「〈なすび王の国〉の政治」の版間の差分

 
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==主権==
==主権==
<なすび王の国>の主権は<連邦帝国>皇帝に属している。制度上は、<なすび王の国>は同国の国王が<連邦帝国>皇帝の主権を<なすび半島>の地域でのみ代行しているという形式を採っている<ref>この代行権を委譲する手続きが、<連邦帝国>における冊封である。</ref>。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、<連邦帝国>域内(および連邦の加盟国同士)のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。<連邦帝国>加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない。
<なすび王の国>の主権は<連邦帝国>皇帝に属している。制度上は、<なすび王の国>は同国の国王が<連邦帝国>皇帝の主権を<なすび半島>の地域でのみ代行しているという形式を採っている<ref>この代行権を委譲する手続きが、<連邦帝国>における冊封である。</ref>。冊封を受けたものが行使できる代行権は、封じられた領域内のみにおける①民生に対しての行政、②徴税、③社会基盤整備、④治安維持と、<連邦帝国>域内(および連邦の加盟国同士)のみにおける①外交、②通商、③儀礼的社交、およびそれらを維持するための財政管理全般に限られる。<連邦帝国>加盟国以外の外国との外交や通貨・度量衡・郵便およびいかなる対外的軍事行動を発動することは認められていない<ref>各加盟国に認められる軍備は、治安維持に必要なものに限られている。ただし、<連邦帝国条約>では「自営に必要な最低限度の軍事行動」は認められると定められており、またこれを達成するための「必要最低限の」対外用の軍備の保有は認められるとされている。そのため、この制度を恣意的に利用して軍事行動を起こす事件が<連邦帝国>ではたびたび発生している。</ref>。


このことから、<なすび王の国>の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は<連邦帝国>を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から<連邦帝国>の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、<連邦帝国>中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。
このことから、<なすび王の国>の国王は君主であるが主権者ではなく、法律上は<連邦帝国>を構成する各地域の地方自治担当長官の一人に過ぎないと位置づけることができる。ただし、歴史的経緯から<連邦帝国>の加盟国の自治権は独立国家と比べても遜色がないほどに強大であり、<連邦帝国>中央政府でさえも加盟国の内政には軽々に介入することができないため、実質的には主権代行者は冊封を受けた当該国における実質的な主権者と言って差し支えない。
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<なすび王の国>は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】(以下、【なすび王の国】)冒頭時点における<なすび王の国>の現行憲法は<第二憲法>である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した<王太子のクーデター>の結果成立した新政権の下で、<第三憲法>が制定されている。
<なすび王の国>は立憲君主制を採用しており、【とんちき坊やとなすび王の国】(以下、【なすび王の国】)冒頭時点における<なすび王の国>の現行憲法は<第二憲法>である。また、【なすび王の国】の終盤で発生した<王太子のクーデター>の結果成立した新政権の下で、<第三憲法>が制定されている。


<なすび王の国>で施行されたすべての憲法(<第一憲法>から<第三憲法>まで)に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。
<第一憲法>は、近代的憲法というよりも王権の制限に焦点をあてた法であったことから、のちの〈第二憲法〉以降の憲法とは性質が異なる。国家統治の原則を定めるという近代的憲法という意味での最初の憲法は<第二憲法>である。<第二憲法>以降の憲法に共通する特徴は以下の様にまとめることができる。


・王権の規定
・王権の規定
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議院内閣制は、立法府が行政府の長(総理大臣・首相)を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。
議院内閣制は、立法府が行政府の長(総理大臣・首相)を選出し、行政府の長が立法府に対して責任を負うという「議会主義・責任内閣制」について定義している。この原則では、立法府の設置・議員の選挙・議会の招集・総理大臣の選出・行政府と立法府の関係性について厳格に規定されており、先述の王権の規定・法治主義と合わせて権力の独占的な行使を防ぐための原則が示されている。


民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する<なすび王の国>の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの<連邦帝国>加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が多民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。
民族平等は、多様な野菜系民族の国民を擁する<なすび王の国>の事情を反映した原則であり、民族的な出自の違いによって社会的な待遇を差別することを禁じている。このような民族的差別を禁止する原則を憲法によって規定することは、少なくともなす暦1世紀中期ごろまでの<連邦帝国>加盟国としては画期的なことであった。しかし、現実的にはなす族が他民族に対して優越した社会的地位を得ているという状況は憲政施行後も変わらず、民族平等という理想的な原則が国民の常識として浸透することは、赤青二大政党制が崩壊しなすび族以外の民族が台頭するまで待たなければならなかった。


上記の四大原則のほか、<第二憲法>以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。
上記の四大原則のほか、<第二憲法>以降は段階的に人権に関する条項も設けられた。基本的人権はなす暦60年ごろまでにはほぼ完全に整備され、同90年代には環境に関する権利という当時としては画期的な条文も修正憲法という形で憲法に加えられた。元々は国王や貴族の権力を制限する目的でつくられた憲法は、漸進的に国家国民のあり方をも規定する性質のものへと変化していった。