「【とんちき坊やといるか島の国】」の版間の差分

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[[ファイル:waboku.jpg|thumb|250px|ワンケロ講堂の和睦]]
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かえる族といぬ族の間で成立した和睦合意の通称。〈イルカ島の国〉湾岸エリアにあるワンケロ講堂で結ばれたためにこの名がつけられた。
かえる族といぬ族の間で成立した和睦合意の通称。〈イルカ島の国〉湾岸エリアにあるワンケロ講堂で結ばれたためにこの名がつけられた。
農園門の変に端を発した戒厳令発令によって、かえる族といぬ族の政治家は実力行使によって政界から追放される恐れを抱いた。現政権であるオオサンショウウオ政権は少数与党体制であるため、議会多数派(ただし、過半数は割っている)を形成するかえる族派といぬ族派が失脚すれば、現政権はさらに盤石になるためである。かえる族といぬ族は、少なくとも政界では対立関係にあり歴史的に政治抗争を繰り返してきたが、現下の緊急事態においては一致団結して現政権へ対抗する必要性が生じた。
農園門の変に端を発した戒厳令発令によって、かえる族といぬ族の政治家は実力行使によって政界から追放される恐れを抱いた。現政権であるオオサンショウウオ政権は少数与党体制であるため、議会多数派(ただし、過半数は割っている)を形成するかえる族派といぬ族派が失脚すれば、現政権はさらに盤石になるためである。かえる族といぬ族は、少なくとも政界では対立関係にあり歴史的に政治抗争を繰り返してきたが、現下の緊急事態においては一致団結して現政権へ対抗する必要性が生じた。
そこで、いぬ族派の領袖である文左衛門はかえる族派の領袖である喜久麿に対して、反オオサンショウウオ政権という共通の目的を媒介にして両派の同盟関係樹立を提案する。水面下での事前交渉の末に同盟樹立の合意に達した両者は、ワンケロ講堂にて合意文書の署名式典を合同で行い、マスコミを会場に入れて両派の和睦を大々的に喧伝した。この際、文左衛門と喜久麿が笑顔で握手をするという一幕があり、これは多分にパフォーマンス的な意味合いも強かったが、この様子がテレビに映されたことで世論は一気にいぬ族・かえる族同盟への期待感が盛り上がった。
そこで、いぬ族派の領袖である文左衛門はかえる族派の領袖である喜久麿に対して、反オオサンショウウオ政権という共通の目的を媒介にして両派の同盟関係樹立を提案する。水面下での事前交渉の末に同盟樹立の合意に達した両者は、ワンケロ講堂にて合意文書の署名式典を合同で行い、マスコミを会場に入れて両派の和睦を大々的に喧伝した。この際、文左衛門と喜久麿が笑顔で握手をするという一幕があり、これは多分にパフォーマンス的な意味合いも強かったが、この様子がテレビに映されたことで世論は一気にいぬ族・かえる族同盟への期待感が盛り上がった。
この式典は結果として一連の政変の分水嶺となり、オオサンショウウオ政権崩壊の実質的なきっかけとなった。
この式典は結果として一連の政変の分水嶺となり、オオサンショウウオ政権崩壊の実質的なきっかけとなった。