陣に追い込んだ立役者となったが、自らは影の首相として裏から政治を支配する道を選び、自身子飼いのポチベエを後継首相に推薦した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''喜之丸'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;かえる派の領袖。文左衛門の要請に応え、いぬ族との歴史的な和睦を実現した。&lt;br /&gt;
〈いるか島の国〉では当時徐々にかえる族の人口比率が減少しており、喜久麿はかえる族の影響力の確保をいかに成すかを悩んでいたが、そこへ文左衛門からの和睦の申し出があったことでいぬ族との同盟に活路を見出し、和睦を決断するに至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治的な野心はあまりなく、国家の繁栄を第一に考える滅私の精神の持ち主。他民族との共生には積極的であるものの、〈いるか島の国〉の原住民というアイデンティティーを抱えるかえる族の領袖として、かえる族の不利になるような安易な妥協はしない芯の通った政治家である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''ポチベエ'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;文左衛門の懐刀で、いぬ派の実力者。一連の政変ののち、オオサンショウウオ大臣の後継首相に就任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文左衛門と喜久麿による会談を水面下で調整するなど元は裏方の仕事で力を発揮するタイプであったが、文左衛門の指示によって首相の座に就いた。首相としてはただ文左衛門の傀儡になることには抵抗し、自らの内閣に「新時代内閣」と名付けるなど独自性を模索する動きを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''なまずの守'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;いぬ派とかえる派の秘密会談を仲介した貴族。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いぬ派の幹事長'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;ワンケロ講堂の和睦の事前交渉を担った政治家。『会談』で描かれているいぬ族。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''かえる派の大番頭'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;ワンケロ講堂の和睦の事前交渉を担った政治家。『会談』で描かれているかえる族。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''ぶた百姓のおやじ・おかみさん'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;大農園エリアに観光できたとんちきとろんに農作物を振舞ってくれたぶた族の夫婦。『農村』で描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==作中の出来事==&lt;br /&gt;
===農園門の変===&lt;br /&gt;
とんちきとろんが〈いるか島の国〉にやってきた最初の夜に遭遇した、いぬ族の派閥とかえる族の派閥の兵士同士による偶発的な武力衝突。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際にはただの些細なケンカであったのだが、かえる族といぬ族の影響力を落としたいオオサンショウウオ大臣がこのケンカの発生をあえて大事の様に発表し、無理矢理に戒厳令発令の根拠としてしまった。戒厳令発令のねらいは、いぬ族とかえる族の排除である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ワンケロ講堂の和睦===&lt;br /&gt;
[[ファイル:waboku.jpg|thumb|250px|ワンケロ講堂の和睦]]&lt;br /&gt;
かえる族といぬ族の間で成立した和睦合意の通称。〈イルカ島の国〉湾岸エリアにあるワンケロ講堂で結ばれたためにこの名がつけられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
農園門の変に端を発した戒厳令発令によって、かえる族といぬ族の政治家は実力行使によって政界から追放される恐れを抱いた。現政権であるオオサンショウウオ政権は少数与党体制であるため、議会多数派（ただし、過半数は割っている）を形成するかえる族派といぬ族派が失脚すれば、現政権はさらに盤石になるためである。かえる族といぬ族は、少なくとも政界では対立関係にあり歴史的に政治抗争を繰り返してきたが、現下の緊急事態においては一致団結して現政権へ対抗する必要性が生じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、いぬ族派の領袖である文左衛門はかえる族派の領袖である喜久麿に対して、反オオサンショウウオ政権という共通の目的を媒介にして両派の同盟関係樹立を提案する。水面下での事前交渉の末に同盟樹立の合意に達した両者は、ワンケロ講堂にて合意文書の署名式典を合同で行い、マスコミを会場に入れて両派の和睦を大々的に喧伝した。この際、文左衛門と喜久麿が笑顔で握手をするという一幕があり、これは多分にパフォーマンス的な意味合いも強かったが、この様子がテレビに映されたことで世論は一気にいぬ族・かえる族同盟への期待感が盛り上がった。&lt;br /&gt;
この式典は結果として一連の政変の分水嶺となり、オオサンショウウオ政権崩壊の実質的なきっかけとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===オオサンショウウオ大臣の失脚===&lt;br /&gt;
ワンケロ講堂の和睦によって議会を掌握したかえる族といぬ族の同盟は、臨時招集された議会においてオオサンショウウオ大臣の戒厳令発令に対する内乱罪の適用を可決した。これにより、政権の法的正当性は失われてオオサンショウウオ大臣は更迭された。それから間もなく、オオサンショウウオ大臣は憲兵によって逮捕され、名実ともに失脚する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の流れは、ワンケロ講堂の和睦からわずかに数時間の間に実行に移された。さらに、オオサンショウウオ大臣の逮捕は、直前になってオオサンショウウオ邸周辺の住民に告知されたために、歴史的瞬間を目撃しようと集まった群衆に囲まれる形で大々的に行われた。これらの一連のいぬ族・かえる族同盟の動きは、翌日の新聞の朝刊にも「電光石火」と形容されるほど鮮やかなものであったが、一方でそのあまりの手際に良さから「すべて（農園門の変以降の政局全般）は文左衛門の策略だったのでは」という疑惑も生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このオオサンショウウオ大臣の失脚後、後継首相にはいぬ族のポチベエが就任し、オオサンショウウオ一派に代わっていぬ族・かえる族の同盟が主流派となる新政権が誕生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
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		<author><name>太田剛気</name></author>
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&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
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&lt;div&gt;&amp;lt;center&amp;gt;ⓒ 2022 太田剛気/Gouki Ota &amp;lt;/center&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<author><name>太田剛気</name></author>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: ページの作成:「コンテンツは、特に記載されていない限り、$1のもとで利用可能です。  &amp;lt;center&amp;gt;ⓒ 2022 太田剛気/Gouki Ota &amp;lt;/center&amp;gt;」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
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&lt;br /&gt;
&amp;lt;center&amp;gt;ⓒ 2022 太田剛気/Gouki Ota &amp;lt;/center&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>〈なすび王の国〉の政治</title>
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		<updated>2022-02-25T11:44:40Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 憲法 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の政治では、【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時期を中心にして&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;の政治体制について解説する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は&amp;lt;[[連邦帝国]]&amp;gt;加盟国家の一つであり、その他の加盟国と同様に&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝による冊封を受けた国王が統治する封建国家である。国制は立憲君主制を採用しているが、君主の権限は儀礼的なものに限定されていて、実際の国家統治は三権を司る機関が担っている。三権は、議院内閣制に基づく行政府（内閣）と立法府（なすび議会）、そして独立した司法府（なすび裁判所）によって構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]の冒頭時点では&amp;lt;第二憲法&amp;gt;が発効中であり、赤なすび党と青なすび党の二大政党制が成立していたが、同作終盤で起きた&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;によって政治体制は国王親政による&amp;lt;第三憲法&amp;gt;の時代へと移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の主権は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝に属している。制度上は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は同国の国王が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝の主権を&amp;lt;なすび半島&amp;gt;の地域でのみ代行しているという形式を採っている&amp;lt;ref&amp;gt;この代行権を委譲する手続きが、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;における冊封である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;域内（および連邦の加盟国同士）のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない&amp;lt;ref&amp;gt;各加盟国に認められる軍備は、治安維持に必要なものに限られている。ただし、&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;では「自営に必要な最低限度の軍事行動」は認められると定められており、またこれを達成するための「必要最低限の」対外用の軍備の保有は認められるとされている。そのため、この制度を恣意的に利用して軍事行動を起こす事件が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;ではたびたび発生している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことから、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==憲法==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】（以下、【なすび王の国】）冒頭時点における&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の現行憲法は&amp;lt;第二憲法&amp;gt;である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;の結果成立した新政権の下で、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が制定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;第一憲法&amp;gt;は、近代的憲法というよりも王権の制限に焦点をあてた法であったことから、のちの〈第二憲法〉以降の憲法とは性質が異なる。国家統治の原則を定めるという近代的憲法という意味での最初の憲法は&amp;lt;第二憲法&amp;gt;である。&amp;lt;第二憲法&amp;gt;以降の憲法に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・王権の規定&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法治主義&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・議院内閣制&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・民族平等&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「なすび憲法の四大原則」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
王権の規定は、文字通り&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;国王が持つ権能についての規定であり、細かな条項は時代によって異なるものの、原則として国王の権限を①対外的に国家および国民を代表する権利、②三権を執行する機関を統率し、それらの機関から報告を受ける権利、③祭祀を司る権利の３つに制限している。特に注意が必要なのが②の権利で、これには三権を執行する権利は含まれていない。すなわち国王には、国家統治に関する実際的な行為を行うことは認められておらず、国王の役割は儀礼的なものに限定されているということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法治主義は、前時代における国王専制体制からの脱却を明示するための条項である。専制君主および一部の特権貴族による政治の独占を排し、法律に基づく国家統治を行うことを定めている。憲法を国家の最高法規に定めて、あらゆる法律の上位概念として憲法を運用することを明確にしている。同時に、憲法に違反する行政・立法・司法を行為することを禁じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議院内閣制は、立法府が行政府の長（総理大臣・首相）を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が他民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の四大原則のほか、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==三権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の三権の源は国王にあるが、実際に三権を行使しているのは国王ではなく以下の諸機関である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・立法府：なすび議会&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・行政府：なすび内閣&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・司法府：なすび裁判所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府は行政府の長を選出する権利を持ち、行政府は司法府の人事について可否を判断する権利を持ち、司法府は立法府の定めた法律について監視する権利を持っている。これはそれぞれが三すくみの関係になっており、憲政施行以来、法治国家の基本原理として機能している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===立法府===&lt;br /&gt;
立法府は一院制で、任期は５年。内閣の助言に基づいた国王の裁可による解散がある。定員は時代によって異なるもののおよそ100人前後である。議員は18歳以上の国民による単純小選挙区制普通選挙によって選出される。ただし、被選挙権については制約があり、なす暦50年以降は50年普通選挙法と50年政党法に基づいて、一定条件を満たした政党の党員のみが出馬できる仕組みになっていた。この2つの法律はなすび族がほかの民族に対して有利になるように設定されており、なすび族以外の民族の者も被選挙権を得るだけであれば比較的容易であるが、当選を果たそうとすればなすび族に対して相当に不利な条件で選挙戦を戦うことを強いられる内容になっていた。このことは何度となく違憲であるという批判があがったが、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が施行されるまで改められることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の権限は強く、行政府の長の信任か不信任・法律の制定と公布・国家予算の編成・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;議会へ派遣する代表団の指名・条約の承認と批准などが認められている。原則としてなすび議会議員総選挙が施行されてから1ヶ月以内に議員が召集され、国王の開会宣言によって会期がはじまる。任期満了か解散されるまでを1期と数え、通常は8月から9月までの夏季休暇を挟んで通年で議論が行われる。議事は政党制を前提とした運用がなされており、与党院内幹事長と野党院内幹事長が儀礼的な役職であるなすび議会議長とともに議会運営に当たる。法案の議決は本会議にて行われるが、法案の審議は小会議と呼ばれる数名から数十名の委員からなる委員会で本会議の議決に先立って行われ、ここでの議論を経た法案だけが本会議の議題に上げられる。なすび議会の特有の制度としては国家予算の決済に関する審議・監督を行う機関が豊富であることが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===行政府===&lt;br /&gt;
行政府は、長たる総理大臣が組織したなすび内閣によって構成されている。内閣の構成員である大臣の人事は総理大臣の専権事項であり、任命された大臣はそれぞれ1つないし2つの担当省庁を受け持ち、総理大臣を補佐する。総理大臣は各大臣を通じて各省庁を指揮・監督し、行政を遂行する。国家の重要行政を担う省庁は一級省庁と呼ばれており、一級省庁にのみ大臣が充てられる。【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時点で存在する一級省庁は以下のとおりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・内閣：総理大臣が所管する行政府全体の司令部。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→内閣官房：制度上は内閣の外局であり、内閣官房長官（大臣待遇）が所管する。省庁間の調整を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法務省：法務大臣が所管する、司法行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・内務省：内務大臣が所管する、民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→農務庁：内務省の外局だが、農務大臣が所管する。農政全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→産業庁：内務省の外局だが、産業大臣が所管する。農業を除く産業政策全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・外務省：外務大臣が所管する、外交・貿易・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;に関する行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・財務省：財務大臣が所管する、財政・金融に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・国防省：国防大臣が所管する、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;軍関連事務・軍備に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・公安省：公安大臣が所管する、国内治安維持に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→警察庁：公安省の外局だが、警察庁長官（大臣待遇）が所管する。警察行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一級省庁の下部には下級省庁が設置されており、官僚が日常の行政事務を行っている。また、特別省庁と呼ばれる特殊な省庁が存在し、それらの省庁は内閣（総理大臣の管轄の意。行政府ではない）の管轄の外に設置されている。具体的には、王族に関するすべての行政を担う王宮院（王宮院総裁が所管）や、検察行政を担う検察庁（検察庁長官が所管）などが存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総理大臣に任期は存在しないが、議会の信任を根拠に成立する責任内閣制の仕組み上、議会の任期（最大で5年）が事実上の任期である。内閣の構成員は、通常は議会最大勢力に所属する議員の中から選ばれることが慣例となっているが、法的にはすべての大臣（総理大臣も含む）が民間人から登用されることも可能である。総理大臣は議会の信任を根拠として就任することから、議会の信任を得られない場合には辞任か議会の解散で対抗することができる。総理大臣による議会の解散は、歴史的経緯から、国王への助言を経て国王が散会を宣言することによって行われることになっている。ただし、いかなる場合もこうした権力を行使できるわけではなく、総理大臣自身の政権基盤である与党内で権力闘争が激化した場合などに、総理大臣が自発的に辞任に追い込まれるケースなども存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===司法府===&lt;br /&gt;
司法府は、なすび裁判所が司る。法の番人として、刑事・民事の裁判を担当するほか、議会の立法を審査する違憲立法審査院や、民族間の法的な問題を扱う民族裁判所も備えている（制度上はなすび裁判所の外局扱い）。長はなすび裁判所長官で、任期は最大10年。なすび裁判所は、その内部で上位の上級裁判所と下位の一般裁判所に分かれており、刑事・民事を問わず裁判が始まると、第一審と第二審が一般裁判所で、第三審のみが上級裁判所で行われるという三審制を採用している。上級裁判所の裁判官人事のみ内閣の承認が必要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の三権に比べると司法府はその権力が弱く規定されているが、これは憲政施行以前の司法権が貴族に委ねられており、憲政施行の過程で旧時代の権力者である貴族の権力基盤が殊更弱体化させられたことに起因している。なす暦38年の憲政開始以来、違憲立法審査権が行使されたのが1度しかないことからも、こうした権力基盤の弱さを見てとることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政党==&lt;br /&gt;
　詳しくは&amp;lt;[[赤青二大政党制]]&amp;gt;を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の項でも述べた通り、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の議会政治は政党を前提にして運用されている。憲政期のほとんどの期間は、なすび族の赤なすびたちによる赤なす党と青なすびたちによる青なす党が交互に政権を担当しあう&amp;lt;赤青二大政党制&amp;gt;と呼ばれる体制が形成されていた。ただし、二大政党制とは言うものの赤なす党・青なす党のいずれかが議会の過半数を占めた期間はごく僅かであり、ほとんどの政権が中・小規模の政党との連立によって維持されていた。そういった意味で、厳密には二大政党制ではなく多党制と呼ぶべき政権運営が続いていたが、僅かな例外を除いて総理大臣はすべて赤青両党のいずれかから輩出されていたことから、慣例的に二大政党制と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地方行政==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の地方行政は、州と呼ばれる6つの地方自治体と1つの特別行政区（首都）によって運営された。これらの自治体の領域の画定は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国以前に存在した6つのやさい系民族国家同士の国境をほぼそのまま用いて行われている。以下は、州の一覧である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・なすごん特別行政区　首都。旧なすごん王国首都。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・なすび州　州都はなすごん特別行政区。かつて旧なすごん王国を中心とするなすび同盟加盟国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・にんじん州　州都はキャロットタウン。かつてにんじん国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・もろこし州　州都はもろもろ。かつてもろこし王国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・おいも州　州都はいももん。かつていも連合が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・ねぎ州　州都はおねぎん。かつてねぎもの同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・みどり州　州都はだいこんシティ。かつてだいこん同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々は別々の野菜系民族国家が合同して&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;が成立した経緯もあり、各州の自治権は中央集権国家としては比較的強い傾向にあったが、立憲政治が定着していく過程で徐々にその権力が弱体化され、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;施行のころには州の権限は強い制限を受けるようになった。州政府は域内の民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政について責任を負っているが、職掌分野からもわかるように中央政府の内務省と所管業務が重複しており、そのため各州政府は内務省の実質的な外局のような存在として扱われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;[[なすび王の国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
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		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%88%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%89%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB&amp;diff=217</id>
		<title>〈なすび王の国〉の政治</title>
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		<updated>2022-02-24T06:50:19Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 主権 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の政治では、【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時期を中心にして&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;の政治体制について解説する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は&amp;lt;[[連邦帝国]]&amp;gt;加盟国家の一つであり、その他の加盟国と同様に&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝による冊封を受けた国王が統治する封建国家である。国制は立憲君主制を採用しているが、君主の権限は儀礼的なものに限定されていて、実際の国家統治は三権を司る機関が担っている。三権は、議院内閣制に基づく行政府（内閣）と立法府（なすび議会）、そして独立した司法府（なすび裁判所）によって構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]の冒頭時点では&amp;lt;第二憲法&amp;gt;が発効中であり、赤なすび党と青なすび党の二大政党制が成立していたが、同作終盤で起きた&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;によって政治体制は国王親政による&amp;lt;第三憲法&amp;gt;の時代へと移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の主権は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝に属している。制度上は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は同国の国王が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝の主権を&amp;lt;なすび半島&amp;gt;の地域でのみ代行しているという形式を採っている&amp;lt;ref&amp;gt;この代行権を委譲する手続きが、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;における冊封である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;域内（および連邦の加盟国同士）のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない&amp;lt;ref&amp;gt;各加盟国に認められる軍備は、治安維持に必要なものに限られている。ただし、&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;では「自営に必要な最低限度の軍事行動」は認められると定められており、またこれを達成するための「必要最低限の」対外用の軍備の保有は認められるとされている。そのため、この制度を恣意的に利用して軍事行動を起こす事件が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;ではたびたび発生している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことから、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==憲法==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】（以下、【なすび王の国】）冒頭時点における&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の現行憲法は&amp;lt;第二憲法&amp;gt;である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;の結果成立した新政権の下で、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が制定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;で施行されたすべての憲法（&amp;lt;第一憲法&amp;gt;から&amp;lt;第三憲法&amp;gt;まで）に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・王権の規定&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法治主義&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・議院内閣制&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・民族平等&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「なすび憲法の四大原則」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
王権の規定は、文字通り&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;国王が持つ権能についての規定であり、細かな条項は時代によって異なるものの、原則として国王の権限を①対外的に国家および国民を代表する権利、②三権を執行する機関を統率し、それらの機関から報告を受ける権利、③祭祀を司る権利の３つに制限している。特に注意が必要なのが②の権利で、これには三権を執行する権利は含まれていない。すなわち国王には、国家統治に関する実際的な行為を行うことは認められておらず、国王の役割は儀礼的なものに限定されているということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法治主義は、前時代における国王専制体制からの脱却を明示するための条項である。専制君主および一部の特権貴族による政治の独占を排し、法律に基づく国家統治を行うことを定めている。憲法を国家の最高法規に定めて、あらゆる法律の上位概念として憲法を運用することを明確にしている。同時に、憲法に違反する行政・立法・司法を行為することを禁じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議院内閣制は、立法府が行政府の長（総理大臣・首相）を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が他民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の四大原則のほか、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==三権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の三権の源は国王にあるが、実際に三権を行使しているのは国王ではなく以下の諸機関である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・立法府：なすび議会&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・行政府：なすび内閣&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・司法府：なすび裁判所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府は行政府の長を選出する権利を持ち、行政府は司法府の人事について可否を判断する権利を持ち、司法府は立法府の定めた法律について監視する権利を持っている。これはそれぞれが三すくみの関係になっており、憲政施行以来、法治国家の基本原理として機能している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===立法府===&lt;br /&gt;
立法府は一院制で、任期は５年。内閣の助言に基づいた国王の裁可による解散がある。定員は時代によって異なるもののおよそ100人前後である。議員は18歳以上の国民による単純小選挙区制普通選挙によって選出される。ただし、被選挙権については制約があり、なす暦50年以降は50年普通選挙法と50年政党法に基づいて、一定条件を満たした政党の党員のみが出馬できる仕組みになっていた。この2つの法律はなすび族がほかの民族に対して有利になるように設定されており、なすび族以外の民族の者も被選挙権を得るだけであれば比較的容易であるが、当選を果たそうとすればなすび族に対して相当に不利な条件で選挙戦を戦うことを強いられる内容になっていた。このことは何度となく違憲であるという批判があがったが、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が施行されるまで改められることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の権限は強く、行政府の長の信任か不信任・法律の制定と公布・国家予算の編成・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;議会へ派遣する代表団の指名・条約の承認と批准などが認められている。原則としてなすび議会議員総選挙が施行されてから1ヶ月以内に議員が召集され、国王の開会宣言によって会期がはじまる。任期満了か解散されるまでを1期と数え、通常は8月から9月までの夏季休暇を挟んで通年で議論が行われる。議事は政党制を前提とした運用がなされており、与党院内幹事長と野党院内幹事長が儀礼的な役職であるなすび議会議長とともに議会運営に当たる。法案の議決は本会議にて行われるが、法案の審議は小会議と呼ばれる数名から数十名の委員からなる委員会で本会議の議決に先立って行われ、ここでの議論を経た法案だけが本会議の議題に上げられる。なすび議会の特有の制度としては国家予算の決済に関する審議・監督を行う機関が豊富であることが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===行政府===&lt;br /&gt;
行政府は、長たる総理大臣が組織したなすび内閣によって構成されている。内閣の構成員である大臣の人事は総理大臣の専権事項であり、任命された大臣はそれぞれ1つないし2つの担当省庁を受け持ち、総理大臣を補佐する。総理大臣は各大臣を通じて各省庁を指揮・監督し、行政を遂行する。国家の重要行政を担う省庁は一級省庁と呼ばれており、一級省庁にのみ大臣が充てられる。【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時点で存在する一級省庁は以下のとおりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・内閣：総理大臣が所管する行政府全体の司令部。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→内閣官房：制度上は内閣の外局であり、内閣官房長官（大臣待遇）が所管する。省庁間の調整を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法務省：法務大臣が所管する、司法行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・内務省：内務大臣が所管する、民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→農務庁：内務省の外局だが、農務大臣が所管する。農政全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→産業庁：内務省の外局だが、産業大臣が所管する。農業を除く産業政策全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・外務省：外務大臣が所管する、外交・貿易・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;に関する行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・財務省：財務大臣が所管する、財政・金融に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・国防省：国防大臣が所管する、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;軍関連事務・軍備に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・公安省：公安大臣が所管する、国内治安維持に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→警察庁：公安省の外局だが、警察庁長官（大臣待遇）が所管する。警察行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一級省庁の下部には下級省庁が設置されており、官僚が日常の行政事務を行っている。また、特別省庁と呼ばれる特殊な省庁が存在し、それらの省庁は内閣（総理大臣の管轄の意。行政府ではない）の管轄の外に設置されている。具体的には、王族に関するすべての行政を担う王宮院（王宮院総裁が所管）や、検察行政を担う検察庁（検察庁長官が所管）などが存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総理大臣に任期は存在しないが、議会の信任を根拠に成立する責任内閣制の仕組み上、議会の任期（最大で5年）が事実上の任期である。内閣の構成員は、通常は議会最大勢力に所属する議員の中から選ばれることが慣例となっているが、法的にはすべての大臣（総理大臣も含む）が民間人から登用されることも可能である。総理大臣は議会の信任を根拠として就任することから、議会の信任を得られない場合には辞任か議会の解散で対抗することができる。総理大臣による議会の解散は、歴史的経緯から、国王への助言を経て国王が散会を宣言することによって行われることになっている。ただし、いかなる場合もこうした権力を行使できるわけではなく、総理大臣自身の政権基盤である与党内で権力闘争が激化した場合などに、総理大臣が自発的に辞任に追い込まれるケースなども存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===司法府===&lt;br /&gt;
司法府は、なすび裁判所が司る。法の番人として、刑事・民事の裁判を担当するほか、議会の立法を審査する違憲立法審査院や、民族間の法的な問題を扱う民族裁判所も備えている（制度上はなすび裁判所の外局扱い）。長はなすび裁判所長官で、任期は最大10年。なすび裁判所は、その内部で上位の上級裁判所と下位の一般裁判所に分かれており、刑事・民事を問わず裁判が始まると、第一審と第二審が一般裁判所で、第三審のみが上級裁判所で行われるという三審制を採用している。上級裁判所の裁判官人事のみ内閣の承認が必要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の三権に比べると司法府はその権力が弱く規定されているが、これは憲政施行以前の司法権が貴族に委ねられており、憲政施行の過程で旧時代の権力者である貴族の権力基盤が殊更弱体化させられたことに起因している。なす暦38年の憲政開始以来、違憲立法審査権が行使されたのが1度しかないことからも、こうした権力基盤の弱さを見てとることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政党==&lt;br /&gt;
　詳しくは&amp;lt;[[赤青二大政党制]]&amp;gt;を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の項でも述べた通り、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の議会政治は政党を前提にして運用されている。憲政期のほとんどの期間は、なすび族の赤なすびたちによる赤なす党と青なすびたちによる青なす党が交互に政権を担当しあう&amp;lt;赤青二大政党制&amp;gt;と呼ばれる体制が形成されていた。ただし、二大政党制とは言うものの赤なす党・青なす党のいずれかが議会の過半数を占めた期間はごく僅かであり、ほとんどの政権が中・小規模の政党との連立によって維持されていた。そういった意味で、厳密には二大政党制ではなく多党制と呼ぶべき政権運営が続いていたが、僅かな例外を除いて総理大臣はすべて赤青両党のいずれかから輩出されていたことから、慣例的に二大政党制と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地方行政==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の地方行政は、州と呼ばれる6つの地方自治体と1つの特別行政区（首都）によって運営された。これらの自治体の領域の画定は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国以前に存在した6つのやさい系民族国家同士の国境をほぼそのまま用いて行われている。以下は、州の一覧である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・なすごん特別行政区　首都。旧なすごん王国首都。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・なすび州　州都はなすごん特別行政区。かつて旧なすごん王国を中心とするなすび同盟加盟国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・にんじん州　州都はキャロットタウン。かつてにんじん国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・もろこし州　州都はもろもろ。かつてもろこし王国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・おいも州　州都はいももん。かつていも連合が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・ねぎ州　州都はおねぎん。かつてねぎもの同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・みどり州　州都はだいこんシティ。かつてだいこん同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々は別々の野菜系民族国家が合同して&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;が成立した経緯もあり、各州の自治権は中央集権国家としては比較的強い傾向にあったが、立憲政治が定着していく過程で徐々にその権力が弱体化され、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;施行のころには州の権限は強い制限を受けるようになった。州政府は域内の民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政について責任を負っているが、職掌分野からもわかるように中央政府の内務省と所管業務が重複しており、そのため各州政府は内務省の実質的な外局のような存在として扱われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;[[なすび王の国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%88%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%89%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB&amp;diff=216</id>
		<title>〈なすび王の国〉の政治</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%88%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%89%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB&amp;diff=216"/>
		<updated>2022-02-24T06:48:52Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 主権 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の政治では、【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時期を中心にして&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;の政治体制について解説する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は&amp;lt;[[連邦帝国]]&amp;gt;加盟国家の一つであり、その他の加盟国と同様に&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝による冊封を受けた国王が統治する封建国家である。国制は立憲君主制を採用しているが、君主の権限は儀礼的なものに限定されていて、実際の国家統治は三権を司る機関が担っている。三権は、議院内閣制に基づく行政府（内閣）と立法府（なすび議会）、そして独立した司法府（なすび裁判所）によって構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]の冒頭時点では&amp;lt;第二憲法&amp;gt;が発効中であり、赤なすび党と青なすび党の二大政党制が成立していたが、同作終盤で起きた&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;によって政治体制は国王親政による&amp;lt;第三憲法&amp;gt;の時代へと移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の主権は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝に属している。制度上は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は同国の国王が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝の主権を&amp;lt;なすび半島&amp;gt;の地域でのみ代行しているという形式を採っている&amp;lt;ref&amp;gt;この代行権を委譲する手続きが、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;における冊封である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;域内（および連邦の加盟国同士）のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;では「自営に必要な最低限度の軍事行動」は認められると定められており、またこれを達成するための「必要最低限の」軍備の保有は認められるとされている。そのため、この制度を恣意的に利用して軍事行動を起こす事件が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;ではたびたび発生している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことから、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==憲法==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】（以下、【なすび王の国】）冒頭時点における&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の現行憲法は&amp;lt;第二憲法&amp;gt;である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;の結果成立した新政権の下で、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が制定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;で施行されたすべての憲法（&amp;lt;第一憲法&amp;gt;から&amp;lt;第三憲法&amp;gt;まで）に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・王権の規定&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法治主義&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・議院内閣制&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・民族平等&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「なすび憲法の四大原則」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
王権の規定は、文字通り&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;国王が持つ権能についての規定であり、細かな条項は時代によって異なるものの、原則として国王の権限を①対外的に国家および国民を代表する権利、②三権を執行する機関を統率し、それらの機関から報告を受ける権利、③祭祀を司る権利の３つに制限している。特に注意が必要なのが②の権利で、これには三権を執行する権利は含まれていない。すなわち国王には、国家統治に関する実際的な行為を行うことは認められておらず、国王の役割は儀礼的なものに限定されているということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法治主義は、前時代における国王専制体制からの脱却を明示するための条項である。専制君主および一部の特権貴族による政治の独占を排し、法律に基づく国家統治を行うことを定めている。憲法を国家の最高法規に定めて、あらゆる法律の上位概念として憲法を運用することを明確にしている。同時に、憲法に違反する行政・立法・司法を行為することを禁じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議院内閣制は、立法府が行政府の長（総理大臣・首相）を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が他民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の四大原則のほか、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==三権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の三権の源は国王にあるが、実際に三権を行使しているのは国王ではなく以下の諸機関である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・立法府：なすび議会&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・行政府：なすび内閣&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・司法府：なすび裁判所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府は行政府の長を選出する権利を持ち、行政府は司法府の人事について可否を判断する権利を持ち、司法府は立法府の定めた法律について監視する権利を持っている。これはそれぞれが三すくみの関係になっており、憲政施行以来、法治国家の基本原理として機能している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===立法府===&lt;br /&gt;
立法府は一院制で、任期は５年。内閣の助言に基づいた国王の裁可による解散がある。定員は時代によって異なるもののおよそ100人前後である。議員は18歳以上の国民による単純小選挙区制普通選挙によって選出される。ただし、被選挙権については制約があり、なす暦50年以降は50年普通選挙法と50年政党法に基づいて、一定条件を満たした政党の党員のみが出馬できる仕組みになっていた。この2つの法律はなすび族がほかの民族に対して有利になるように設定されており、なすび族以外の民族の者も被選挙権を得るだけであれば比較的容易であるが、当選を果たそうとすればなすび族に対して相当に不利な条件で選挙戦を戦うことを強いられる内容になっていた。このことは何度となく違憲であるという批判があがったが、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が施行されるまで改められることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の権限は強く、行政府の長の信任か不信任・法律の制定と公布・国家予算の編成・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;議会へ派遣する代表団の指名・条約の承認と批准などが認められている。原則としてなすび議会議員総選挙が施行されてから1ヶ月以内に議員が召集され、国王の開会宣言によって会期がはじまる。任期満了か解散されるまでを1期と数え、通常は8月から9月までの夏季休暇を挟んで通年で議論が行われる。議事は政党制を前提とした運用がなされており、与党院内幹事長と野党院内幹事長が儀礼的な役職であるなすび議会議長とともに議会運営に当たる。法案の議決は本会議にて行われるが、法案の審議は小会議と呼ばれる数名から数十名の委員からなる委員会で本会議の議決に先立って行われ、ここでの議論を経た法案だけが本会議の議題に上げられる。なすび議会の特有の制度としては国家予算の決済に関する審議・監督を行う機関が豊富であることが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===行政府===&lt;br /&gt;
行政府は、長たる総理大臣が組織したなすび内閣によって構成されている。内閣の構成員である大臣の人事は総理大臣の専権事項であり、任命された大臣はそれぞれ1つないし2つの担当省庁を受け持ち、総理大臣を補佐する。総理大臣は各大臣を通じて各省庁を指揮・監督し、行政を遂行する。国家の重要行政を担う省庁は一級省庁と呼ばれており、一級省庁にのみ大臣が充てられる。【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時点で存在する一級省庁は以下のとおりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・内閣：総理大臣が所管する行政府全体の司令部。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→内閣官房：制度上は内閣の外局であり、内閣官房長官（大臣待遇）が所管する。省庁間の調整を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法務省：法務大臣が所管する、司法行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・内務省：内務大臣が所管する、民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→農務庁：内務省の外局だが、農務大臣が所管する。農政全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→産業庁：内務省の外局だが、産業大臣が所管する。農業を除く産業政策全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・外務省：外務大臣が所管する、外交・貿易・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;に関する行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・財務省：財務大臣が所管する、財政・金融に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・国防省：国防大臣が所管する、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;軍関連事務・軍備に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・公安省：公安大臣が所管する、国内治安維持に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→警察庁：公安省の外局だが、警察庁長官（大臣待遇）が所管する。警察行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一級省庁の下部には下級省庁が設置されており、官僚が日常の行政事務を行っている。また、特別省庁と呼ばれる特殊な省庁が存在し、それらの省庁は内閣（総理大臣の管轄の意。行政府ではない）の管轄の外に設置されている。具体的には、王族に関するすべての行政を担う王宮院（王宮院総裁が所管）や、検察行政を担う検察庁（検察庁長官が所管）などが存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総理大臣に任期は存在しないが、議会の信任を根拠に成立する責任内閣制の仕組み上、議会の任期（最大で5年）が事実上の任期である。内閣の構成員は、通常は議会最大勢力に所属する議員の中から選ばれることが慣例となっているが、法的にはすべての大臣（総理大臣も含む）が民間人から登用されることも可能である。総理大臣は議会の信任を根拠として就任することから、議会の信任を得られない場合には辞任か議会の解散で対抗することができる。総理大臣による議会の解散は、歴史的経緯から、国王への助言を経て国王が散会を宣言することによって行われることになっている。ただし、いかなる場合もこうした権力を行使できるわけではなく、総理大臣自身の政権基盤である与党内で権力闘争が激化した場合などに、総理大臣が自発的に辞任に追い込まれるケースなども存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===司法府===&lt;br /&gt;
司法府は、なすび裁判所が司る。法の番人として、刑事・民事の裁判を担当するほか、議会の立法を審査する違憲立法審査院や、民族間の法的な問題を扱う民族裁判所も備えている（制度上はなすび裁判所の外局扱い）。長はなすび裁判所長官で、任期は最大10年。なすび裁判所は、その内部で上位の上級裁判所と下位の一般裁判所に分かれており、刑事・民事を問わず裁判が始まると、第一審と第二審が一般裁判所で、第三審のみが上級裁判所で行われるという三審制を採用している。上級裁判所の裁判官人事のみ内閣の承認が必要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の三権に比べると司法府はその権力が弱く規定されているが、これは憲政施行以前の司法権が貴族に委ねられており、憲政施行の過程で旧時代の権力者である貴族の権力基盤が殊更弱体化させられたことに起因している。なす暦38年の憲政開始以来、違憲立法審査権が行使されたのが1度しかないことからも、こうした権力基盤の弱さを見てとることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政党==&lt;br /&gt;
　詳しくは&amp;lt;[[赤青二大政党制]]&amp;gt;を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の項でも述べた通り、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の議会政治は政党を前提にして運用されている。憲政期のほとんどの期間は、なすび族の赤なすびたちによる赤なす党と青なすびたちによる青なす党が交互に政権を担当しあう&amp;lt;赤青二大政党制&amp;gt;と呼ばれる体制が形成されていた。ただし、二大政党制とは言うものの赤なす党・青なす党のいずれかが議会の過半数を占めた期間はごく僅かであり、ほとんどの政権が中・小規模の政党との連立によって維持されていた。そういった意味で、厳密には二大政党制ではなく多党制と呼ぶべき政権運営が続いていたが、僅かな例外を除いて総理大臣はすべて赤青両党のいずれかから輩出されていたことから、慣例的に二大政党制と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地方行政==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の地方行政は、州と呼ばれる6つの地方自治体と1つの特別行政区（首都）によって運営された。これらの自治体の領域の画定は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国以前に存在した6つのやさい系民族国家同士の国境をほぼそのまま用いて行われている。以下は、州の一覧である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・なすごん特別行政区　首都。旧なすごん王国首都。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・なすび州　州都はなすごん特別行政区。かつて旧なすごん王国を中心とするなすび同盟加盟国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・にんじん州　州都はキャロットタウン。かつてにんじん国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・もろこし州　州都はもろもろ。かつてもろこし王国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・おいも州　州都はいももん。かつていも連合が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・ねぎ州　州都はおねぎん。かつてねぎもの同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・みどり州　州都はだいこんシティ。かつてだいこん同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々は別々の野菜系民族国家が合同して&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;が成立した経緯もあり、各州の自治権は中央集権国家としては比較的強い傾向にあったが、立憲政治が定着していく過程で徐々にその権力が弱体化され、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;施行のころには州の権限は強い制限を受けるようになった。州政府は域内の民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政について責任を負っているが、職掌分野からもわかるように中央政府の内務省と所管業務が重複しており、そのため各州政府は内務省の実質的な外局のような存在として扱われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;[[なすび王の国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%88%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%89%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB&amp;diff=215</id>
		<title>〈なすび王の国〉の政治</title>
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		<updated>2022-02-24T06:44:40Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 憲法 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の政治では、【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時期を中心にして&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;の政治体制について解説する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は&amp;lt;[[連邦帝国]]&amp;gt;加盟国家の一つであり、その他の加盟国と同様に&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝による冊封を受けた国王が統治する封建国家である。国制は立憲君主制を採用しているが、君主の権限は儀礼的なものに限定されていて、実際の国家統治は三権を司る機関が担っている。三権は、議院内閣制に基づく行政府（内閣）と立法府（なすび議会）、そして独立した司法府（なすび裁判所）によって構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]の冒頭時点では&amp;lt;第二憲法&amp;gt;が発効中であり、赤なすび党と青なすび党の二大政党制が成立していたが、同作終盤で起きた&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;によって政治体制は国王親政による&amp;lt;第三憲法&amp;gt;の時代へと移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の主権は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝に属している。制度上は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は同国の国王が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝の主権を&amp;lt;なすび半島&amp;gt;の地域でのみ代行しているという形式を採っている&amp;lt;ref&amp;gt;この代行権を委譲する手続きが、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;における冊封である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;域内（および連邦の加盟国同士）のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことから、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==憲法==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】（以下、【なすび王の国】）冒頭時点における&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の現行憲法は&amp;lt;第二憲法&amp;gt;である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;の結果成立した新政権の下で、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が制定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;で施行されたすべての憲法（&amp;lt;第一憲法&amp;gt;から&amp;lt;第三憲法&amp;gt;まで）に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・王権の規定&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法治主義&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・議院内閣制&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・民族平等&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「なすび憲法の四大原則」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
王権の規定は、文字通り&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;国王が持つ権能についての規定であり、細かな条項は時代によって異なるものの、原則として国王の権限を①対外的に国家および国民を代表する権利、②三権を執行する機関を統率し、それらの機関から報告を受ける権利、③祭祀を司る権利の３つに制限している。特に注意が必要なのが②の権利で、これには三権を執行する権利は含まれていない。すなわち国王には、国家統治に関する実際的な行為を行うことは認められておらず、国王の役割は儀礼的なものに限定されているということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法治主義は、前時代における国王専制体制からの脱却を明示するための条項である。専制君主および一部の特権貴族による政治の独占を排し、法律に基づく国家統治を行うことを定めている。憲法を国家の最高法規に定めて、あらゆる法律の上位概念として憲法を運用することを明確にしている。同時に、憲法に違反する行政・立法・司法を行為することを禁じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議院内閣制は、立法府が行政府の長（総理大臣・首相）を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が他民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の四大原則のほか、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==三権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の三権の源は国王にあるが、実際に三権を行使しているのは国王ではなく以下の諸機関である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・立法府：なすび議会&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・行政府：なすび内閣&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・司法府：なすび裁判所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府は行政府の長を選出する権利を持ち、行政府は司法府の人事について可否を判断する権利を持ち、司法府は立法府の定めた法律について監視する権利を持っている。これはそれぞれが三すくみの関係になっており、憲政施行以来、法治国家の基本原理として機能している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===立法府===&lt;br /&gt;
立法府は一院制で、任期は５年。内閣の助言に基づいた国王の裁可による解散がある。定員は時代によって異なるもののおよそ100人前後である。議員は18歳以上の国民による単純小選挙区制普通選挙によって選出される。ただし、被選挙権については制約があり、なす暦50年以降は50年普通選挙法と50年政党法に基づいて、一定条件を満たした政党の党員のみが出馬できる仕組みになっていた。この2つの法律はなすび族がほかの民族に対して有利になるように設定されており、なすび族以外の民族の者も被選挙権を得るだけであれば比較的容易であるが、当選を果たそうとすればなすび族に対して相当に不利な条件で選挙戦を戦うことを強いられる内容になっていた。このことは何度となく違憲であるという批判があがったが、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が施行されるまで改められることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の権限は強く、行政府の長の信任か不信任・法律の制定と公布・国家予算の編成・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;議会へ派遣する代表団の指名・条約の承認と批准などが認められている。原則としてなすび議会議員総選挙が施行されてから1ヶ月以内に議員が召集され、国王の開会宣言によって会期がはじまる。任期満了か解散されるまでを1期と数え、通常は8月から9月までの夏季休暇を挟んで通年で議論が行われる。議事は政党制を前提とした運用がなされており、与党院内幹事長と野党院内幹事長が儀礼的な役職であるなすび議会議長とともに議会運営に当たる。法案の議決は本会議にて行われるが、法案の審議は小会議と呼ばれる数名から数十名の委員からなる委員会で本会議の議決に先立って行われ、ここでの議論を経た法案だけが本会議の議題に上げられる。なすび議会の特有の制度としては国家予算の決済に関する審議・監督を行う機関が豊富であることが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===行政府===&lt;br /&gt;
行政府は、長たる総理大臣が組織したなすび内閣によって構成されている。内閣の構成員である大臣の人事は総理大臣の専権事項であり、任命された大臣はそれぞれ1つないし2つの担当省庁を受け持ち、総理大臣を補佐する。総理大臣は各大臣を通じて各省庁を指揮・監督し、行政を遂行する。国家の重要行政を担う省庁は一級省庁と呼ばれており、一級省庁にのみ大臣が充てられる。【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時点で存在する一級省庁は以下のとおりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・内閣：総理大臣が所管する行政府全体の司令部。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→内閣官房：制度上は内閣の外局であり、内閣官房長官（大臣待遇）が所管する。省庁間の調整を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法務省：法務大臣が所管する、司法行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・内務省：内務大臣が所管する、民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→農務庁：内務省の外局だが、農務大臣が所管する。農政全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→産業庁：内務省の外局だが、産業大臣が所管する。農業を除く産業政策全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・外務省：外務大臣が所管する、外交・貿易・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;に関する行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・財務省：財務大臣が所管する、財政・金融に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・国防省：国防大臣が所管する、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;軍関連事務・軍備に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・公安省：公安大臣が所管する、国内治安維持に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→警察庁：公安省の外局だが、警察庁長官（大臣待遇）が所管する。警察行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一級省庁の下部には下級省庁が設置されており、官僚が日常の行政事務を行っている。また、特別省庁と呼ばれる特殊な省庁が存在し、それらの省庁は内閣（総理大臣の管轄の意。行政府ではない）の管轄の外に設置されている。具体的には、王族に関するすべての行政を担う王宮院（王宮院総裁が所管）や、検察行政を担う検察庁（検察庁長官が所管）などが存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総理大臣に任期は存在しないが、議会の信任を根拠に成立する責任内閣制の仕組み上、議会の任期（最大で5年）が事実上の任期である。内閣の構成員は、通常は議会最大勢力に所属する議員の中から選ばれることが慣例となっているが、法的にはすべての大臣（総理大臣も含む）が民間人から登用されることも可能である。総理大臣は議会の信任を根拠として就任することから、議会の信任を得られない場合には辞任か議会の解散で対抗することができる。総理大臣による議会の解散は、歴史的経緯から、国王への助言を経て国王が散会を宣言することによって行われることになっている。ただし、いかなる場合もこうした権力を行使できるわけではなく、総理大臣自身の政権基盤である与党内で権力闘争が激化した場合などに、総理大臣が自発的に辞任に追い込まれるケースなども存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===司法府===&lt;br /&gt;
司法府は、なすび裁判所が司る。法の番人として、刑事・民事の裁判を担当するほか、議会の立法を審査する違憲立法審査院や、民族間の法的な問題を扱う民族裁判所も備えている（制度上はなすび裁判所の外局扱い）。長はなすび裁判所長官で、任期は最大10年。なすび裁判所は、その内部で上位の上級裁判所と下位の一般裁判所に分かれており、刑事・民事を問わず裁判が始まると、第一審と第二審が一般裁判所で、第三審のみが上級裁判所で行われるという三審制を採用している。上級裁判所の裁判官人事のみ内閣の承認が必要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の三権に比べると司法府はその権力が弱く規定されているが、これは憲政施行以前の司法権が貴族に委ねられており、憲政施行の過程で旧時代の権力者である貴族の権力基盤が殊更弱体化させられたことに起因している。なす暦38年の憲政開始以来、違憲立法審査権が行使されたのが1度しかないことからも、こうした権力基盤の弱さを見てとることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政党==&lt;br /&gt;
　詳しくは&amp;lt;[[赤青二大政党制]]&amp;gt;を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の項でも述べた通り、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の議会政治は政党を前提にして運用されている。憲政期のほとんどの期間は、なすび族の赤なすびたちによる赤なす党と青なすびたちによる青なす党が交互に政権を担当しあう&amp;lt;赤青二大政党制&amp;gt;と呼ばれる体制が形成されていた。ただし、二大政党制とは言うものの赤なす党・青なす党のいずれかが議会の過半数を占めた期間はごく僅かであり、ほとんどの政権が中・小規模の政党との連立によって維持されていた。そういった意味で、厳密には二大政党制ではなく多党制と呼ぶべき政権運営が続いていたが、僅かな例外を除いて総理大臣はすべて赤青両党のいずれかから輩出されていたことから、慣例的に二大政党制と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地方行政==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の地方行政は、州と呼ばれる6つの地方自治体と1つの特別行政区（首都）によって運営された。これらの自治体の領域の画定は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国以前に存在した6つのやさい系民族国家同士の国境をほぼそのまま用いて行われている。以下は、州の一覧である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・なすごん特別行政区　首都。旧なすごん王国首都。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・なすび州　州都はなすごん特別行政区。かつて旧なすごん王国を中心とするなすび同盟加盟国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・にんじん州　州都はキャロットタウン。かつてにんじん国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・もろこし州　州都はもろもろ。かつてもろこし王国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・おいも州　州都はいももん。かつていも連合が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・ねぎ州　州都はおねぎん。かつてねぎもの同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・みどり州　州都はだいこんシティ。かつてだいこん同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々は別々の野菜系民族国家が合同して&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;が成立した経緯もあり、各州の自治権は中央集権国家としては比較的強い傾向にあったが、立憲政治が定着していく過程で徐々にその権力が弱体化され、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;施行のころには州の権限は強い制限を受けるようになった。州政府は域内の民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政について責任を負っているが、職掌分野からもわかるように中央政府の内務省と所管業務が重複しており、そのため各州政府は内務省の実質的な外局のような存在として扱われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;[[なすび王の国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%88%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%89%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB&amp;diff=214</id>
		<title>〈なすび王の国〉の政治</title>
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		<updated>2022-02-23T15:17:58Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 三権 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の政治では、【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時期を中心にして&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;の政治体制について解説する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は&amp;lt;[[連邦帝国]]&amp;gt;加盟国家の一つであり、その他の加盟国と同様に&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝による冊封を受けた国王が統治する封建国家である。国制は立憲君主制を採用しているが、君主の権限は儀礼的なものに限定されていて、実際の国家統治は三権を司る機関が担っている。三権は、議院内閣制に基づく行政府（内閣）と立法府（なすび議会）、そして独立した司法府（なすび裁判所）によって構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]の冒頭時点では&amp;lt;第二憲法&amp;gt;が発効中であり、赤なすび党と青なすび党の二大政党制が成立していたが、同作終盤で起きた&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;によって政治体制は国王親政による&amp;lt;第三憲法&amp;gt;の時代へと移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の主権は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝に属している。制度上は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は同国の国王が&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;皇帝の主権を&amp;lt;なすび半島&amp;gt;の地域でのみ代行しているという形式を採っている&amp;lt;ref&amp;gt;この代行権を委譲する手続きが、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;における冊封である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;域内（および連邦の加盟国同士）のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことから、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==憲法==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】（以下、【なすび王の国】）冒頭時点における&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の現行憲法は&amp;lt;第二憲法&amp;gt;である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;の結果成立した新政権の下で、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が制定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;で施行されたすべての憲法（&amp;lt;第一憲法&amp;gt;から&amp;lt;第三憲法&amp;gt;まで）に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・王権の規定&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法治主義&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・議院内閣制&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・民族平等&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「なすび憲法の四大原則」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
王権の規定は、文字通り&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;国王が持つ権能についての規定であり、細かな条項は時代によって異なるものの、原則として国王の権限を①対外的に国家および国民を代表する権利、②三権を執行する機関を統率し、それらの機関から報告を受ける権利、③祭祀を司る権利の３つに制限している。特に注意が必要なのが②の権利で、これには三権を執行する権利は含まれていない。すなわち国王には、国家統治に関する実際的な行為を行うことは認められておらず、国王の役割は儀礼的なものに限定されているということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法治主義は、前時代における国王専制体制からの脱却を明示するための条項である。専制君主および一部の特権貴族による政治の独占を排し、法律に基づく国家統治を行うことを定めている。憲法を国家の最高法規に定めて、あらゆる法律の上位概念として憲法を運用することを明確にしている。同時に、憲法に違反する行政・立法・司法を行為することを禁じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議院内閣制は、立法府が行政府の長（総理大臣・首相）を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が多民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の四大原則のほか、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==三権==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の三権の源は国王にあるが、実際に三権を行使しているのは国王ではなく以下の諸機関である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・立法府：なすび議会&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・行政府：なすび内閣&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・司法府：なすび裁判所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府は行政府の長を選出する権利を持ち、行政府は司法府の人事について可否を判断する権利を持ち、司法府は立法府の定めた法律について監視する権利を持っている。これはそれぞれが三すくみの関係になっており、憲政施行以来、法治国家の基本原理として機能している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===立法府===&lt;br /&gt;
立法府は一院制で、任期は５年。内閣の助言に基づいた国王の裁可による解散がある。定員は時代によって異なるもののおよそ100人前後である。議員は18歳以上の国民による単純小選挙区制普通選挙によって選出される。ただし、被選挙権については制約があり、なす暦50年以降は50年普通選挙法と50年政党法に基づいて、一定条件を満たした政党の党員のみが出馬できる仕組みになっていた。この2つの法律はなすび族がほかの民族に対して有利になるように設定されており、なすび族以外の民族の者も被選挙権を得るだけであれば比較的容易であるが、当選を果たそうとすればなすび族に対して相当に不利な条件で選挙戦を戦うことを強いられる内容になっていた。このことは何度となく違憲であるという批判があがったが、&amp;lt;第三憲法&amp;gt;が施行されるまで改められることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の権限は強く、行政府の長の信任か不信任・法律の制定と公布・国家予算の編成・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;議会へ派遣する代表団の指名・条約の承認と批准などが認められている。原則としてなすび議会議員総選挙が施行されてから1ヶ月以内に議員が召集され、国王の開会宣言によって会期がはじまる。任期満了か解散されるまでを1期と数え、通常は8月から9月までの夏季休暇を挟んで通年で議論が行われる。議事は政党制を前提とした運用がなされており、与党院内幹事長と野党院内幹事長が儀礼的な役職であるなすび議会議長とともに議会運営に当たる。法案の議決は本会議にて行われるが、法案の審議は小会議と呼ばれる数名から数十名の委員からなる委員会で本会議の議決に先立って行われ、ここでの議論を経た法案だけが本会議の議題に上げられる。なすび議会の特有の制度としては国家予算の決済に関する審議・監督を行う機関が豊富であることが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===行政府===&lt;br /&gt;
行政府は、長たる総理大臣が組織したなすび内閣によって構成されている。内閣の構成員である大臣の人事は総理大臣の専権事項であり、任命された大臣はそれぞれ1つないし2つの担当省庁を受け持ち、総理大臣を補佐する。総理大臣は各大臣を通じて各省庁を指揮・監督し、行政を遂行する。国家の重要行政を担う省庁は一級省庁と呼ばれており、一級省庁にのみ大臣が充てられる。【とんちき坊やとなすび王の国】に登場した時点で存在する一級省庁は以下のとおりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・内閣：総理大臣が所管する行政府全体の司令部。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→内閣官房：制度上は内閣の外局であり、内閣官房長官（大臣待遇）が所管する。省庁間の調整を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・法務省：法務大臣が所管する、司法行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・内務省：内務大臣が所管する、民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→農務庁：内務省の外局だが、農務大臣が所管する。農政全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→産業庁：内務省の外局だが、産業大臣が所管する。農業を除く産業政策全般を担当する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・外務省：外務大臣が所管する、外交・貿易・&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;に関する行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・財務省：財務大臣が所管する、財政・金融に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・国防省：国防大臣が所管する、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;軍関連事務・軍備に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・公安省：公安大臣が所管する、国内治安維持に関する行政を担う。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;　→警察庁：公安省の外局だが、警察庁長官（大臣待遇）が所管する。警察行政全般を担う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一級省庁の下部には下級省庁が設置されており、官僚が日常の行政事務を行っている。また、特別省庁と呼ばれる特殊な省庁が存在し、それらの省庁は内閣（総理大臣の管轄の意。行政府ではない）の管轄の外に設置されている。具体的には、王族に関するすべての行政を担う王宮院（王宮院総裁が所管）や、検察行政を担う検察庁（検察庁長官が所管）などが存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総理大臣に任期は存在しないが、議会の信任を根拠に成立する責任内閣制の仕組み上、議会の任期（最大で5年）が事実上の任期である。内閣の構成員は、通常は議会最大勢力に所属する議員の中から選ばれることが慣例となっているが、法的にはすべての大臣（総理大臣も含む）が民間人から登用されることも可能である。総理大臣は議会の信任を根拠として就任することから、議会の信任を得られない場合には辞任か議会の解散で対抗することができる。総理大臣による議会の解散は、歴史的経緯から、国王への助言を経て国王が散会を宣言することによって行われることになっている。ただし、いかなる場合もこうした権力を行使できるわけではなく、総理大臣自身の政権基盤である与党内で権力闘争が激化した場合などに、総理大臣が自発的に辞任に追い込まれるケースなども存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===司法府===&lt;br /&gt;
司法府は、なすび裁判所が司る。法の番人として、刑事・民事の裁判を担当するほか、議会の立法を審査する違憲立法審査院や、民族間の法的な問題を扱う民族裁判所も備えている（制度上はなすび裁判所の外局扱い）。長はなすび裁判所長官で、任期は最大10年。なすび裁判所は、その内部で上位の上級裁判所と下位の一般裁判所に分かれており、刑事・民事を問わず裁判が始まると、第一審と第二審が一般裁判所で、第三審のみが上級裁判所で行われるという三審制を採用している。上級裁判所の裁判官人事のみ内閣の承認が必要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の三権に比べると司法府はその権力が弱く規定されているが、これは憲政施行以前の司法権が貴族に委ねられており、憲政施行の過程で旧時代の権力者である貴族の権力基盤が殊更弱体化させられたことに起因している。なす暦38年の憲政開始以来、違憲立法審査権が行使されたのが1度しかないことからも、こうした権力基盤の弱さを見てとることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政党==&lt;br /&gt;
　詳しくは&amp;lt;[[赤青二大政党制]]&amp;gt;を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立法府の項でも述べた通り、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の議会政治は政党を前提にして運用されている。憲政期のほとんどの期間は、なすび族の赤なすびたちによる赤なす党と青なすびたちによる青なす党が交互に政権を担当しあう&amp;lt;赤青二大政党制&amp;gt;と呼ばれる体制が形成されていた。ただし、二大政党制とは言うものの赤なす党・青なす党のいずれかが議会の過半数を占めた期間はごく僅かであり、ほとんどの政権が中・小規模の政党との連立によって維持されていた。そういった意味で、厳密には二大政党制ではなく多党制と呼ぶべき政権運営が続いていたが、僅かな例外を除いて総理大臣はすべて赤青両党のいずれかから輩出されていたことから、慣例的に二大政党制と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地方行政==&lt;br /&gt;
&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;の地方行政は、州と呼ばれる6つの地方自治体と1つの特別行政区（首都）によって運営された。これらの自治体の領域の画定は、&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国以前に存在した6つのやさい系民族国家同士の国境をほぼそのまま用いて行われている。以下は、州の一覧である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・なすごん特別行政区　首都。旧なすごん王国首都。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・なすび州　州都はなすごん特別行政区。かつて旧なすごん王国を中心とするなすび同盟加盟国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・にんじん州　州都はキャロットタウン。かつてにんじん国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・もろこし州　州都はもろもろ。かつてもろこし王国が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・おいも州　州都はいももん。かつていも連合が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・ねぎ州　州都はおねぎん。かつてねぎもの同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;・みどり州　州都はだいこんシティ。かつてだいこん同盟が存在した領域。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々は別々の野菜系民族国家が合同して&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;が成立した経緯もあり、各州の自治権は中央集権国家としては比較的強い傾向にあったが、立憲政治が定着していく過程で徐々にその権力が弱体化され、&amp;lt;第二憲法&amp;gt;施行のころには州の権限は強い制限を受けるようになった。州政府は域内の民生・土木・建設・労働・教育・祭祀に関する行政について責任を負っているが、職掌分野からもわかるように中央政府の内務省と所管業務が重複しており、そのため各州政府は内務省の実質的な外局のような存在として扱われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;[[なすび王の国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=213</id>
		<title>なすび王の国</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=213"/>
		<updated>2022-02-23T15:01:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 国制 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:enkei.jpg|thumb|300px|首都の遠景]]&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]に登場する国家である。首都はなすごん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈[[連邦帝国]]〉を構成する立憲君主制国家の１つ。〈[[列島]]〉の南部に位置するなすび半島といくつかの島嶼部を領有している。主要産業の農業は〈連邦帝国〉の食糧自給率の高さに大きく貢献しており、「帝国の食糧庫」の異名をとる。住民の大半は野菜系の民族で占められているが、その内なすび族が特権的な階級となっており、民族による社会階級のヒエラルキーが厳格に維持されている。〈連邦帝国〉構成国の中では先進国に分類されており、皇帝を頂点とする〈連邦帝国〉加盟国（これを盟邦という）の席次でも第5位に位置する主要構成国である。&lt;br /&gt;
[[ファイル:explanation.jpg|thumb|200px|なすび王の国における民族(【とんちき坊やとなすび王の国】より)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国号===&lt;br /&gt;
「なすび王国」ではなく「なすび王の国」である。〈連邦帝国〉の成立以前は「なすごん王国」を名乗っていたが、連邦の構成国となって以降は皇帝への配慮から、皇帝に冊封された国王個人が治める領土であるという意味を強調する目的で「王の国」という国号に改められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===民族===&lt;br /&gt;
人口の約95％が野菜系の民族で占められている。この内支配階級のなすび族は全人口の30％ほどで、残りをトマト族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの民族が構成している。なすび族は、さらに品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、この4品種はそれぞれ王族・貴族・資本家階級・労働者階級という社会階級と対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国制===&lt;br /&gt;
　詳細は[[〈なすび王の国〉の政治]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすび族出身の国王が、〈連邦帝国〉皇帝からの冊封を根拠として治める立憲君主制を採用している。当初は絶対君主制を採ったが、歴史的経緯から国王の専制権力の維持が難しくなり、まもなく立憲君主制に移行した。憲政成立以降は、国王には儀礼的な役割のみが与えられており、実際の国家統治は立法府である〈なすび議会〉およびその議会が選出した行政府〈なすび内閣〉と司法府〈なすび裁判所〉が、三権を分担しながら行っている。三権の内、議会を構成する議員は国民による普通選挙で選出されており、一定程度の民主主義制度が普及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、〈なすび王の国〉は事実上の身分制社会を採用する国家でもある。憲法では、第一憲法においては「憲法の下で」、第二憲法以降においては「〈連邦帝国〉皇帝の名の下で」すべての市民が平等であると定められている。しかし、実態としては民族による社会階級の分化が根強く維持されており、特に国王を輩出するなすび族は特権階級としてその他の民族と明らかに区別されている。普通選挙に代表されるように、制度面では全民族平等の仕組みが整えられてはいるものの、この平等の理念は市民生活にまで浸透するにはいまだ至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===概観===&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉の歴史は、大きく以下の区分に分けることができる&lt;br /&gt;
*　建国以前&lt;br /&gt;
*〈なすごん王国〉時代&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉絶対王政期&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉憲政期&lt;br /&gt;
元は数多くの野菜系民族による民族国家のうちの一つであったが、〈岩山の王国〉のなすび半島進出を阻止するための同盟において主導的な役割を果たしたことでなすび半島の主要国として台頭した（建国以前）。〈岩山の王国〉撃退後は軍事力を背景にして周辺国を次々と支配下に置き、〈なすび半島戦争〉でだいこん族の国を破ったことで半島の全域を掌握した（〈なすごん王国〉時代）。&lt;br /&gt;
その後、〈連邦帝国〉成立の過程で〈列島〉全域にまで政治的影響力を及ぼす国家へと成長したが、国内では支配階級であるなすび族の内紛から緑なすびの王族による専制政治体制が崩れて議会政治を中心とした体制へと移行する（〈なすび王の国〉絶対王政期）。憲政時代が始まると、国家統治は赤なす党と青なす党による二大政党制が定着したが、絶対王政という抑え込みの力が失われたことで民族間・社会階級間の争いが表面化しており、対外的な影響力の増大とは対照的に国内の社会問題をどう克服していくかが課題となっている（〈なすび王の国〉憲政期）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===なすび半島統一まで===&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国直後のなすび半島。]]&lt;br /&gt;
古くは、現在のなすび半島の地域には多くの野菜系民族による民族国家が乱立しており、なすび族の国もそうした諸国家の1つに過ぎなかった。これらの国家は農耕文化を基盤にしていたことから、土地を巡る国家間の争いは有史以来絶えなかったが、それでも分立した国家を統一するほどの強大な権力者は現れず、半島では群雄割拠の状態が長らく続いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この状況が変わったのは、なすび半島の北側に成立した強大な軍事国家〈岩山の王国〉が成立したことがきっかけであった。〈岩山の王国〉は周辺国家を併呑しながら急拡大しており、ついには半島にふたをするように国土を広げるに至った。〈岩山の王国〉という明確な脅威が出現したことで、なすび半島の諸国家ではにわかに「反岩山同盟形成論」が勃興する。この結果、〈岩山の王国〉と国境を接する半島北部の諸国家が平和裏に〈野菜国家の同盟〉を結成し〈岩山の王国〉の南下に備えた。〈野菜国家の同盟〉と〈岩山の王国〉は数度の戦争を戦ったが、この争いは最終的に第二次へた山脈の戦いによって〈野菜国家の同盟〉側の勝利によって終結し、半島の諸国家は〈岩山の王国〉の半島侵入を防ぐことに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この対〈岩山〉戦争において英雄的な役割を果たしたのが、なすび族の首領・なすごんであった。なすごんは戦後、カリスマ的な人気を獲得して〈野菜国家の同盟〉の盟主となり、まもなく同盟はなすび族を中心とする〈なすび同盟〉に衣替えした。これを機に、なすごんは自らをなすごん1世と称してなすび族国家の君主に即位し、ここに〈なすごん王国〉を建国した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たな王国は軍事力を背景にして野菜系民族の周辺諸国を同盟に吸収していったが、この動きに強く抵抗したのがだいこん族らの民族国家〈だいこんの国〉である。〈だいこんの国〉は反〈なすごん王国〉を掲げる国家を糾合して〈だいこん同盟〉を結成し、対〈岩山〉戦争終結からわずか数年後にはなすび半島のほぼ全域で〈なすび同盟〉対〈だいこん同盟〉の構図が完成した。両同盟は〈なすび半島戦争〉で覇権をめぐる決戦に臨み、この戦いを制した〈なすび同盟〉陣営がついになすび半島全域の統一に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===〈連邦帝国〉成立から第一王政の終焉まで===&lt;br /&gt;
なすび半島の統一によって〈列島〉南部の地域大国となった〈なすごん王国〉は、安定した農産物生産を経済的な基盤として〈列島〉各国への食糧輸出を推進し、著しい経済成長を遂げる。「〈列島〉の食糧庫」という二つ名はこの時期に生まれたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済的な成長は〈列島〉内における王国の存在感増大を促した。なすごん1世の孫・なすごん3世の治世では、〈かっぱ大公国〉崩壊の事後処理のために主要国の代表を集めて開かれた〈第一次列侯会議〉に召集され、〈列島五大国〉の一角として国際的に認められることとなった。〈第二次列侯会議〉では〈いるか島の国〉代表が提案した〈連邦制同君連合構想〉に関税撤廃賛成の立場から賛同し、同構想が結実した結果成立する〈連邦帝国〉建国に重要な役割を果たした。〈連邦帝国〉が〈第三次列侯会議〉の結果成立すると、〈なすごん王国〉はその原加盟国として大国としての地位を確固たるものとした。その後、なすごん3世は国号を〈なすび王の国〉へと改めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、なすごん4世の時代になると国内ではなすび族の内部で品種同士の争いが激しくなる。国王を輩出する緑なすび、貴族階級の紫なすび、地主（資本家）階級の赤なすび、百姓（労働者）階級の青なすびが、国内政治の主導権を巡る争いを繰り広げた。これは、なすごん3世というカリスマ君主がこの世を去ったことで、なすび族の各品種間でパワーバランスが変化したためである。この争いは、最終的に憲法制定による法の支配の確立によって終息し、〈なすび王の国〉は君主による専制政治から法治主義政治へと転換した（王政期の終焉）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===憲政成立以降===&lt;br /&gt;
[[ファイル:demo.jpg|thumb|200px|青なす党のなが～いメーデー]]&lt;br /&gt;
憲政期がはじまると、〈なすび王の国〉では人口の多い赤なすびと青なすびが実権を握るようになり、緑なすび（王族）・紫なすび（貴族）たちは徐々に名誉的・儀礼的な役割のみを担うようになっていった。これは、法治主義の浸透によって実力主義の時代が到来し、それまで政治・社会の様々な場面で実務を担っていた赤なすび・青なすびの活躍の場が増えるようになっていったためである。実務の現場を知らない緑なすび・紫なすびは存在感を失っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごん4世が没して幼少のなすごん5世が即位すると、赤なすび出身の宰相・なすじゅうろうが政治の全権を名実ともに掌握した。議会主導で〈第二憲法〉が制定されると、立憲君主制・議会政治・三権分立などの本格的な立憲政治が登場し（第二憲政）、〈なすび王の国〉は当時としては先進的な政治文化を備える立憲国家へと脱皮した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議会政治が整えられると、なすび族内では赤なすびらによる赤なす党と青なすびらによる青なす党が二大政党制を形成した（赤青二大政党制）。両党ともに各品種の社会階級を代表する階級政党であり、国内政治は資本家階級（赤なすび）対労働者階級（青なすび）という対立構造を軸にして行われるようになった。両党の勢力は拮抗していたため、総選挙の結果を通して交互に政権を担当しながら漸進的な社会改革を進めていった。この二大政党制では、両党は自勢力の利益を代表して鋭く対立しあったものの、政党政治の維持という点では一致していたために現行の政治体制を崩壊させるほどの政争（クーデターなど）には発展しなかった。その意味で赤青二大政党制は均衡のとれた安定的な政治体制であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この均衡が崩れたのは、なすごん6世の時代に起こった〈青なす党のなが～いメーデー〉によってである。これは当時の赤なす党を与党とするなすごろう政権が労働者階級の負担が増す税制改革を実施したことに対する青なすび労働者たちの反対デモがきっかけとなって起こった反政府運動である。政府がこの運動を武力行使によって鎮圧しようとしたことで事態は悪化し、国内は内乱状態に陥ったが、急転直下でこの状況に終止符を打ったのが〈王太子のクーデター〉であった。〈王太子のクーデター〉は、当時の王位継承順位第一位の緑なすびの王太子が首謀したもので、現国王なすごん6世と現政権の幹部らを一斉に拘束して現行の統治体制の解体を目指して起こされた。クーデターの結果、第二憲政とそれを支えた赤青二大政党制は停止され、新国王として即位した王太子改めなすごん7世が親政を執る形で新政権が組織された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新政権は制憲議会を通して〈第三憲法〉を制定し、国王親政・三権分立・民族平等の理念を柱とする〈第三憲政〉が開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!年&lt;br /&gt;
!月&lt;br /&gt;
!出来事&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|前11&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|&amp;lt;岩山の王国&amp;gt;、へた山脈以北を占領。&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;6&amp;quot;|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|&amp;lt;野菜国家の同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前7&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|第一次へた山脈戦争 (同年2月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前4&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|第二次へた山脈戦争 (前8年6月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前1&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|第三次へた山脈戦争 (同年11月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん同盟&amp;gt;結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすび半島戦争 (12年8月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|2世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|なすごん王国、なすび半島を統一&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん3世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;|3世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|22&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ大公国&amp;gt;滅亡。&amp;lt;第一次列侯会議&amp;gt;が開かれる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|24&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二次列侯会議&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|25&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三次列侯会議&amp;gt;。&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;が結ばれ、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;が成立する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|なすごん4世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;7&amp;quot;|4世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|30&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|青なす同盟(のちの青なす党)結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|31&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこんシティの暴動&amp;gt;、憲法制定運動はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|&amp;lt;大たまごの間の政変&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|36&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|赤なす党結成。内閣制度創設&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|行政権法制定、以降、段階的な王権の制限がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|38&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第一憲法&amp;gt;発布、憲政期はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|40&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|なすごん5世即位、&amp;lt;安定の半世紀&amp;gt;はじまる&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|5世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|赤なす党のなすじゅうろうが総理大臣就任、初の平民宰相&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|41&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|42&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|議会政治はじまる。第一回総選挙にて、青なす党が比較第一党獲得&amp;lt;br/&amp;gt;青なす党のなすごんどうが総理大臣就任。赤青二大政党制成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|90&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|なすごん6世即位&lt;br /&gt;
|6世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|95&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;、&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;、なすごん7世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|7世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==各種一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代国王===&lt;br /&gt;
====なすごん王国時代====&lt;br /&gt;
[[File:nasubi_KingⅥ.jpg|thumb|250px|なすごん6世]]&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん1世&lt;br /&gt;
|1年5月&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|譲位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|なすび王の国建国のため&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====なすび王の国時代====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん4世&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん5世&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん6世&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|廃位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすごん7世&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;|nowrap|&lt;br /&gt;
|'''名前欄の色分け：'''&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:紫なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:赤なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:青なすび&lt;br /&gt;
|色なし&lt;br /&gt;
|:その他のやさい&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!名前&lt;br /&gt;
!就任年月&lt;br /&gt;
!退任年月&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
!総選挙(回/年)&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすでぃん&lt;br /&gt;
|36年2月&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|要職を貴族が独占する超然内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|うぃるなす&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|紫なすび同士による権力闘争の激化&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なっすん&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|新国王・なすごん5世との対立の末、解任&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすじゅうろう&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|1/42&lt;br /&gt;
|初の平民宰相。議会創設に尽力するも、初の総選挙の結果を受け退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|初の総選挙の結果発足、かつ初の青なす党政権。病気のため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|2/46、3/50、4/54&lt;br /&gt;
|初の安定長期政権。リベラル派として諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;ref&amp;gt;54年10月まで&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|議会内多数派工作により総選挙を経ず政権奪取を果たすも、だいこん党の連立離脱により数か月で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&lt;br /&gt;
|5/58&lt;br /&gt;
|再登板。&amp;lt;中間党の乱&amp;gt;などにより政情が不安定化。総選挙に敗北し、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&lt;br /&gt;
|6/60、7/63、8/65&lt;br /&gt;
|赤系野菜三党連合政権。高度成長はじまる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|9/70&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ王国革命&amp;gt;への対応の不手際が影響し、総選挙で敗北したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|10/72、11/75&lt;br /&gt;
|軍備増強路線が国論を二分。内政重視を説いた青なす党に総選挙で敗れ退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすろう&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&amp;lt;br/&amp;gt;葉もの同盟&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|福祉を中心とする社会保障政策を重視。主に労働者階級からの支持に支えられるも、病気により退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|13&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なす・K&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|12/80&lt;br /&gt;
|財界からの支持を得た赤なす党が総選挙で勝利したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|アリナス&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん党事件&amp;gt;をきっかけとして、政界再編。赤なす党優位の体制が固定化する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|13/85&lt;br /&gt;
|赤なす党と青なす党の対立が先鋭化。総選挙の結果、&amp;lt;85年政局&amp;gt;がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|少数与党政権。「見切り発車政権」という不名誉な渾名の通り、&amp;lt;br/&amp;gt;連立交渉を取りまとめられずわずか2ヶ月半で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|でるなす&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|14/85&lt;br /&gt;
|選挙管理内閣として成立。&amp;lt;br/&amp;gt;同年2度目の総選挙を施行するもハングパーラメントを解消できず、&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;の結果退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|17&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|15/87&lt;br /&gt;
|&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;によって成立した中立内閣。&amp;lt;br/&amp;gt;2年間の期限付きで政権を運営。87年総選挙でハングパーラメントが解消されたため、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|18&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&amp;lt;br/&amp;gt;おいも党&lt;br /&gt;
|16/92&lt;br /&gt;
|赤なす党が非なすび系政党を糾合して巨大連立政権を形成。&amp;lt;br/&amp;gt;事実上の一党単独優位制が成立。数の力で諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすごろう&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;に端を発する&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;により退陣。&amp;lt;br/&amp;gt;青赤二大政党制最後の内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|20&lt;br /&gt;
|とまと大臣&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|やさい党&amp;lt;ref&amp;gt;とまと党・もろこし党・おいも党・にんじん党が中心となって、95年5月に結成した非なすび系民族による連合政党。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|なすごん7世によって組閣された内閣。初の非なすび系民族の総理大臣となった&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界各地を旅するとんちきとろんが訪れた国として登場する。作中では〈青なす党のなが～いクーデター〉から〈王太子のクーデター〉までの出来事が描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=212</id>
		<title>なすび王の国</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=212"/>
		<updated>2022-02-23T15:01:34Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 国制 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:enkei.jpg|thumb|300px|首都の遠景]]&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]に登場する国家である。首都はなすごん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈[[連邦帝国]]〉を構成する立憲君主制国家の１つ。〈[[列島]]〉の南部に位置するなすび半島といくつかの島嶼部を領有している。主要産業の農業は〈連邦帝国〉の食糧自給率の高さに大きく貢献しており、「帝国の食糧庫」の異名をとる。住民の大半は野菜系の民族で占められているが、その内なすび族が特権的な階級となっており、民族による社会階級のヒエラルキーが厳格に維持されている。〈連邦帝国〉構成国の中では先進国に分類されており、皇帝を頂点とする〈連邦帝国〉加盟国（これを盟邦という）の席次でも第5位に位置する主要構成国である。&lt;br /&gt;
[[ファイル:explanation.jpg|thumb|200px|なすび王の国における民族(【とんちき坊やとなすび王の国】より)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国号===&lt;br /&gt;
「なすび王国」ではなく「なすび王の国」である。〈連邦帝国〉の成立以前は「なすごん王国」を名乗っていたが、連邦の構成国となって以降は皇帝への配慮から、皇帝に冊封された国王個人が治める領土であるという意味を強調する目的で「王の国」という国号に改められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===民族===&lt;br /&gt;
人口の約95％が野菜系の民族で占められている。この内支配階級のなすび族は全人口の30％ほどで、残りをトマト族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの民族が構成している。なすび族は、さらに品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、この4品種はそれぞれ王族・貴族・資本家階級・労働者階級という社会階級と対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国制===&lt;br /&gt;
　詳細は[[〈なすび王の国〉の政治]]も参照。&lt;br /&gt;
なすび族出身の国王が、〈連邦帝国〉皇帝からの冊封を根拠として治める立憲君主制を採用している。当初は絶対君主制を採ったが、歴史的経緯から国王の専制権力の維持が難しくなり、まもなく立憲君主制に移行した。憲政成立以降は、国王には儀礼的な役割のみが与えられており、実際の国家統治は立法府である〈なすび議会〉およびその議会が選出した行政府〈なすび内閣〉と司法府〈なすび裁判所〉が、三権を分担しながら行っている。三権の内、議会を構成する議員は国民による普通選挙で選出されており、一定程度の民主主義制度が普及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、〈なすび王の国〉は事実上の身分制社会を採用する国家でもある。憲法では、第一憲法においては「憲法の下で」、第二憲法以降においては「〈連邦帝国〉皇帝の名の下で」すべての市民が平等であると定められている。しかし、実態としては民族による社会階級の分化が根強く維持されており、特に国王を輩出するなすび族は特権階級としてその他の民族と明らかに区別されている。普通選挙に代表されるように、制度面では全民族平等の仕組みが整えられてはいるものの、この平等の理念は市民生活にまで浸透するにはいまだ至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===概観===&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉の歴史は、大きく以下の区分に分けることができる&lt;br /&gt;
*　建国以前&lt;br /&gt;
*〈なすごん王国〉時代&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉絶対王政期&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉憲政期&lt;br /&gt;
元は数多くの野菜系民族による民族国家のうちの一つであったが、〈岩山の王国〉のなすび半島進出を阻止するための同盟において主導的な役割を果たしたことでなすび半島の主要国として台頭した（建国以前）。〈岩山の王国〉撃退後は軍事力を背景にして周辺国を次々と支配下に置き、〈なすび半島戦争〉でだいこん族の国を破ったことで半島の全域を掌握した（〈なすごん王国〉時代）。&lt;br /&gt;
その後、〈連邦帝国〉成立の過程で〈列島〉全域にまで政治的影響力を及ぼす国家へと成長したが、国内では支配階級であるなすび族の内紛から緑なすびの王族による専制政治体制が崩れて議会政治を中心とした体制へと移行する（〈なすび王の国〉絶対王政期）。憲政時代が始まると、国家統治は赤なす党と青なす党による二大政党制が定着したが、絶対王政という抑え込みの力が失われたことで民族間・社会階級間の争いが表面化しており、対外的な影響力の増大とは対照的に国内の社会問題をどう克服していくかが課題となっている（〈なすび王の国〉憲政期）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===なすび半島統一まで===&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国直後のなすび半島。]]&lt;br /&gt;
古くは、現在のなすび半島の地域には多くの野菜系民族による民族国家が乱立しており、なすび族の国もそうした諸国家の1つに過ぎなかった。これらの国家は農耕文化を基盤にしていたことから、土地を巡る国家間の争いは有史以来絶えなかったが、それでも分立した国家を統一するほどの強大な権力者は現れず、半島では群雄割拠の状態が長らく続いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この状況が変わったのは、なすび半島の北側に成立した強大な軍事国家〈岩山の王国〉が成立したことがきっかけであった。〈岩山の王国〉は周辺国家を併呑しながら急拡大しており、ついには半島にふたをするように国土を広げるに至った。〈岩山の王国〉という明確な脅威が出現したことで、なすび半島の諸国家ではにわかに「反岩山同盟形成論」が勃興する。この結果、〈岩山の王国〉と国境を接する半島北部の諸国家が平和裏に〈野菜国家の同盟〉を結成し〈岩山の王国〉の南下に備えた。〈野菜国家の同盟〉と〈岩山の王国〉は数度の戦争を戦ったが、この争いは最終的に第二次へた山脈の戦いによって〈野菜国家の同盟〉側の勝利によって終結し、半島の諸国家は〈岩山の王国〉の半島侵入を防ぐことに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この対〈岩山〉戦争において英雄的な役割を果たしたのが、なすび族の首領・なすごんであった。なすごんは戦後、カリスマ的な人気を獲得して〈野菜国家の同盟〉の盟主となり、まもなく同盟はなすび族を中心とする〈なすび同盟〉に衣替えした。これを機に、なすごんは自らをなすごん1世と称してなすび族国家の君主に即位し、ここに〈なすごん王国〉を建国した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たな王国は軍事力を背景にして野菜系民族の周辺諸国を同盟に吸収していったが、この動きに強く抵抗したのがだいこん族らの民族国家〈だいこんの国〉である。〈だいこんの国〉は反〈なすごん王国〉を掲げる国家を糾合して〈だいこん同盟〉を結成し、対〈岩山〉戦争終結からわずか数年後にはなすび半島のほぼ全域で〈なすび同盟〉対〈だいこん同盟〉の構図が完成した。両同盟は〈なすび半島戦争〉で覇権をめぐる決戦に臨み、この戦いを制した〈なすび同盟〉陣営がついになすび半島全域の統一に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===〈連邦帝国〉成立から第一王政の終焉まで===&lt;br /&gt;
なすび半島の統一によって〈列島〉南部の地域大国となった〈なすごん王国〉は、安定した農産物生産を経済的な基盤として〈列島〉各国への食糧輸出を推進し、著しい経済成長を遂げる。「〈列島〉の食糧庫」という二つ名はこの時期に生まれたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済的な成長は〈列島〉内における王国の存在感増大を促した。なすごん1世の孫・なすごん3世の治世では、〈かっぱ大公国〉崩壊の事後処理のために主要国の代表を集めて開かれた〈第一次列侯会議〉に召集され、〈列島五大国〉の一角として国際的に認められることとなった。〈第二次列侯会議〉では〈いるか島の国〉代表が提案した〈連邦制同君連合構想〉に関税撤廃賛成の立場から賛同し、同構想が結実した結果成立する〈連邦帝国〉建国に重要な役割を果たした。〈連邦帝国〉が〈第三次列侯会議〉の結果成立すると、〈なすごん王国〉はその原加盟国として大国としての地位を確固たるものとした。その後、なすごん3世は国号を〈なすび王の国〉へと改めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、なすごん4世の時代になると国内ではなすび族の内部で品種同士の争いが激しくなる。国王を輩出する緑なすび、貴族階級の紫なすび、地主（資本家）階級の赤なすび、百姓（労働者）階級の青なすびが、国内政治の主導権を巡る争いを繰り広げた。これは、なすごん3世というカリスマ君主がこの世を去ったことで、なすび族の各品種間でパワーバランスが変化したためである。この争いは、最終的に憲法制定による法の支配の確立によって終息し、〈なすび王の国〉は君主による専制政治から法治主義政治へと転換した（王政期の終焉）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===憲政成立以降===&lt;br /&gt;
[[ファイル:demo.jpg|thumb|200px|青なす党のなが～いメーデー]]&lt;br /&gt;
憲政期がはじまると、〈なすび王の国〉では人口の多い赤なすびと青なすびが実権を握るようになり、緑なすび（王族）・紫なすび（貴族）たちは徐々に名誉的・儀礼的な役割のみを担うようになっていった。これは、法治主義の浸透によって実力主義の時代が到来し、それまで政治・社会の様々な場面で実務を担っていた赤なすび・青なすびの活躍の場が増えるようになっていったためである。実務の現場を知らない緑なすび・紫なすびは存在感を失っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごん4世が没して幼少のなすごん5世が即位すると、赤なすび出身の宰相・なすじゅうろうが政治の全権を名実ともに掌握した。議会主導で〈第二憲法〉が制定されると、立憲君主制・議会政治・三権分立などの本格的な立憲政治が登場し（第二憲政）、〈なすび王の国〉は当時としては先進的な政治文化を備える立憲国家へと脱皮した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議会政治が整えられると、なすび族内では赤なすびらによる赤なす党と青なすびらによる青なす党が二大政党制を形成した（赤青二大政党制）。両党ともに各品種の社会階級を代表する階級政党であり、国内政治は資本家階級（赤なすび）対労働者階級（青なすび）という対立構造を軸にして行われるようになった。両党の勢力は拮抗していたため、総選挙の結果を通して交互に政権を担当しながら漸進的な社会改革を進めていった。この二大政党制では、両党は自勢力の利益を代表して鋭く対立しあったものの、政党政治の維持という点では一致していたために現行の政治体制を崩壊させるほどの政争（クーデターなど）には発展しなかった。その意味で赤青二大政党制は均衡のとれた安定的な政治体制であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この均衡が崩れたのは、なすごん6世の時代に起こった〈青なす党のなが～いメーデー〉によってである。これは当時の赤なす党を与党とするなすごろう政権が労働者階級の負担が増す税制改革を実施したことに対する青なすび労働者たちの反対デモがきっかけとなって起こった反政府運動である。政府がこの運動を武力行使によって鎮圧しようとしたことで事態は悪化し、国内は内乱状態に陥ったが、急転直下でこの状況に終止符を打ったのが〈王太子のクーデター〉であった。〈王太子のクーデター〉は、当時の王位継承順位第一位の緑なすびの王太子が首謀したもので、現国王なすごん6世と現政権の幹部らを一斉に拘束して現行の統治体制の解体を目指して起こされた。クーデターの結果、第二憲政とそれを支えた赤青二大政党制は停止され、新国王として即位した王太子改めなすごん7世が親政を執る形で新政権が組織された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新政権は制憲議会を通して〈第三憲法〉を制定し、国王親政・三権分立・民族平等の理念を柱とする〈第三憲政〉が開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!年&lt;br /&gt;
!月&lt;br /&gt;
!出来事&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|前11&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|&amp;lt;岩山の王国&amp;gt;、へた山脈以北を占領。&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;6&amp;quot;|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|&amp;lt;野菜国家の同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前7&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|第一次へた山脈戦争 (同年2月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前4&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|第二次へた山脈戦争 (前8年6月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前1&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|第三次へた山脈戦争 (同年11月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん同盟&amp;gt;結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすび半島戦争 (12年8月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|2世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|なすごん王国、なすび半島を統一&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん3世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;|3世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|22&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ大公国&amp;gt;滅亡。&amp;lt;第一次列侯会議&amp;gt;が開かれる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|24&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二次列侯会議&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|25&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三次列侯会議&amp;gt;。&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;が結ばれ、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;が成立する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|なすごん4世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;7&amp;quot;|4世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|30&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|青なす同盟(のちの青なす党)結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|31&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこんシティの暴動&amp;gt;、憲法制定運動はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|&amp;lt;大たまごの間の政変&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|36&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|赤なす党結成。内閣制度創設&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|行政権法制定、以降、段階的な王権の制限がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|38&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第一憲法&amp;gt;発布、憲政期はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|40&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|なすごん5世即位、&amp;lt;安定の半世紀&amp;gt;はじまる&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|5世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|赤なす党のなすじゅうろうが総理大臣就任、初の平民宰相&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|41&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|42&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|議会政治はじまる。第一回総選挙にて、青なす党が比較第一党獲得&amp;lt;br/&amp;gt;青なす党のなすごんどうが総理大臣就任。赤青二大政党制成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|90&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|なすごん6世即位&lt;br /&gt;
|6世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|95&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;、&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;、なすごん7世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|7世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==各種一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代国王===&lt;br /&gt;
====なすごん王国時代====&lt;br /&gt;
[[File:nasubi_KingⅥ.jpg|thumb|250px|なすごん6世]]&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん1世&lt;br /&gt;
|1年5月&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|譲位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|なすび王の国建国のため&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====なすび王の国時代====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん4世&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん5世&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん6世&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|廃位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすごん7世&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;|nowrap|&lt;br /&gt;
|'''名前欄の色分け：'''&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:紫なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:赤なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:青なすび&lt;br /&gt;
|色なし&lt;br /&gt;
|:その他のやさい&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!名前&lt;br /&gt;
!就任年月&lt;br /&gt;
!退任年月&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
!総選挙(回/年)&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすでぃん&lt;br /&gt;
|36年2月&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|要職を貴族が独占する超然内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|うぃるなす&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|紫なすび同士による権力闘争の激化&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なっすん&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|新国王・なすごん5世との対立の末、解任&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすじゅうろう&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|1/42&lt;br /&gt;
|初の平民宰相。議会創設に尽力するも、初の総選挙の結果を受け退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|初の総選挙の結果発足、かつ初の青なす党政権。病気のため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|2/46、3/50、4/54&lt;br /&gt;
|初の安定長期政権。リベラル派として諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;ref&amp;gt;54年10月まで&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|議会内多数派工作により総選挙を経ず政権奪取を果たすも、だいこん党の連立離脱により数か月で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&lt;br /&gt;
|5/58&lt;br /&gt;
|再登板。&amp;lt;中間党の乱&amp;gt;などにより政情が不安定化。総選挙に敗北し、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&lt;br /&gt;
|6/60、7/63、8/65&lt;br /&gt;
|赤系野菜三党連合政権。高度成長はじまる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|9/70&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ王国革命&amp;gt;への対応の不手際が影響し、総選挙で敗北したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|10/72、11/75&lt;br /&gt;
|軍備増強路線が国論を二分。内政重視を説いた青なす党に総選挙で敗れ退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすろう&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&amp;lt;br/&amp;gt;葉もの同盟&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|福祉を中心とする社会保障政策を重視。主に労働者階級からの支持に支えられるも、病気により退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|13&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なす・K&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|12/80&lt;br /&gt;
|財界からの支持を得た赤なす党が総選挙で勝利したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|アリナス&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん党事件&amp;gt;をきっかけとして、政界再編。赤なす党優位の体制が固定化する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|13/85&lt;br /&gt;
|赤なす党と青なす党の対立が先鋭化。総選挙の結果、&amp;lt;85年政局&amp;gt;がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|少数与党政権。「見切り発車政権」という不名誉な渾名の通り、&amp;lt;br/&amp;gt;連立交渉を取りまとめられずわずか2ヶ月半で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|でるなす&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|14/85&lt;br /&gt;
|選挙管理内閣として成立。&amp;lt;br/&amp;gt;同年2度目の総選挙を施行するもハングパーラメントを解消できず、&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;の結果退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|17&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|15/87&lt;br /&gt;
|&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;によって成立した中立内閣。&amp;lt;br/&amp;gt;2年間の期限付きで政権を運営。87年総選挙でハングパーラメントが解消されたため、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|18&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&amp;lt;br/&amp;gt;おいも党&lt;br /&gt;
|16/92&lt;br /&gt;
|赤なす党が非なすび系政党を糾合して巨大連立政権を形成。&amp;lt;br/&amp;gt;事実上の一党単独優位制が成立。数の力で諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすごろう&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;に端を発する&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;により退陣。&amp;lt;br/&amp;gt;青赤二大政党制最後の内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|20&lt;br /&gt;
|とまと大臣&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|やさい党&amp;lt;ref&amp;gt;とまと党・もろこし党・おいも党・にんじん党が中心となって、95年5月に結成した非なすび系民族による連合政党。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|なすごん7世によって組閣された内閣。初の非なすび系民族の総理大臣となった&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界各地を旅するとんちきとろんが訪れた国として登場する。作中では〈青なす党のなが～いクーデター〉から〈王太子のクーデター〉までの出来事が描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=211</id>
		<title>なすび王の国</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD&amp;diff=211"/>
		<updated>2022-02-23T15:01:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 国制 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:enkei.jpg|thumb|300px|首都の遠景]]&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]に登場する国家である。首都はなすごん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈[[連邦帝国]]〉を構成する立憲君主制国家の１つ。〈[[列島]]〉の南部に位置するなすび半島といくつかの島嶼部を領有している。主要産業の農業は〈連邦帝国〉の食糧自給率の高さに大きく貢献しており、「帝国の食糧庫」の異名をとる。住民の大半は野菜系の民族で占められているが、その内なすび族が特権的な階級となっており、民族による社会階級のヒエラルキーが厳格に維持されている。〈連邦帝国〉構成国の中では先進国に分類されており、皇帝を頂点とする〈連邦帝国〉加盟国（これを盟邦という）の席次でも第5位に位置する主要構成国である。&lt;br /&gt;
[[ファイル:explanation.jpg|thumb|200px|なすび王の国における民族(【とんちき坊やとなすび王の国】より)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国号===&lt;br /&gt;
「なすび王国」ではなく「なすび王の国」である。〈連邦帝国〉の成立以前は「なすごん王国」を名乗っていたが、連邦の構成国となって以降は皇帝への配慮から、皇帝に冊封された国王個人が治める領土であるという意味を強調する目的で「王の国」という国号に改められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===民族===&lt;br /&gt;
人口の約95％が野菜系の民族で占められている。この内支配階級のなすび族は全人口の30％ほどで、残りをトマト族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの民族が構成している。なすび族は、さらに品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、この4品種はそれぞれ王族・貴族・資本家階級・労働者階級という社会階級と対応している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===国制===&lt;br /&gt;
 詳細は[[〈なすび王の国〉の政治]]も参照。&lt;br /&gt;
なすび族出身の国王が、〈連邦帝国〉皇帝からの冊封を根拠として治める立憲君主制を採用している。当初は絶対君主制を採ったが、歴史的経緯から国王の専制権力の維持が難しくなり、まもなく立憲君主制に移行した。憲政成立以降は、国王には儀礼的な役割のみが与えられており、実際の国家統治は立法府である〈なすび議会〉およびその議会が選出した行政府〈なすび内閣〉と司法府〈なすび裁判所〉が、三権を分担しながら行っている。三権の内、議会を構成する議員は国民による普通選挙で選出されており、一定程度の民主主義制度が普及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、〈なすび王の国〉は事実上の身分制社会を採用する国家でもある。憲法では、第一憲法においては「憲法の下で」、第二憲法以降においては「〈連邦帝国〉皇帝の名の下で」すべての市民が平等であると定められている。しかし、実態としては民族による社会階級の分化が根強く維持されており、特に国王を輩出するなすび族は特権階級としてその他の民族と明らかに区別されている。普通選挙に代表されるように、制度面では全民族平等の仕組みが整えられてはいるものの、この平等の理念は市民生活にまで浸透するにはいまだ至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===概観===&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉の歴史は、大きく以下の区分に分けることができる&lt;br /&gt;
*　建国以前&lt;br /&gt;
*〈なすごん王国〉時代&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉絶対王政期&lt;br /&gt;
*〈なすび王の国〉憲政期&lt;br /&gt;
元は数多くの野菜系民族による民族国家のうちの一つであったが、〈岩山の王国〉のなすび半島進出を阻止するための同盟において主導的な役割を果たしたことでなすび半島の主要国として台頭した（建国以前）。〈岩山の王国〉撃退後は軍事力を背景にして周辺国を次々と支配下に置き、〈なすび半島戦争〉でだいこん族の国を破ったことで半島の全域を掌握した（〈なすごん王国〉時代）。&lt;br /&gt;
その後、〈連邦帝国〉成立の過程で〈列島〉全域にまで政治的影響力を及ぼす国家へと成長したが、国内では支配階級であるなすび族の内紛から緑なすびの王族による専制政治体制が崩れて議会政治を中心とした体制へと移行する（〈なすび王の国〉絶対王政期）。憲政時代が始まると、国家統治は赤なす党と青なす党による二大政党制が定着したが、絶対王政という抑え込みの力が失われたことで民族間・社会階級間の争いが表面化しており、対外的な影響力の増大とは対照的に国内の社会問題をどう克服していくかが課題となっている（〈なすび王の国〉憲政期）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===なすび半島統一まで===&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国直後のなすび半島。]]&lt;br /&gt;
古くは、現在のなすび半島の地域には多くの野菜系民族による民族国家が乱立しており、なすび族の国もそうした諸国家の1つに過ぎなかった。これらの国家は農耕文化を基盤にしていたことから、土地を巡る国家間の争いは有史以来絶えなかったが、それでも分立した国家を統一するほどの強大な権力者は現れず、半島では群雄割拠の状態が長らく続いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この状況が変わったのは、なすび半島の北側に成立した強大な軍事国家〈岩山の王国〉が成立したことがきっかけであった。〈岩山の王国〉は周辺国家を併呑しながら急拡大しており、ついには半島にふたをするように国土を広げるに至った。〈岩山の王国〉という明確な脅威が出現したことで、なすび半島の諸国家ではにわかに「反岩山同盟形成論」が勃興する。この結果、〈岩山の王国〉と国境を接する半島北部の諸国家が平和裏に〈野菜国家の同盟〉を結成し〈岩山の王国〉の南下に備えた。〈野菜国家の同盟〉と〈岩山の王国〉は数度の戦争を戦ったが、この争いは最終的に第二次へた山脈の戦いによって〈野菜国家の同盟〉側の勝利によって終結し、半島の諸国家は〈岩山の王国〉の半島侵入を防ぐことに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この対〈岩山〉戦争において英雄的な役割を果たしたのが、なすび族の首領・なすごんであった。なすごんは戦後、カリスマ的な人気を獲得して〈野菜国家の同盟〉の盟主となり、まもなく同盟はなすび族を中心とする〈なすび同盟〉に衣替えした。これを機に、なすごんは自らをなすごん1世と称してなすび族国家の君主に即位し、ここに〈なすごん王国〉を建国した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たな王国は軍事力を背景にして野菜系民族の周辺諸国を同盟に吸収していったが、この動きに強く抵抗したのがだいこん族らの民族国家〈だいこんの国〉である。〈だいこんの国〉は反〈なすごん王国〉を掲げる国家を糾合して〈だいこん同盟〉を結成し、対〈岩山〉戦争終結からわずか数年後にはなすび半島のほぼ全域で〈なすび同盟〉対〈だいこん同盟〉の構図が完成した。両同盟は〈なすび半島戦争〉で覇権をめぐる決戦に臨み、この戦いを制した〈なすび同盟〉陣営がついになすび半島全域の統一に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===〈連邦帝国〉成立から第一王政の終焉まで===&lt;br /&gt;
なすび半島の統一によって〈列島〉南部の地域大国となった〈なすごん王国〉は、安定した農産物生産を経済的な基盤として〈列島〉各国への食糧輸出を推進し、著しい経済成長を遂げる。「〈列島〉の食糧庫」という二つ名はこの時期に生まれたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済的な成長は〈列島〉内における王国の存在感増大を促した。なすごん1世の孫・なすごん3世の治世では、〈かっぱ大公国〉崩壊の事後処理のために主要国の代表を集めて開かれた〈第一次列侯会議〉に召集され、〈列島五大国〉の一角として国際的に認められることとなった。〈第二次列侯会議〉では〈いるか島の国〉代表が提案した〈連邦制同君連合構想〉に関税撤廃賛成の立場から賛同し、同構想が結実した結果成立する〈連邦帝国〉建国に重要な役割を果たした。〈連邦帝国〉が〈第三次列侯会議〉の結果成立すると、〈なすごん王国〉はその原加盟国として大国としての地位を確固たるものとした。その後、なすごん3世は国号を〈なすび王の国〉へと改めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、なすごん4世の時代になると国内ではなすび族の内部で品種同士の争いが激しくなる。国王を輩出する緑なすび、貴族階級の紫なすび、地主（資本家）階級の赤なすび、百姓（労働者）階級の青なすびが、国内政治の主導権を巡る争いを繰り広げた。これは、なすごん3世というカリスマ君主がこの世を去ったことで、なすび族の各品種間でパワーバランスが変化したためである。この争いは、最終的に憲法制定による法の支配の確立によって終息し、〈なすび王の国〉は君主による専制政治から法治主義政治へと転換した（王政期の終焉）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===憲政成立以降===&lt;br /&gt;
[[ファイル:demo.jpg|thumb|200px|青なす党のなが～いメーデー]]&lt;br /&gt;
憲政期がはじまると、〈なすび王の国〉では人口の多い赤なすびと青なすびが実権を握るようになり、緑なすび（王族）・紫なすび（貴族）たちは徐々に名誉的・儀礼的な役割のみを担うようになっていった。これは、法治主義の浸透によって実力主義の時代が到来し、それまで政治・社会の様々な場面で実務を担っていた赤なすび・青なすびの活躍の場が増えるようになっていったためである。実務の現場を知らない緑なすび・紫なすびは存在感を失っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすごん4世が没して幼少のなすごん5世が即位すると、赤なすび出身の宰相・なすじゅうろうが政治の全権を名実ともに掌握した。議会主導で〈第二憲法〉が制定されると、立憲君主制・議会政治・三権分立などの本格的な立憲政治が登場し（第二憲政）、〈なすび王の国〉は当時としては先進的な政治文化を備える立憲国家へと脱皮した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議会政治が整えられると、なすび族内では赤なすびらによる赤なす党と青なすびらによる青なす党が二大政党制を形成した（赤青二大政党制）。両党ともに各品種の社会階級を代表する階級政党であり、国内政治は資本家階級（赤なすび）対労働者階級（青なすび）という対立構造を軸にして行われるようになった。両党の勢力は拮抗していたため、総選挙の結果を通して交互に政権を担当しながら漸進的な社会改革を進めていった。この二大政党制では、両党は自勢力の利益を代表して鋭く対立しあったものの、政党政治の維持という点では一致していたために現行の政治体制を崩壊させるほどの政争（クーデターなど）には発展しなかった。その意味で赤青二大政党制は均衡のとれた安定的な政治体制であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この均衡が崩れたのは、なすごん6世の時代に起こった〈青なす党のなが～いメーデー〉によってである。これは当時の赤なす党を与党とするなすごろう政権が労働者階級の負担が増す税制改革を実施したことに対する青なすび労働者たちの反対デモがきっかけとなって起こった反政府運動である。政府がこの運動を武力行使によって鎮圧しようとしたことで事態は悪化し、国内は内乱状態に陥ったが、急転直下でこの状況に終止符を打ったのが〈王太子のクーデター〉であった。〈王太子のクーデター〉は、当時の王位継承順位第一位の緑なすびの王太子が首謀したもので、現国王なすごん6世と現政権の幹部らを一斉に拘束して現行の統治体制の解体を目指して起こされた。クーデターの結果、第二憲政とそれを支えた赤青二大政党制は停止され、新国王として即位した王太子改めなすごん7世が親政を執る形で新政権が組織された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新政権は制憲議会を通して〈第三憲法〉を制定し、国王親政・三権分立・民族平等の理念を柱とする〈第三憲政〉が開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!年&lt;br /&gt;
!月&lt;br /&gt;
!出来事&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|前11&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|&amp;lt;岩山の王国&amp;gt;、へた山脈以北を占領。&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;6&amp;quot;|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|&amp;lt;野菜国家の同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前7&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|第一次へた山脈戦争 (同年2月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前4&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|第二次へた山脈戦争 (前8年6月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|前1&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|第三次へた山脈戦争 (同年11月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび同盟&amp;gt;成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|1世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん同盟&amp;gt;結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすび半島戦争 (12年8月まで)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|2世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|なすごん王国、なすび半島を統一&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん3世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;|3世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|22&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ大公国&amp;gt;滅亡。&amp;lt;第一次列侯会議&amp;gt;が開かれる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|24&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二次列侯会議&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|25&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三次列侯会議&amp;gt;。&amp;lt;連邦帝国条約&amp;gt;が結ばれ、&amp;lt;連邦帝国&amp;gt;が成立する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;なすび王の国&amp;gt;建国&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|なすごん4世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;7&amp;quot;|4世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|30&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|青なす同盟(のちの青なす党)結成&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|31&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこんシティの暴動&amp;gt;、憲法制定運動はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|&amp;lt;大たまごの間の政変&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|36&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|赤なす党結成。内閣制度創設&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|行政権法制定、以降、段階的な王権の制限がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|38&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第一憲法&amp;gt;発布、憲政期はじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|40&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|なすごん5世即位、&amp;lt;安定の半世紀&amp;gt;はじまる&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|5世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|赤なす党のなすじゅうろうが総理大臣就任、初の平民宰相&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|41&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第二憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|42&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|議会政治はじまる。第一回総選挙にて、青なす党が比較第一党獲得&amp;lt;br/&amp;gt;青なす党のなすごんどうが総理大臣就任。赤青二大政党制成立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|90&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|なすごん6世即位&lt;br /&gt;
|6世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|95&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;、&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;、なすごん7世即位&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|7世&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|&amp;lt;第三憲法&amp;gt;発布&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==各種一覧==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代国王===&lt;br /&gt;
====なすごん王国時代====&lt;br /&gt;
[[File:nasubi_KingⅥ.jpg|thumb|250px|なすごん6世]]&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん1世&lt;br /&gt;
|1年5月&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|譲位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん2世&lt;br /&gt;
|6年2月&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|16年4月&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|なすび王の国建国のため&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====なすび王の国時代====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!国王&lt;br /&gt;
!即位年月&lt;br /&gt;
!退位年月&lt;br /&gt;
!退位理由&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|なすごん3世&lt;br /&gt;
|25年8月&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|なすごん4世&lt;br /&gt;
|25年12月&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|なすごん5世&lt;br /&gt;
|40年8月&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|崩御&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|なすごん6世&lt;br /&gt;
|90年7月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|廃位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|なすごん7世&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===歴代総理大臣===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;|nowrap|&lt;br /&gt;
|'''名前欄の色分け：'''&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:紫なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:赤なすび&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|　&lt;br /&gt;
|:青なすび&lt;br /&gt;
|色なし&lt;br /&gt;
|:その他のやさい&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!名前&lt;br /&gt;
!就任年月&lt;br /&gt;
!退任年月&lt;br /&gt;
!与党&lt;br /&gt;
!総選挙(回/年)&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすでぃん&lt;br /&gt;
|36年2月&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|要職を貴族が独占する超然内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|うぃるなす&lt;br /&gt;
|37年10月&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|紫なすび同士による権力闘争の激化&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なっすん&lt;br /&gt;
|38年10月&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|新国王・なすごん5世との対立の末、解任&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|4&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすじゅうろう&lt;br /&gt;
|40年10月&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|1/42&lt;br /&gt;
|初の平民宰相。議会創設に尽力するも、初の総選挙の結果を受け退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|5&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすごんどう&lt;br /&gt;
|42年1月&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|初の総選挙の結果発足、かつ初の青なす党政権。病気のため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|6&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|42年9月&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|2/46、3/50、4/54&lt;br /&gt;
|初の安定長期政権。リベラル派として諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|7&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|54年6月&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;ref&amp;gt;54年10月まで&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|議会内多数派工作により総選挙を経ず政権奪取を果たすも、だいこん党の連立離脱により数か月で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|8&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすとる&lt;br /&gt;
|54年11月&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&lt;br /&gt;
|5/58&lt;br /&gt;
|再登板。&amp;lt;中間党の乱&amp;gt;などにより政情が不安定化。総選挙に敗北し、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|ビッグなす&lt;br /&gt;
|58年2月&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&lt;br /&gt;
|6/60、7/63、8/65&lt;br /&gt;
|赤系野菜三党連合政権。高度成長はじまる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|10&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすぽーん&lt;br /&gt;
|67年4月&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|9/70&lt;br /&gt;
|&amp;lt;かっぱ王国革命&amp;gt;への対応の不手際が影響し、総選挙で敗北したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|11&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|70年1月&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|10/72、11/75&lt;br /&gt;
|軍備増強路線が国論を二分。内政重視を説いた青なす党に総選挙で敗れ退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|12&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすろう&lt;br /&gt;
|75年9月&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|青なす党&amp;lt;br/&amp;gt;だいこん党&amp;lt;br/&amp;gt;葉もの同盟&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|福祉を中心とする社会保障政策を重視。主に労働者階級からの支持に支えられるも、病気により退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|13&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なす・K&lt;br /&gt;
|79年12月&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|12/80&lt;br /&gt;
|財界からの支持を得た赤なす党が総選挙で勝利したため退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|アリナス&lt;br /&gt;
|80年7月&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;だいこん党事件&amp;gt;をきっかけとして、政界再編。赤なす党優位の体制が固定化する&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|14&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|きよなす&lt;br /&gt;
|81年10月&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|13/85&lt;br /&gt;
|赤なす党と青なす党の対立が先鋭化。総選挙の結果、&amp;lt;85年政局&amp;gt;がはじまる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#9199F2;&amp;quot;|なすりゅう&lt;br /&gt;
|85年1月&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|青なす党&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|少数与党政権。「見切り発車政権」という不名誉な渾名の通り、&amp;lt;br/&amp;gt;連立交渉を取りまとめられずわずか2ヶ月半で退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|でるなす&lt;br /&gt;
|85年4月&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|赤なす党&lt;br /&gt;
|14/85&lt;br /&gt;
|選挙管理内閣として成立。&amp;lt;br/&amp;gt;同年2度目の総選挙を施行するもハングパーラメントを解消できず、&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;の結果退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|17&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#C791F2;&amp;quot;|なすびんシニア&lt;br /&gt;
|85年12月&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|15/87&lt;br /&gt;
|&amp;lt;もろもろの妥協&amp;gt;によって成立した中立内閣。&amp;lt;br/&amp;gt;2年間の期限付きで政権を運営。87年総選挙でハングパーラメントが解消されたため、退陣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|18&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|エアロナスルン&lt;br /&gt;
|87年12月&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|赤なす党&amp;lt;br/&amp;gt;とまと党&amp;lt;br/&amp;gt;もろこし党&amp;lt;br/&amp;gt;にんじん党&amp;lt;br/&amp;gt;おいも党&lt;br /&gt;
|16/92&lt;br /&gt;
|赤なす党が非なすび系政党を糾合して巨大連立政権を形成。&amp;lt;br/&amp;gt;事実上の一党単独優位制が成立。数の力で諸改革を断行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;background-color:#F29191;&amp;quot;|なすごろう&lt;br /&gt;
|93年9月&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|&amp;lt;青なす党のなが～いメーデー&amp;gt;に端を発する&amp;lt;王太子のクーデター&amp;gt;により退陣。&amp;lt;br/&amp;gt;青赤二大政党制最後の内閣&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|20&lt;br /&gt;
|とまと大臣&lt;br /&gt;
|95年5月&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|やさい党&amp;lt;ref&amp;gt;とまと党・もろこし党・おいも党・にんじん党が中心となって、95年5月に結成した非なすび系民族による連合政党。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|－&lt;br /&gt;
|なすごん7世によって組閣された内閣。初の非なすび系民族の総理大臣となった&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場する作品==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとなすび王の国】]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界各地を旅するとんちきとろんが訪れた国として登場する。作中では〈青なす党のなが～いクーデター〉から〈王太子のクーデター〉までの出来事が描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=210</id>
		<title>【とんちき坊やとなすび王の国】</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=210"/>
		<updated>2022-02-23T15:00:00Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* あらすじ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:nasubi_title.jpg|thumb|right|300px|タイトル]]&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとなすび王の国】は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]の作品の一つ。制作年は2021年～2022年で、実質的なシリーズ第1作目にあたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとなすび王の国】は、シリーズで最初に制作された絵本形式の作品である。第１作目にあたる作品であるため、シリーズ全体の世界観を明示することに重きを置いた構成となっており、[[なすび王の国]]へやってきたとんちきとろんの物語が、絵画と平易な文章によって描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本作では、シリーズの基本となる物語展開のフォーマットが示されている。すなわち、「とんちきとろんが旅先に着く」→「現地で歴史的出来事に遭遇」→「その顛末をとんちきとろんが見届ける」という流れである。その上で、国家規模の歴史的大事件と、とんちきとろんのような愉快なキャラクターたちを同時に存在させながら物語として表現することが最大の狙いとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あらすじ==&lt;br /&gt;
[[file:nasubi.jpg|thumb|200px|なすび]]&lt;br /&gt;
今回とんちきとろんがやってきたのは&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;。なすび族が支配する野菜系の民族の国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この国では今、青なすびと赤なすびが激しく対立していた。資本家階級の赤なすびと労働者階級の青なすびが互いに階級政党を建て、国家運営の主導権を巡る争いを続けているのである。とんちきとろんがやってきた時期にも、赤なすび政府の税制改革に反対する青なすびの反政府デモが首都で繰り広げられていた。両者の対立はついには武力衝突へと発展し、国内は混乱状態に陥る。赤なすび政府が非常事態宣言を発令し、青なすびのデモ隊に対して実力行使による排除に打って出たためだ。政府の強硬姿勢は反政府派のより強硬な反発を呼び込み、事態の収拾は困難な状態に陥ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この混乱状態を終わらせるべく、緑なすびの王太子はなすび族以外の野菜系民族と共謀してクーデターを決行する。父である現国王と、国民に銃を向ける決断を下した赤なすび政権の幹部らを一斉に拘束し、現行憲法の停止・暫定政府の設置・王太子の国王即位などが実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クーデターの結果、事実上の内乱状態に陥っていた国内の騒動は鎮静化され、つかの間の平和が訪れた。一連の顛末を眺めていたとんちきとろんは、胸中にさまざまな複雑な想いを抱きつつ、次なる旅の目的地へ向かって出発するのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==なすび王の国==&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|なすび半島の地図(なす暦5年ごろ)。]]&lt;br /&gt;
詳細は[[なすび王の国]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈列島〉南部に位置する立憲君主制国家。前身である&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;の初代国王なすごん一世が王政を施行して以来、段階的な拡大を経てなすび族がその他の野菜系民族を支配してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすび族は品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、各品種はそれぞれ王族・貴族・資本家・労働者という各社会階級に分けられている。この内、緑・紫両なすびは中立を守っているが、赤なすびと青なすびは直接的な利害関係を持っていることもあってお互いが強い敵対感情を抱いて対立している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした事情を反映して、政治は王族の緑なすびと貴族の紫なすびは儀礼的な役割しか与えられておらず、赤なすびらが建てた赤なす党と、青なすびらが建てた青なす党がそれぞれ二大階級政党として交互に政権を担う体制が確立した。この体制を、とまと族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの主要な少数民族が支える構造が定着している。（作中では、なすびんキッドがこのなすび族の対立関係について「ほかのやさいたちはかなしいきもちでみている」と説明している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主要産業は農業と観光業である。野菜系の民族であることから農耕に関する技術力は極めて高く、農産物の輸出によって高い経済力を維持している。また、国内では農耕文化に関連して大地にまつわる土着信仰が根強く残っており、信仰の場としての古寺社が多く点在している。これらの寺社は観光地として他国民から人気で、観光業の隆盛の理由となっている。こうした事情が国外からの資本・資金の流入の活性化を促すため、経済水準は〈列島〉各国と比べても上位の水準に位置することができている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場人物==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery mode=traditional&amp;gt;&lt;br /&gt;
file:nasubi_tonmanu.jpg|とんちきとろん&lt;br /&gt;
file:nasubi_nasubin kid.jpg|なすびんキッド&lt;br /&gt;
file:nasubi_kantigai aonasu.jpg|勘違いした青なす&lt;br /&gt;
file:nasubi_tomato.jpg|トマト大臣&lt;br /&gt;
file:nasubi_KingⅥ.jpg|国王&lt;br /&gt;
file:nasubi_PM.jpg|総理大臣&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[とんちき坊や]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[まぬけのろん]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''なすびんキッド'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;紫なすびの男の子。デモ遭遇直後のとんちきとろんに出会い、すぐに打ち解けて一緒にボール遊びをした。とんちきとろんになすび王の国の歴史を説明するという重要な役割を担った。この説明の際に放った「みんな仲良くすればいいのに」という言葉はとんちきの心の中に強く残ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細かな出自は不明だが、身なりから察するにいわゆるいいとこのお坊ちゃんであるようだ。年齢はとんちきより少し年上。名物のなすぱんが大好物で、とんちきとはその話で盛り上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''とんちきに声をかけた青なす'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;本名不詳。とんちきをへたのとれた青なすと勘違いし、とんちきとろんを青なすのデモ行進へと連れて行った。のちにとんちきが青なすでないことがわかると、「まぎらわしいなあ」と困惑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作中では明かされないが、家具を組み立てる工場の作業員として働いている。反政府デモにはそこまで乗り気ではないが、赤なす政権への不満は常日頃抱いていたためデモには参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''総理大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の総理大臣。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。赤なす党の実力者ではあるが、党内の微妙な勢力図の中で中々存在感が発揮できていない。青なすびによる反政府デモへの対応を協議した結果、非常事態宣言の発令とデモ鎮圧のための軍隊動員の方針を決定した。本人は穏健派であったが、最終的には強硬派である国防大臣に押し切られる形でその方針に同意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちに王太子のクーデターで国王が拘束された現場に居合わせており、自らも憲兵に拘束されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''国防大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の国防大臣。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。赤なす党タカ派の代表的な代議士であり、現内閣においても強い影響力を誇っている。青なすびによる反政府デモへの強硬な対応を躊躇する総理大臣に対して、自身の大臣辞任もちらつかせながら武力鎮圧を迫り、結果的に強硬的な方針を押し通した。水面下では、この非常事態宣言の混乱に乗じて現総理大臣を退陣に追い込み自身の政権掌握を狙っていたようだが、最終的には総理大臣同様王太子のクーデターによって失脚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''官房長官'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の官房長官。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。丸メガネが特徴的。赤なす党中立派を代表する実力者で、タカ派とハト派の仲立ちを通して現政権をコントロールしていた老獪な政治家。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青なすびによる反政府デモを巡る話し合いでは調整役に徹していたが、最終的には総理大臣の決断に従い強硬策の実行を支持した。作中では、その後非常事態宣言の発令と軍隊の動員方針を記者会見で発表していた。また、物語では描かれていないが、官房長官はのちの王太子のクーデターにおいてなすび族出身の閣僚の中で唯一拘束されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''緑なすびの王太子'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の王太子（王位継承順位第一位被指名者）。聡明な頭脳と甘いマスクで国民の根強い支持を獲得している実力者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元より赤・青両なすびの対立関係に不満を持っていたことに加え、野心が強く注目を浴びることを好む性格だったために現政権転覆のクーデターを計画した。赤トマトの外務大臣をはじめとする反赤・青両なすび派を水面下で統率し、結果として、クーデターによって父でもある現国王を追放し、赤なす政権を打倒して自らを国王とする新政権の樹立に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やや自分の能力を過信するフシがあるが、生まれ持ってのカリスマ性で周囲のものを惹きつけ行動するリーダーシップを持ち合わせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''赤トマトの外務大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび族が大半を占める政府幹部の中で数少ないなすび族以外の出自を持つ大臣。自らの実力のみで権力の階段を昇ってきた苦労人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作中では緑なすびの王太子とともにクーデターを共謀し、国王・総理大臣の拘束の場にも居合わせていた。現職閣僚ながら、内心では赤なすびによる政権運営には辟易としており、それが今回の王太子のクーデター関与への伏線となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''緑なすびの国王'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の国王。王としての名はなすごん6世。王太子は長男。作中ではなすびんキッドによる説明のイメージ内と、王太子のクーデターで拘束される際に登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立憲君主制の王として政治の実権は一切持っておらず、儀礼的な役割しか与えられていない。先代国王や実子の王太子と比べると国民の人気はあまり高くはなく、本人はそれを気にしている。現体制の維持が最大の目的であるため、保守主義を掲げる赤なす党とは相性がいいようだ。ただ、そのことが王太子のクーデターにおいて赤なす党政権もろとも追放されてしまう遠因ともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''青なすデモ隊のリーダー'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;青なすらによるデモ隊の首班。無精ひげが特徴的。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とんちきとろんが様子を見に来た青なすらの決起集会にて「青なす労働者救済」を訴える大演説を張っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==作中で起こった出来事==&lt;br /&gt;
出来事についての詳細は[[五月政変(なすび王の国)]]を参照。&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_17.jpg|thumb|300px|演説する王太子=新国王・なすごん7世]]&lt;br /&gt;
===青なす党のなが～いメーデー===&lt;br /&gt;
なす暦95年5月1日から同月28日まで続いた青なす党が主導した反政府運動の通称。メーデー集会に端を発してはじまり、王太子のクーデターを機に鎮静化するまでの約1ヶ月もの間続いたことから「なが～い」と冠されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この反政府運動は、同年4月に施行された赤なす党政権による税制改革への反対デモが拡大した結果発生した。最終的には現政権の退陣を迫るデモへと発展した運動は、政府による非常事態宣言発令と軍隊動員を招き、赤・青両なすびが武力衝突に至る契機となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王太子のクーデター===&lt;br /&gt;
なす暦95年5月27日に発生したクーデター。緑なすびの王太子が主導して決行された。王宮警備隊を動員した不意打ちの実力行使によって、国王や総理大臣以下多数の政権幹部を拘束した。この結果、現政権は崩壊して王太子を首班とする臨時政府が設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一憲政の終焉===&lt;br /&gt;
王太子のクーデターの翌日、なす暦95年5月28日、王太子は王宮のバルコニーから市民に向かって演説し、現体制の崩壊と自身の新国王即位を宣言した。そして、新国王としての最初の勅令によって現行憲法の停止と新憲法制定議会の設置を命じ、自ら親政を執ることを国内外に示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==発表==&lt;br /&gt;
絵本版【とんちき坊やとなすび王の国】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
TAGBOAT ART FAIR 2022　展示&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=209</id>
		<title>【とんちき坊やとなすび王の国】</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=209"/>
		<updated>2022-02-23T14:59:49Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* あらすじ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:nasubi_title.jpg|thumb|right|300px|タイトル]]&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとなすび王の国】は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]の作品の一つ。制作年は2021年～2022年で、実質的なシリーズ第1作目にあたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとなすび王の国】は、シリーズで最初に制作された絵本形式の作品である。第１作目にあたる作品であるため、シリーズ全体の世界観を明示することに重きを置いた構成となっており、[[なすび王の国]]へやってきたとんちきとろんの物語が、絵画と平易な文章によって描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本作では、シリーズの基本となる物語展開のフォーマットが示されている。すなわち、「とんちきとろんが旅先に着く」→「現地で歴史的出来事に遭遇」→「その顛末をとんちきとろんが見届ける」という流れである。その上で、国家規模の歴史的大事件と、とんちきとろんのような愉快なキャラクターたちを同時に存在させながら物語として表現することが最大の狙いとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あらすじ==&lt;br /&gt;
[[file:nasubi.jpg|thumb|250px|なすび]]&lt;br /&gt;
今回とんちきとろんがやってきたのは&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;。なすび族が支配する野菜系の民族の国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この国では今、青なすびと赤なすびが激しく対立していた。資本家階級の赤なすびと労働者階級の青なすびが互いに階級政党を建て、国家運営の主導権を巡る争いを続けているのである。とんちきとろんがやってきた時期にも、赤なすび政府の税制改革に反対する青なすびの反政府デモが首都で繰り広げられていた。両者の対立はついには武力衝突へと発展し、国内は混乱状態に陥る。赤なすび政府が非常事態宣言を発令し、青なすびのデモ隊に対して実力行使による排除に打って出たためだ。政府の強硬姿勢は反政府派のより強硬な反発を呼び込み、事態の収拾は困難な状態に陥ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この混乱状態を終わらせるべく、緑なすびの王太子はなすび族以外の野菜系民族と共謀してクーデターを決行する。父である現国王と、国民に銃を向ける決断を下した赤なすび政権の幹部らを一斉に拘束し、現行憲法の停止・暫定政府の設置・王太子の国王即位などが実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クーデターの結果、事実上の内乱状態に陥っていた国内の騒動は鎮静化され、つかの間の平和が訪れた。一連の顛末を眺めていたとんちきとろんは、胸中にさまざまな複雑な想いを抱きつつ、次なる旅の目的地へ向かって出発するのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==なすび王の国==&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|なすび半島の地図(なす暦5年ごろ)。]]&lt;br /&gt;
詳細は[[なすび王の国]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈列島〉南部に位置する立憲君主制国家。前身である&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;の初代国王なすごん一世が王政を施行して以来、段階的な拡大を経てなすび族がその他の野菜系民族を支配してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすび族は品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、各品種はそれぞれ王族・貴族・資本家・労働者という各社会階級に分けられている。この内、緑・紫両なすびは中立を守っているが、赤なすびと青なすびは直接的な利害関係を持っていることもあってお互いが強い敵対感情を抱いて対立している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした事情を反映して、政治は王族の緑なすびと貴族の紫なすびは儀礼的な役割しか与えられておらず、赤なすびらが建てた赤なす党と、青なすびらが建てた青なす党がそれぞれ二大階級政党として交互に政権を担う体制が確立した。この体制を、とまと族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの主要な少数民族が支える構造が定着している。（作中では、なすびんキッドがこのなすび族の対立関係について「ほかのやさいたちはかなしいきもちでみている」と説明している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主要産業は農業と観光業である。野菜系の民族であることから農耕に関する技術力は極めて高く、農産物の輸出によって高い経済力を維持している。また、国内では農耕文化に関連して大地にまつわる土着信仰が根強く残っており、信仰の場としての古寺社が多く点在している。これらの寺社は観光地として他国民から人気で、観光業の隆盛の理由となっている。こうした事情が国外からの資本・資金の流入の活性化を促すため、経済水準は〈列島〉各国と比べても上位の水準に位置することができている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場人物==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery mode=traditional&amp;gt;&lt;br /&gt;
file:nasubi_tonmanu.jpg|とんちきとろん&lt;br /&gt;
file:nasubi_nasubin kid.jpg|なすびんキッド&lt;br /&gt;
file:nasubi_kantigai aonasu.jpg|勘違いした青なす&lt;br /&gt;
file:nasubi_tomato.jpg|トマト大臣&lt;br /&gt;
file:nasubi_KingⅥ.jpg|国王&lt;br /&gt;
file:nasubi_PM.jpg|総理大臣&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[とんちき坊や]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[まぬけのろん]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''なすびんキッド'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;紫なすびの男の子。デモ遭遇直後のとんちきとろんに出会い、すぐに打ち解けて一緒にボール遊びをした。とんちきとろんになすび王の国の歴史を説明するという重要な役割を担った。この説明の際に放った「みんな仲良くすればいいのに」という言葉はとんちきの心の中に強く残ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細かな出自は不明だが、身なりから察するにいわゆるいいとこのお坊ちゃんであるようだ。年齢はとんちきより少し年上。名物のなすぱんが大好物で、とんちきとはその話で盛り上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''とんちきに声をかけた青なす'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;本名不詳。とんちきをへたのとれた青なすと勘違いし、とんちきとろんを青なすのデモ行進へと連れて行った。のちにとんちきが青なすでないことがわかると、「まぎらわしいなあ」と困惑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作中では明かされないが、家具を組み立てる工場の作業員として働いている。反政府デモにはそこまで乗り気ではないが、赤なす政権への不満は常日頃抱いていたためデモには参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''総理大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の総理大臣。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。赤なす党の実力者ではあるが、党内の微妙な勢力図の中で中々存在感が発揮できていない。青なすびによる反政府デモへの対応を協議した結果、非常事態宣言の発令とデモ鎮圧のための軍隊動員の方針を決定した。本人は穏健派であったが、最終的には強硬派である国防大臣に押し切られる形でその方針に同意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちに王太子のクーデターで国王が拘束された現場に居合わせており、自らも憲兵に拘束されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''国防大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の国防大臣。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。赤なす党タカ派の代表的な代議士であり、現内閣においても強い影響力を誇っている。青なすびによる反政府デモへの強硬な対応を躊躇する総理大臣に対して、自身の大臣辞任もちらつかせながら武力鎮圧を迫り、結果的に強硬的な方針を押し通した。水面下では、この非常事態宣言の混乱に乗じて現総理大臣を退陣に追い込み自身の政権掌握を狙っていたようだが、最終的には総理大臣同様王太子のクーデターによって失脚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''官房長官'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の官房長官。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。丸メガネが特徴的。赤なす党中立派を代表する実力者で、タカ派とハト派の仲立ちを通して現政権をコントロールしていた老獪な政治家。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青なすびによる反政府デモを巡る話し合いでは調整役に徹していたが、最終的には総理大臣の決断に従い強硬策の実行を支持した。作中では、その後非常事態宣言の発令と軍隊の動員方針を記者会見で発表していた。また、物語では描かれていないが、官房長官はのちの王太子のクーデターにおいてなすび族出身の閣僚の中で唯一拘束されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''緑なすびの王太子'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の王太子（王位継承順位第一位被指名者）。聡明な頭脳と甘いマスクで国民の根強い支持を獲得している実力者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元より赤・青両なすびの対立関係に不満を持っていたことに加え、野心が強く注目を浴びることを好む性格だったために現政権転覆のクーデターを計画した。赤トマトの外務大臣をはじめとする反赤・青両なすび派を水面下で統率し、結果として、クーデターによって父でもある現国王を追放し、赤なす政権を打倒して自らを国王とする新政権の樹立に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やや自分の能力を過信するフシがあるが、生まれ持ってのカリスマ性で周囲のものを惹きつけ行動するリーダーシップを持ち合わせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''赤トマトの外務大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび族が大半を占める政府幹部の中で数少ないなすび族以外の出自を持つ大臣。自らの実力のみで権力の階段を昇ってきた苦労人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作中では緑なすびの王太子とともにクーデターを共謀し、国王・総理大臣の拘束の場にも居合わせていた。現職閣僚ながら、内心では赤なすびによる政権運営には辟易としており、それが今回の王太子のクーデター関与への伏線となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''緑なすびの国王'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の国王。王としての名はなすごん6世。王太子は長男。作中ではなすびんキッドによる説明のイメージ内と、王太子のクーデターで拘束される際に登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立憲君主制の王として政治の実権は一切持っておらず、儀礼的な役割しか与えられていない。先代国王や実子の王太子と比べると国民の人気はあまり高くはなく、本人はそれを気にしている。現体制の維持が最大の目的であるため、保守主義を掲げる赤なす党とは相性がいいようだ。ただ、そのことが王太子のクーデターにおいて赤なす党政権もろとも追放されてしまう遠因ともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''青なすデモ隊のリーダー'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;青なすらによるデモ隊の首班。無精ひげが特徴的。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とんちきとろんが様子を見に来た青なすらの決起集会にて「青なす労働者救済」を訴える大演説を張っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==作中で起こった出来事==&lt;br /&gt;
出来事についての詳細は[[五月政変(なすび王の国)]]を参照。&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_17.jpg|thumb|300px|演説する王太子=新国王・なすごん7世]]&lt;br /&gt;
===青なす党のなが～いメーデー===&lt;br /&gt;
なす暦95年5月1日から同月28日まで続いた青なす党が主導した反政府運動の通称。メーデー集会に端を発してはじまり、王太子のクーデターを機に鎮静化するまでの約1ヶ月もの間続いたことから「なが～い」と冠されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この反政府運動は、同年4月に施行された赤なす党政権による税制改革への反対デモが拡大した結果発生した。最終的には現政権の退陣を迫るデモへと発展した運動は、政府による非常事態宣言発令と軍隊動員を招き、赤・青両なすびが武力衝突に至る契機となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王太子のクーデター===&lt;br /&gt;
なす暦95年5月27日に発生したクーデター。緑なすびの王太子が主導して決行された。王宮警備隊を動員した不意打ちの実力行使によって、国王や総理大臣以下多数の政権幹部を拘束した。この結果、現政権は崩壊して王太子を首班とする臨時政府が設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一憲政の終焉===&lt;br /&gt;
王太子のクーデターの翌日、なす暦95年5月28日、王太子は王宮のバルコニーから市民に向かって演説し、現体制の崩壊と自身の新国王即位を宣言した。そして、新国王としての最初の勅令によって現行憲法の停止と新憲法制定議会の設置を命じ、自ら親政を執ることを国内外に示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==発表==&lt;br /&gt;
絵本版【とんちき坊やとなすび王の国】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
TAGBOAT ART FAIR 2022　展示&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nasubi.jpg&amp;diff=208</id>
		<title>ファイル:Nasubi.jpg</title>
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		<updated>2022-02-23T14:59:19Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=207</id>
		<title>【とんちき坊やとなすび王の国】</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%80%90%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8D%E5%9D%8A%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%91&amp;diff=207"/>
		<updated>2022-02-23T14:58:15Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: /* 作中で起こった出来事 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:nasubi_title.jpg|thumb|right|300px|タイトル]]&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとなすび王の国】は、太田剛気の絵物語作品[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]の作品の一つ。制作年は2021年～2022年で、実質的なシリーズ第1作目にあたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【とんちき坊やとなすび王の国】は、シリーズで最初に制作された絵本形式の作品である。第１作目にあたる作品であるため、シリーズ全体の世界観を明示することに重きを置いた構成となっており、[[なすび王の国]]へやってきたとんちきとろんの物語が、絵画と平易な文章によって描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本作では、シリーズの基本となる物語展開のフォーマットが示されている。すなわち、「とんちきとろんが旅先に着く」→「現地で歴史的出来事に遭遇」→「その顛末をとんちきとろんが見届ける」という流れである。その上で、国家規模の歴史的大事件と、とんちきとろんのような愉快なキャラクターたちを同時に存在させながら物語として表現することが最大の狙いとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あらすじ==&lt;br /&gt;
今回とんちきとろんがやってきたのは&amp;lt;[[なすび王の国]]&amp;gt;。なすび族が支配する野菜系の民族の国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この国では今、青なすびと赤なすびが激しく対立していた。資本家階級の赤なすびと労働者階級の青なすびが互いに階級政党を建て、国家運営の主導権を巡る争いを続けているのである。とんちきとろんがやってきた時期にも、赤なすび政府の税制改革に反対する青なすびの反政府デモが首都で繰り広げられていた。両者の対立はついには武力衝突へと発展し、国内は混乱状態に陥る。赤なすび政府が非常事態宣言を発令し、青なすびのデモ隊に対して実力行使による排除に打って出たためだ。政府の強硬姿勢は反政府派のより強硬な反発を呼び込み、事態の収拾は困難な状態に陥ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この混乱状態を終わらせるべく、緑なすびの王太子はなすび族以外の野菜系民族と共謀してクーデターを決行する。父である現国王と、国民に銃を向ける決断を下した赤なすび政権の幹部らを一斉に拘束し、現行憲法の停止・暫定政府の設置・王太子の国王即位などが実行に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クーデターの結果、事実上の内乱状態に陥っていた国内の騒動は鎮静化され、つかの間の平和が訪れた。一連の顛末を眺めていたとんちきとろんは、胸中にさまざまな複雑な想いを抱きつつ、次なる旅の目的地へ向かって出発するのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==なすび王の国==&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_map.jpeg|thumb|300px|なすび半島の地図(なす暦5年ごろ)。]]&lt;br /&gt;
詳細は[[なすび王の国]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈なすび王の国〉は、〈列島〉南部に位置する立憲君主制国家。前身である&amp;lt;なすごん王国&amp;gt;の初代国王なすごん一世が王政を施行して以来、段階的な拡大を経てなすび族がその他の野菜系民族を支配してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なすび族は品種によって緑なすび・紫なすび・赤なすび・青なすびに分かれており、各品種はそれぞれ王族・貴族・資本家・労働者という各社会階級に分けられている。この内、緑・紫両なすびは中立を守っているが、赤なすびと青なすびは直接的な利害関係を持っていることもあってお互いが強い敵対感情を抱いて対立している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした事情を反映して、政治は王族の緑なすびと貴族の紫なすびは儀礼的な役割しか与えられておらず、赤なすびらが建てた赤なす党と、青なすびらが建てた青なす党がそれぞれ二大階級政党として交互に政権を担う体制が確立した。この体制を、とまと族・もろこし族・にんじん族・じゃがいも族などの主要な少数民族が支える構造が定着している。（作中では、なすびんキッドがこのなすび族の対立関係について「ほかのやさいたちはかなしいきもちでみている」と説明している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主要産業は農業と観光業である。野菜系の民族であることから農耕に関する技術力は極めて高く、農産物の輸出によって高い経済力を維持している。また、国内では農耕文化に関連して大地にまつわる土着信仰が根強く残っており、信仰の場としての古寺社が多く点在している。これらの寺社は観光地として他国民から人気で、観光業の隆盛の理由となっている。こうした事情が国外からの資本・資金の流入の活性化を促すため、経済水準は〈列島〉各国と比べても上位の水準に位置することができている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==登場人物==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery mode=traditional&amp;gt;&lt;br /&gt;
file:nasubi_tonmanu.jpg|とんちきとろん&lt;br /&gt;
file:nasubi_nasubin kid.jpg|なすびんキッド&lt;br /&gt;
file:nasubi_kantigai aonasu.jpg|勘違いした青なす&lt;br /&gt;
file:nasubi_tomato.jpg|トマト大臣&lt;br /&gt;
file:nasubi_KingⅥ.jpg|国王&lt;br /&gt;
file:nasubi_PM.jpg|総理大臣&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[とんちき坊や]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[まぬけのろん]]'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;個別記事を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''なすびんキッド'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;紫なすびの男の子。デモ遭遇直後のとんちきとろんに出会い、すぐに打ち解けて一緒にボール遊びをした。とんちきとろんになすび王の国の歴史を説明するという重要な役割を担った。この説明の際に放った「みんな仲良くすればいいのに」という言葉はとんちきの心の中に強く残ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細かな出自は不明だが、身なりから察するにいわゆるいいとこのお坊ちゃんであるようだ。年齢はとんちきより少し年上。名物のなすぱんが大好物で、とんちきとはその話で盛り上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''とんちきに声をかけた青なす'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;本名不詳。とんちきをへたのとれた青なすと勘違いし、とんちきとろんを青なすのデモ行進へと連れて行った。のちにとんちきが青なすでないことがわかると、「まぎらわしいなあ」と困惑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作中では明かされないが、家具を組み立てる工場の作業員として働いている。反政府デモにはそこまで乗り気ではないが、赤なす政権への不満は常日頃抱いていたためデモには参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''総理大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の総理大臣。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。赤なす党の実力者ではあるが、党内の微妙な勢力図の中で中々存在感が発揮できていない。青なすびによる反政府デモへの対応を協議した結果、非常事態宣言の発令とデモ鎮圧のための軍隊動員の方針を決定した。本人は穏健派であったが、最終的には強硬派である国防大臣に押し切られる形でその方針に同意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちに王太子のクーデターで国王が拘束された現場に居合わせており、自らも憲兵に拘束されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''国防大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の国防大臣。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。赤なす党タカ派の代表的な代議士であり、現内閣においても強い影響力を誇っている。青なすびによる反政府デモへの強硬な対応を躊躇する総理大臣に対して、自身の大臣辞任もちらつかせながら武力鎮圧を迫り、結果的に強硬的な方針を押し通した。水面下では、この非常事態宣言の混乱に乗じて現総理大臣を退陣に追い込み自身の政権掌握を狙っていたようだが、最終的には総理大臣同様王太子のクーデターによって失脚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''官房長官'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の官房長官。とんちきとろんが訪れた総理官邸で会談をしていたえらい人たちのうちの一人。丸メガネが特徴的。赤なす党中立派を代表する実力者で、タカ派とハト派の仲立ちを通して現政権をコントロールしていた老獪な政治家。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青なすびによる反政府デモを巡る話し合いでは調整役に徹していたが、最終的には総理大臣の決断に従い強硬策の実行を支持した。作中では、その後非常事態宣言の発令と軍隊の動員方針を記者会見で発表していた。また、物語では描かれていないが、官房長官はのちの王太子のクーデターにおいてなすび族出身の閣僚の中で唯一拘束されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''緑なすびの王太子'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の王太子（王位継承順位第一位被指名者）。聡明な頭脳と甘いマスクで国民の根強い支持を獲得している実力者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元より赤・青両なすびの対立関係に不満を持っていたことに加え、野心が強く注目を浴びることを好む性格だったために現政権転覆のクーデターを計画した。赤トマトの外務大臣をはじめとする反赤・青両なすび派を水面下で統率し、結果として、クーデターによって父でもある現国王を追放し、赤なす政権を打倒して自らを国王とする新政権の樹立に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やや自分の能力を過信するフシがあるが、生まれ持ってのカリスマ性で周囲のものを惹きつけ行動するリーダーシップを持ち合わせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''赤トマトの外務大臣'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび族が大半を占める政府幹部の中で数少ないなすび族以外の出自を持つ大臣。自らの実力のみで権力の階段を昇ってきた苦労人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作中では緑なすびの王太子とともにクーデターを共謀し、国王・総理大臣の拘束の場にも居合わせていた。現職閣僚ながら、内心では赤なすびによる政権運営には辟易としており、それが今回の王太子のクーデター関与への伏線となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''緑なすびの国王'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;なすび王の国の国王。王としての名はなすごん6世。王太子は長男。作中ではなすびんキッドによる説明のイメージ内と、王太子のクーデターで拘束される際に登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立憲君主制の王として政治の実権は一切持っておらず、儀礼的な役割しか与えられていない。先代国王や実子の王太子と比べると国民の人気はあまり高くはなく、本人はそれを気にしている。現体制の維持が最大の目的であるため、保守主義を掲げる赤なす党とは相性がいいようだ。ただ、そのことが王太子のクーデターにおいて赤なす党政権もろとも追放されてしまう遠因ともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''青なすデモ隊のリーダー'''&lt;br /&gt;
&amp;lt;br/&amp;gt;青なすらによるデモ隊の首班。無精ひげが特徴的。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とんちきとろんが様子を見に来た青なすらの決起集会にて「青なす労働者救済」を訴える大演説を張っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==作中で起こった出来事==&lt;br /&gt;
出来事についての詳細は[[五月政変(なすび王の国)]]を参照。&lt;br /&gt;
[[file:nasubi_17.jpg|thumb|300px|演説する王太子=新国王・なすごん7世]]&lt;br /&gt;
===青なす党のなが～いメーデー===&lt;br /&gt;
なす暦95年5月1日から同月28日まで続いた青なす党が主導した反政府運動の通称。メーデー集会に端を発してはじまり、王太子のクーデターを機に鎮静化するまでの約1ヶ月もの間続いたことから「なが～い」と冠されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この反政府運動は、同年4月に施行された赤なす党政権による税制改革への反対デモが拡大した結果発生した。最終的には現政権の退陣を迫るデモへと発展した運動は、政府による非常事態宣言発令と軍隊動員を招き、赤・青両なすびが武力衝突に至る契機となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===王太子のクーデター===&lt;br /&gt;
なす暦95年5月27日に発生したクーデター。緑なすびの王太子が主導して決行された。王宮警備隊を動員した不意打ちの実力行使によって、国王や総理大臣以下多数の政権幹部を拘束した。この結果、現政権は崩壊して王太子を首班とする臨時政府が設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一憲政の終焉===&lt;br /&gt;
王太子のクーデターの翌日、なす暦95年5月28日、王太子は王宮のバルコニーから市民に向かって演説し、現体制の崩壊と自身の新国王即位を宣言した。そして、新国王としての最初の勅令によって現行憲法の停止と新憲法制定議会の設置を命じ、自ら親政を執ることを国内外に示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==発表==&lt;br /&gt;
絵本版【とんちき坊やとなすび王の国】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
TAGBOAT ART FAIR 2022　展示&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
[[【とんちき坊やとまぬけのろんシリーズ】]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://tonmanu.jp/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nasubi_17.jpg&amp;diff=206</id>
		<title>ファイル:Nasubi 17.jpg</title>
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		<updated>2022-02-23T14:56:58Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;太田剛気: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>太田剛気</name></author>
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